1998年3月後半になると、寮委員会は学外生や学外サークルに対し、月末に行う審査の基準を厳しくして、基準に満たない個人やサークルの更新を認めない、という話が私の耳にも入ってきました。
そうなると、アリテンは更新の妨げになる二つの問題を抱えていました。
一つは、アリテンに不特定多数の人が出入りしていたことで、前回書いた様に、寮内の治安が悪化が懸念されました。
もう一つの問題は、アリテンに寝泊まり出来るようになっていたことでした。
廃寮が宣告される以前から、外部の人間が駒場寮に泊まるには、一泊200円の宿泊費を払って仮宿泊の手続きを行う必要があり、泊まる部屋も決められていました。
さらに、寮生との差別化を図るために、月20日以上の宿泊は認められていませんでした。
という訳で、アリテンは仮宿泊の制度に抵触していました。
もちろん、アリテンに宿泊できなくなったからといって、皆が仮宿泊を利用するとは限らないのですが、宿泊費による収益がアリテンによって減ったと思われても仕方ありませんでした。
○
エキンは「もし、更新が認められなければ、アリテンを占拠して立て籠ってやる。そうなったら、不法占拠の不法占拠だ。」と息巻いていました。
言うまでもないことですが、廃寮を宣告されたにもかかわらず居座っている寮生は駒場寮を不法占拠しているわけで、その寮生と対立して居座るアリテンは、いわば不法占拠内不法占拠だった訳です。
結局、この時はアリテンの更新が認められるのですが、その直前の数日間は、ある意味狂気に満ちていたように思います。
アリテンの更新が認められたのは、エキン達の動向が寮委員にも伝わって、更新を認めずに学外生との対立や内紛を生むより、しばらく様子を見ておこう、ということだったのかもしれません。
いずれにせよ、アリテンはこの後、半年続くことになります。
そして、さらに様々な人々がアリテンに出入りするようになりました。
○
アリテンの更新が認められても、エキンはしばらく息巻いていました。
エキンは、駒場寮食堂のボイラー室に人がいないことを気にして、ボイラー室を占拠した方がよいと言いはじめました。
そこで、私は、次の日の朝ボイラー室を見に行きました。
ボイラー室の入口は、寮食堂の裏側にありましたが、扉には鍵が掛かっていませんでした。
寮食堂は数年前に営業をやめており、ボイラーにも火が入っていなかったため、ボイラー室の中は冷え冷えしていました。
ボイラー室の奥の部屋は天井が低く、パイプに頭をぶつけないように、身を低くして移動しながら撮影した記憶があります。
その日、私はボイラー室内の写真を撮影だけして、外に出ました。
そして、私はボイラー室には二度と行くことはありませんでした。
○
駒場寮食堂はその数か月後に火災で全焼しました。
仲間内では、火災の原因は放火と考えられていました。
もしくは、誰かがボイラー室に入り込んだ末の失火だったかもしれません。
ならば、エキンが言ったようにボイラー室を占拠しておけばよかったのかもしれないと、今でも考えることはあります。
○
今回紹介する写真は、2006年8月に千葉県成東町(現山武市)にあるガラス工房Plato Pinoで撮影しました。
Plato Pinoの松野栄治さんは、もともと武盾一郎さんの知り合いで、2005年3月頃、武さんに誘われて、埼玉県桶川市内の蔵を改造したギャラリー、ブラッドベリでの個展を見ました。
その後、松野さん夫妻は自分たちの工房で夏まつりを企画、私もツーリングを兼ねて成東まで遊びに行きました。
京成線で佐倉まで輪行、伊藤左千夫の生家に寄り道しながら、九十九里浜の近くまで自転車で移動しました。
イベント自体は、吹きガラスの実演やコンサートもあり、大勢の人が集まっていました。
私はPlato Pinoで一泊させてもらい、翌日、東京まで自転車で自走しました。
写真は、中にロウソクを灯したグラスを撮りましたが、松野夫妻の末っ子(?)が写り込んでいます。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔