AKIRAさんとの思い出話はひとまず置いて、次に駒場寮との関わりを書こうと思いますが、その前にある種の繋ぎになる話をします。
まず、今回の写真を紹介します。

(ネガフィルムが絨毯の下敷きになっていたためホコリの付着が激しいです)
1997年6月頃、ポレポレ東中野で「ワークショップ・ガロ」のクロージングパーティーが、オールナイトで開催されました。
写真はその撤収後の一コマです。地べたに腰を下ろしている、ワークショップの司会進行役だった二村ヒトシさんを撮影しました。
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「ワークショップ・ガロ」(以下WSGと略)は1996年10月から1997年5月まで開講された、クリエイターを養成するためのワークショップでした。
WSGは漫画雑誌ガロの編集長だった山中潤さんが主宰、ライターの今一生さんが顧問という形態で開講され、私もスタッフ(小屋係)として参加しました。
当時、ガロの売り上げ低迷に悩んだ山中さんが、ガロをサブカルチャーの情報を発信する雑誌にリニューアルすることを考えました。(ガロッキングチェア)
そして、その一環として、ガロ発のクリエイターを養成するワークショップを開くことになり、ワークショップの顧問として今さんが選ばれたようです。
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今一生さんとは、私に高円寺岡画郎を紹介してくれた、ハセベ君を介して知り合いました。
ライター志望だったハセベ君は、当時、今さんが岡画郎定例会に出入りしていたことから、今さんが企画した「Create Media」というイベントの手伝いをするようになりました。
私自身もハセベ君の誘いに応じて1996年7月に「Create Media」を見に行き、今さんやイベントのスタッフ、常連達と顔見知りになりました。
ほどなくして、今さんから新しいイベントの打ち合わせがあると連絡があったのですが、そのイベントがWSGで、WSGのスタッフをやってもらえないかと打診がありました。
打ち合わせの場でガロ編集長の山中さんから直接、ガロが置かれている状況や誌面をリニューアルする計画について話をされた記憶があります。
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私はガロが存続してくれるのなら、とスタッフを引き受けたのですが、ハセベ君はガロが今までの様な漫画雑誌でなくなってしまうことを危惧して、スタッフを断ってしまいました。
ハセベ君以外にも、ワークショップの開講に疑問を抱いている人がいたかも知れません。
私自身も、WSGの初回のゲストの一人に打ち上げの席で「お前もあわよくばクリエイターになりたいのだろう」とからまれたこともあり、スタッフを行う意欲を失いました。
私は毎回のワークショップの会場を探す役を任されましたが、会場を取った後はワークショップの現場には顔を出さず、参加しても打ち上げだけということが多くなりました。
そのため、ワークショップの写真は一枚も撮影していませんし、ワークショップがどのような内容であったか、間接的にしか知らないのは残念なことではあります。
ただ、当時、のざらし画廊のスタッフもやっていたこともあり、WSGの参加者を「偽アンディ・ウォーホル展」に巻き込もうと画策しました。
AKIRAさんの作品に出演するモデルを、WSGの関係者から探そうとしたこともあります。
その作品は結局実現しませんでしたが、WSGの参加者を偽ウォーホル展のパーティーに招いたり、AKIRAさんにもWSGに出演してもらったりと、ふたつのイベントを繋げる試みは、ある程度うまく行ったのではないか、と考えています。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。