Scenes Around Me[30] 東京大学駒場寮の事(9)アリテンに入り浸る
── 関根正幸 ──

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今回も訂正から始めます。

サークルの部屋の扉ですが、「蟻天国」でも「蟻天獄」でもなく、「蟻天」とだけ書いてあったようです。(1998年3月頃の写真)

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もし扉に「蟻天」の次の文字まで書かれていたならば、「蟻天獄」を「蟻天国」と思い違いせずに済んだかもしれません。

また、この部屋に出入りしていた人の多くは、サークルや部屋の名前を「アリテン」と呼んでいました。

なので、今後はサークルや部屋のことを「アリテン」と記すことにします。






前回書いたように、歌舞伎の女形の中村しのぶさんは、アリテンの中ほどに畳を敷き、毛布や布団も用意して、アリテンに来た人が寝泊まりできるようにしました。

この事もあって、1998年に入ってから私は、アリテンに寝泊まりを繰り返すようになります。

それは主に次に挙げる二つの事情によるものでした。

一つは、この頃仕事が忙しくなったことです。

武盾一郎さんの個展の時にも触れたことがありますが、私は当時、駒場の近くにあった土木の設計会社でアルバイトをしていました。

当時、私と私の直属の上司は、ある種の土木工事に関してゼネコンに行ったアンケートを集計する作業をしていました。

アンケートは項目数が100以上、対象の工事件数も1000件以上あり、データとしてそれなりに大きなものでした。

作業のほとんどはアンケートの入力ミスの修正でしたが、エクセルの基本的な機能しか知らないまま作業するのは効率が非常に悪く、時間がかかりました。

大学はこの頃春休みに入っていたこともあり、しばらくの間、私は毎日朝から深夜まで、この作業に関わっていました。

私は会社まで自転車で通っていたため、終電車の時間を気にする必要がありませんでした。

また、上司も仕事を切り上げる様子もなかったので、私は午前1時〜2時頃まで会社にいることもザラではありませんでした。

そこで、仕事を終えた後で自宅に戻るより、駒場寮で寝泊まりした方が睡眠時間を確保できると考えたのです。



もう一つの事情は蟲くんの事でした。蟲くんは前回紹介した、石倉麻里さんの写真を撮影しています。

蟲くんの本名は竜二なのですが、名前に「竜」の字があることをなじられたらしく、「蟲」と名乗ることにしたようです。

もともと高円寺岡画郎の定例会に出入りしていた蟲くんは、私と同様、AKIRAさんののざらし画廊に参加しました。

のざらし画廊で展示のアイデアを、AKIRAさんに褒められたことに気を良くした蟲くんは「AKIRAの弟子」を自称するようになります。

そして、AKIRAさんが下井草のA倉庫から日光に引っ越す際、蟲くんはAKIRAさんが作品に使うつもりだった、古い人形などのガラクタを大量に引き取っていました。



1998年の3月頃だと思いますが、蟲くんは、付き合っていた女性との同棲を解消するにあたり、新たな住家として私のアパートの部屋に居候できないかと打診してきました。

蟲くんが私に声をかけてきたのは、私がその時すでに小川てつオくんを居候に受け入いれたことがあったからでした。

てつオくんは岡画郎のブレーンの一人で、当時、居候ライフと称して複数の人の家に居候し、居候先でミニコミを共同製作していました。

蟲くんの申し出に、私はあまり深く考えずにOKを出し、合鍵を蟲くんに渡しました。

ところが、てつオくんが二、三の手荷物だけで部屋にやってきたのとは対照的に、ある事件が持ち上がります。

蟲くんに合鍵を渡した次の日、私のポケベル経由で、岡さんから連絡がありました。

岡さんは、蟲くんがAKIRAさんから引き取った大量のガラクタを車に積んで、私のアパートに運ぼうとしているのを見かけたそうです。

当然、岡さんは「セキネさんに荷物を部屋に置いても良いか話をしたのか」と注意しました。

ところが、蟲くんは「セキネさんに話はしていないけど、大丈夫だって」と気にしていない様子だったため、念のため岡さんは私に報告することにしたそうです。



岡さんから連絡を受けて、私はある程度の覚悟は出来ていました。

しかし、自分の部屋に戻った時、部屋の中央にガラクタがうず高く積まれていて、人一人寝られるだけのスペースがやっとあるだけの状況を見て、私は部屋に帰る気持ちが失せてしまいました。

そこで、私はアパートに帰らず、アリテンに寝泊まりするようになります。

すると、蟲くんも、私が帰って来ない部屋にいるのは寂しかったようで、アリテンにやって来るようになります。

こうして、アパートの部屋は単なる物置になったのでした。



この頃、私はカメラを知人宅に置き忘れてしまいました。

カメラはそのまま知人宅の小物類の中に紛れ込んでしまったため、発見されるまで一か月以上、私はカメラを持たないまま過ごしました。

そのため、上に書いた自室の状況は撮影していません。

今回紹介する写真は、カメラが戻ってから撮影したアリテンの写真です。

アリテンの責任者だった学内生のテツくんが、「アリテン中にゼロバーを復活させる」とアリテンの窓際にカウンターを作りました。

写真はバーの窓際のインスタレーションです。

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店内の様子

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ゼロバーは北寮の一階入口、オブスキュアギャラリーの向かいにあったバーでした。

私は数えるくらいしか通わなかったので、詳しいことは知りませんが、ゼロバーは1997年の後半には営業を終了していたようです。


【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔