東京大学駒場寮の寮委員会は、1995年に大学側が入寮募集を停止した後、空き部屋対策として寮内に学外サークルを誘致することにしました。
廃寮問題が起きる前から、駒場寮の部屋は寮生が住むための部屋だけではなく、大学サークルの部室として使われる部屋がありました。
しかも、サークルの中には他大学との合同サークルもあったため、東大生以外の大学生(学外生)が駒場寮に出入りしていました。
そこで、東大生以外の人は学外生であると拡大解釈し、責任者が寮生(東大生)であれば、メンバーに学外生を含んでも構わない、とサークルを募集しました。
そして、そのサークルに空き部屋を使ってもらうことで、駒場寮がなし崩し的に廃寮に追い込まれるのを防ごうとしたのです。
その結果、東京大学とはまったく関係のない人たちが、学外生として駒場寮に出入りするようになります。
駒場寮内の飲み屋だったゼロバーや、前回取り上げたいくつかのギャラリーは、名目上は学外サークルでした。
そして、これらの学外サークルが寮内で活動を行うことで、駒場寮はおしゃれな場所として一般にも認知されるようになりました。
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1997年の秋、駒場寮内に蟻天国という学外サークルが出来ました。
蟻天国は、ゼロバーでバーテンをしていた東大生のテツくんが、ゼロバーの常連だった東大生と学外生をメンバーとして結成したと聞いています。
学外生には画家の武盾一郎さん、大川興業に所属していた芸人のバンビ高橋さん(ヒデさん)、歌舞伎の女形の中村しのぶさんがいました。
私自身はサークルの立ち上げに立ち会っていませんが、寮委員会は毎年、3月末と9月末に入寮審査を行っていたので、蟻天国の審査も1997年9月末に行われたと思います。
しのぶさんはともかく、武さんとヒデさんはのざらし画廊のメンバーで、さらにヒデさんの大学時代の知人が数名(彼らも、のざらし画廊のメンバーだった)蟻天国に参加したこともあり、私も蟻天国に出入りするようになります。
こうして私の駒場寮内での拠点ができましたが、私自身は最初から蟻天国に入りびたったわけではありません。
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以下、私が初めて蟻天国に行った時のことを(もしかすると、数日分の記憶がごちゃまぜかもしれませんが)覚えている範囲で書いてみます。
私が武さんの誘いで蟻天国に初めて遊びに行ったのは、1997年11月上旬だったようです。(下記の新宿梁山泊の公演が1997年11月22日に始まっている)
蟻天国は中寮の2階、中ほどから少し奥まった右手の部屋にありました。
部屋にはどこかの大学の学祭で使用されたと思われる、リングの残骸が持ち込まれていて、ヒデさんたちがリングを復元しようと悪戦苦闘していました。
また、新宿梁山泊が紀伊国屋ホールで上演する芝居の大道具として、武さんに段ボールハウスを製作して絵を描くよう依頼がありました。
そこで、武さんは段ボールハウスの製作を蟻天国で行っていました。私も割り箸でできた柱を、段ボールハウスの内側に固定する作業を手伝いました。
そうしているうちに、しのぶさんが現れ、酒盛りが始まりました。
しのぶさんは、歌舞伎「鳴神」を素材にした芝居を年末にオブスキュアギャラリーで打つことにした、と話していました。
以前にも書きましたが、しのぶさんは、占い師にあと30年しか生きられないと告げられたらしく、30年なんてあっという間だから、このまま下積みで何もできずに終わってしまう、と焦りを感じていました。
そこで、しのぶさん自身が主役を務める芝居を企画したのでした。
私もしのぶさんから芝居に出演しないかと誘われたのですが、セリフが覚えられないのと、稽古の時間が確保できるか分からないので、気のないそぶりを見せていました。
しのぶさんは「変ねえ、あなたには何かやりたいというオーラがうっすら見えているのに」と言いました。
時間も遅くなり、家に帰るのがわずらわしくなったので、私は製作中の段ボールハウスの中に入り込んで眠りました。
その様子を見て武さんは衝撃を受けたそうです。
というのは、武さんにとって段ボールハウスはあくまでも絵を描く対象であって、段ボールハウスの中は異界だと考えていたからです。
ただ、私にとっては、段ボールハウスは単なる物に過ぎないので、何も考えずに中に入って寝ることが出来たのでした。
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ネガフィルムから写真をスキャンしているPCが故障したため、今回の写真は昨年デジカメで撮った写真を紹介します。
2017年1月22日 高円寺 Pundit

前回紹介した246表現者会議と、それに引き続く形で行われた宮下公園Artist in Residenceに参加した花咲草(かや)さんの写真です。
かやさんは、それまでの10年間に収集したフライヤーなどの紙類や、SNS等に投稿した文章のアーカイブを、数時間かけてすべて消去するパフォーマンスを行いました。
パフォーマンスはネットにストリーミング配信されました。
実は私はその前日に財布を紛失して、這々の体で実家に帰っていました。
最初は実家でストリーミングを見ていたのですが、色々なものが消去されて行くのをモニター越しに見るのが耐えられなくなり、親に金を借りて高円寺に向かいました。
その結果、ギリギリ最後の瞬間には間に合いました。
写真は、かやさんが頻繁に訪れている台湾の風習に従い、燃やした紙の灰を水に溶かして飲んでいるところです。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。