Scenes Around Me[18]AKIRAさんとの事(7:1997年5月〜7月)のざらし画廊界隈の展示など・AKIRAさんの引越し
── 関根正幸 ──

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KIRAさんは1997年7月に、管理人兼アトリエとして使っていたA倉庫の取り壊しに伴い、父親の住んでいた日光に移り住むことになりました。

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今回は、「いい人」展からAKIRAさんの引っ越しまでの間に起こった、いくつかのトピックを紹介します。




■PAP Factoryのパーティーに参加する(1997年5月上旬)

PAP Factoryは1990年代後半に、千駄ヶ谷小学校交差点の近くにあったギャラリーで、AKIRAさんをはじめ、身の回りの多くのアーティストが展示を行なっていました。

AKIRAさんはPAP Factoryの一周年記念(注)のパーティーに招待されたのですが、都合がつかなかったので、私に代理を頼みました。

(注:AKIRAさんは一周年記念と言っていましたが、PAP Factoryのオープンが1995年なので、二周年記念かも知れません。PAP Factoryのオーナーだった富永剛総さんにも問い合わせたのですが、何のパーティーだったか分からないそうです)

記憶によると、会場は西麻布のOZというバーで、万城目純さんたちのパフォーマンスを撮影しています。

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女性のダンサーはこの後ウェディングドレスを脱いで、ボンデージ姿になりました。そこに、万城目さんがバレエダンサーの衣装で、手にハエたたきを持って現れました。

写真を見てわかる通り、当日のドレスコードとして仮面を付けることになっていました。

仮面は日が変わる瞬間に外すことになっていましたが、長時間仮面をつけ続けているのに飽きた多くの客は、12時前に仮面を外してしまいました。

私は仮面を持っていなかったので、バンダナで覆面をしていましたが、頑張って覆面をし続けました。

もう一人、カールさん(ジェイソンマスクで右を向いている人)という映像作家も、仮面を外さずにいました。

カールさんは私を知人だと思っていたらしく、12時になったら仮面を外して挨拶しましょうね、と話していたのですが、いざ真夜中になって仮面を外したところ、お互い面識がなかったので、気まずさだけが残りました。

■電話ボックスギャラリイ(1997年5月24日)

のざらし画廊のメンバーだったオダギリとモンコは独自企画を立ち上げました。

二人はメモ用紙大の紙を大量に用意、「いい人」展やパーティーなどの機会を利用して、そこに居合わせた人に絵を描いてもらいました。

その絵を渋谷の電話ボックスに、ピンクビラを貼るような形で展示しました。

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捨て看板展もそうでしたが、のざらし画廊はアートと法律に触れる行為の境界を追い求めていました。

そこには、赤瀬川源平さんのハイレッドセンターでの活動や、千円札裁判への追随が間違いなくありました。

他にも、実現しませんでしたが、プラカードに絵を描いてデモを行う「デモギャラリー」というアイデアがメンバーから出ていました。

電話ボックスに作品を貼った現場に、たまたま、元気いいぞうさんが居合わせて、石川雷太さんの展示のオープニングに誘われ、皆で東京大学駒場寮内のギャラリーに向かいました。

石川雷太さんは、屠殺された牛の頭部をアクリルケースに入れた作品と、黒い板に赤字で警句を書き込んだ作品を展示していました。

作品が作品だけにここでは紹介しませんが、オープニングパーティーで牛の頭部が入ったアクリルケースをテーブルがわりにしている様が面白く、写真を撮影しています。

駒場寮が「廃寮」になってから、寮内に入るのはこの日が二回目でした。この後、駒場寮に密に関わるようになるとは、この時思いもよりませんでした。

■ミッシェル「ラムネ展」(1997年6月)

のざらし副委員長だったミッシェル(中山裕子さん)は、当時女子美術大学の学生でした。

この頃、ミッシェルから、個展を行いたいが、手頃な価格で借りることのできる場所に心当たりが無いか相談を受けました。

その当時、自転車で度々通過していた板橋区蓮沼の中山道沿いに、メセーヌというギャラリーがあるのが気になっていたので、ミッシェルに教えたところ、ミッシェルはそのギャラリーを借りて個展を行うことになりました。

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壁に貼ってある写真は幼少時のミッシェルで、ベッドの上には包装されたラムネ菓子が置かれていました。

展示の内容については記憶が定かではありませんが、大好きなラムネ菓子を食べ過ぎて、体がラムネ菓子になってしまった自分自身の葬儀がテーマだったと思います。

展示期間中のイベントでは、前回紹介した、TOTOTOの作郎さんと悦子さんが主催していた、山脈ズというバンドの集団即興演奏があり、私も参加しました。

その他、ミッシェルの大学の同級生で、今年の夏にもグループ展の誘いを頂いた立島夕子さんや、後に武盾一郎さんと「月乃YUMA国」を結成する和田綾子さんを知ったのもこの日でした。

AKIRAさんとの交流は、AKIRAさんが日光に引っ越した後もしばらく続くのですが、一旦ここで区切りを付けることにします。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔