ローマでMANGA[121]シチリア旅行で地中海世界のお勉強
── Midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

夏なので学校はお休み。近郊でのコミックスフェアもない。近況報告を兼ねてシチリア旅行の話を少々。

アルバイトというか、家計の助けに観光ガイド、案内人をやっている。

今年で五年目の四回目、私を案内人として雇ってくれる家族がやってきた。奥様が歴史好きで毎回テーマを決めてやってくる。今年はローマ帝国以前とビザンチン文化が色濃く残るシチリア。

カターニア空港で集合し、カターニアで一泊してから南のシラクーサ(白草と聞こえて日本人には親しみがわく都市の名前)、アグリジェント、サジェスタ、パレルモ、パレルモ近郊のモンレアーレというスケジュールだ。

白草じゃないシラクーサは、ローマが誕生する前にギリシャのコリント人達が植民地にして発展させた都市。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5


かのアルキメデスさんが生まれてお墓まである街なのだ。





●ちょっと古代・中世(地中海)史のおさらい

古代ギリシャはギリシャという国があったわけではなくて、ギリシャ半島でギリシャ語を話す人々があちこちに都市国家を作っていた。イタリア半島内に点々と都市国家を作っていた、エトルスク人と同じやり方だ。

アテネとかスパルタというのも、ギリシャ語という共通点はあるものの、別の国だったわけ。都市同士のつながりは戦争か貿易。

ものの本によると、ギリシャ人は海洋民族で海を交通網にしていた。ローマ人は船は得意でなく、陸路を利用した。そのために攻めやすい道を作って、ローマからどこでも行けるようにした。攻められやすくもなるけど。

同時に陸の軍隊を組織化し(男子は皆兵)強い軍隊を持った。ギリシャの知恵をよく学んで、エトルスクからも土木を習い、生活水準をあげたので、中にはローマの植民地になると生活水準があがる、というので戦わずして降参する国もあったようだ。

それで、あっという間に、地中海世界を網羅する一大帝国になってしまったわけだ。

その後色々あって、キリスト教が起こり、キリスト教徒が増え、四世紀にコンスタンチン帝がキリスト教を公認し(ミラノの勅令)、大きくなった帝国の首都をローマから今のイスタンブール(トルコ)に移したことが、世界史の方向を決める。

なにしろローマには、キリストの第一使徒サン・ピエトロのお墓があり、サン・ピエトロの後継者とされる法王がすでにいる。

ちなみにサン・ピエトロが第一代法王。キリストさんから天国と地獄の鍵を預かったとされる。サン・ピエトロさんの像や絵画では必ず鍵を二つ持った姿で表わされ、二つの鍵は法王の紋章でもある。

巡礼者が各地からやってくるし、そのために宿屋や食べ物屋ができる。つまり、経済活動が活発になる。経済活動が活発になればその土地の権力も大きくなる。その土地の権力者の力が強くなる。この場合、法王が土地の権力者だ。

ついに皇帝と同じ力を持つに至り、皇帝と法王でどちらが権力をもっているか、それぞれの支持者を交えて内戦が絶えない「暗黒の中世」へと移行する。

●ビザンチン様式一辺倒

この話がなんで今回のシチリア旅行と関係があるかというと、12世紀のシチリアはノルマンの王がここを拠点にしていたからなのだ。

中世の美術様式をビザンチン様式といい、

一・コンスタンチン帝がトルコに首都を移し、東方美術が主体になった。

一・ローマにいたローマ美術(大理石像やフレスコ画)を担っていた職人の仕事が減って技術がすたっていった。

一・皇帝と法王とどちらがより神に近いかを争ったため、教会を装飾する美術様式は、ギリシャ・ローマにあった人間性から離れるビザンチン様式と相性がよかった。

というわけで、1000年もの間ビザンチン様式一辺倒になる。

外から見るとちょっとわかりづらいのが、皇帝・法王ともどちらが神に近いか張り合うので、競って教会を建てる。どちらもビザンチン様式で。だから、この争いが表面に現れにくい。

ちなみに、有名なシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」も、ベローナに住む法王を応援するファミリーと、皇帝を応援するファミリーとの争いの中で起きた悲劇なのだ。

パレルモは、法王と皇帝との争いだけでなく、ノルマン王が乗り込んできて巨大なシチリア王国を建設して、その姪だの叔母だのが皇帝と婚姻関係だったり親戚関係だったりで、肥沃なシチリア王国の領土争いに入ってくるので、ややこしい。中には法王を支持する皇帝もいたり。ナポリも同様。あ、サラセン人もいるし。

ルッジェーロ二世パレルモは栄華を誇り、元アラブの要塞を改築して宮殿にした。皇帝じゃない王だけど、誰が神様に近いかの争いに混ざる。

パレルモの旧市街にあるSanta Maria Maratona教会内部のモザイクを見ると、ルッジェーロ王もその正当性を必死に広報したのがわかる。
https://it.wikipedia.org/wiki/Ruggero_II_di_Sicilia#/media/File:Martorana_RogerII

なにしろ、キリストご本人から直接王冠をもらって王になった私です! と訴えているのだから。

イタリア半島本土にも、この頃のビザンチン様式の教会が無数にある。ファサードをその後のバロックやロココで飾って見分けがつかなくなっているけど、中にはいってモザイクがあれば、それはたいてい中世だ。

シチリアのこの頃の教会建築で特異なのは、当時一緒に住んでいたアラブやユダヤを混ぜ込んでいること。ルッジェーロ二世が宮殿に併設したパラティーノ礼拝堂の天井は、アラブの大工に任せた寄木細工の天井である。

パレルモ近郊のモンレアーレという街にもこの頃の教会があって、そこの回廊もアラブ人作。融和は面白い、というお話。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

今回の旅行のすぐ後に、バチカン美術館をご案内し、システィーナ礼拝堂でルネッサンスの天才ミケランジェロの天井画と壁画をまたまた見る機会を得て、やっぱりすごいなという感想をもたざるを得なかった。

実物を見るともっと知りたくなって、YouTubeで美術史家のアントニオ・パオルッチさんという人を知った。解説が面白くてあれこれ見て時間をつぶし、この連載のテキストを書くのを忘れていた。なんとか間に合った。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


本文に書いたカターニアでの朝ごはんの話。
http://midoroma.blog87.fc2.com/blog-entry-380.html