ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。
●恒例のコミックスフェア・ロミックスとその歴史
春と秋に開催されるロミックスに今回も顔を出してきた。
ローマのコミックスフェアは、他のコミックスフェアと比べても歴史が古い。最初に開催されたのが1994年。トスカーナのルッカで開催されるルッカコミックスは1966年からの開催、ともっと古いのだが、開催者は同じなのだ。いや、同じだったのだ。
1966年からのルッカも、1994年からのローマも、どちらも「Salone Internazionale di Comics(マンガの国際サロン)」という名で、ルッカで行っていたフェアをルッカ市の協力(金銭的な意味)を得られなくなってローマに持ってきた、という事情がある。
ルッカではその後開催者を変えて、結局のところ名前も変えてコミックスフェアが続いている。ルッカ市の協力なしで始めたルッカ・コミックスだが、開催ごとに大きくなって、二年ほど前からルッカ市が再び協賛になっている。
それはともかく、ルッカ・コミックスは一般に「イタリアで一番歴史のあるコミックスフェア」ということで通っている。「マンガの国際サロン」の主催はその一般認識が面白くないようだけど。
ルッカでコミックスフェアを立ち上げたトライーニさんは、フェアをローマに持ってきて2005年まで頑張ったが、経営する出版社がうまくいかなくなってフェアも閉じた。
その後、ジャーナリスト、作家、テレビ番組監督、マンガ・アニメ・映画批評家のルカ・ラファエリさんおよび、この方が率いるISB.URBのプロデュースで、
https://isiurb.it/sample-page/
新たなローマにおけるコミックスフェア、Romicsが生まれたのだった。(ちなみに私もゲスト、ということになってます)
https://www.romics.it/it
https://www.romics.it/it/ospiti-romics-edizione-24
一般に、ローマのコミックスフェアは1994年から、という事になっている。
「マンガの国際サロン」という名前で始まったフェアは、開催者の好みというか、当時のイタリアのマンガ事情、というか、アメコミやその当時イタリアで出版されていたマンガを主題にし、出版社、書店がブースを出し、展示会を催した。
私はローマに住むようになって、ローマでの「マンガの国際サロン」に通った。それほど大きくない当時のフェア会場の、かなりの面積を割いてイタリアマンガを出版するボネッリ社と、イタリア・ディズニーの展示会が毎回あったのを覚えている。いつも変わり映えしないなぁと、毎回同じ感想を持っていたのだ。
70年代の半ばから、つまり、日本のアニメがイタリアで放映されるようになってから、主にアニメになったMangaが細々と出版されるようになった。
90年代も半ばになると、つまり、「マンガの国際サロン」がローマに移動した頃、主催者トライーニさんはMangaの何たるかを理解したわけではなかったが、無視するわけにはいかなくなってきた。彼の出版社でも、イタリア人作家による「マカロニ・Manga」を出版したほどだ。
そして「マンガの国際サロン」でも、Mangaにライトを当てるようになった。当時、私は講談社の「モーニング」編集部の海外支局を仰せつかっていた時であり、同編集部が用意した「モーニング展」を「マンガの国際サロン」で催すお手伝いをした。つまり、ボネッリとディズニー以外の展示会が行われたのだ。
その後も日本の作家さんを招待したりして、訪問客の要求に応えざるを得なくなっていった。トライーニさんはアメコミとボネッリマンガをマンガと認識していたから、かなり意識の上で努力したんだろうな、と思う。経営者は大変だよね。
●「マンガの国際サロン」から「ロミックス」へ
ロミックスになると、いきなり柔らかくなった、という感じがした。Mangaとアニメにかなり光を当てるようになったからだ。私の意識に親しいものに光が当たって、柔らかいと感じたのだ。受け入れられたような。
ロミックスの主催者、ラファエリさんはロミックスの前にローマ郊外(花祭りで有名なジェンツァーノ)で「カステッリ・アニマツィオーニ」をプロデュースしていた。
Mangaばかりか日本のアニメにも造詣が深い人で、(トライーニさんのように)Mangaをちょっと変なものと分けないで、視覚表現の一つと分け隔てなく捉える人が主催すると色々変化がある。
例えば、自主制作アニメのコンクール、コスプレのコンクールなどが含まれるようになった。そして、ガジェット。
ロミックスは回を重ねるごとに、マンガを売る出版社や書店のブースが減り、ガジェット、コスプレ関連品、食べ物屋台が増えている。今回もマンガを売るブースは、全体の三分の一にも満たなかった。
その件に関して、否定的な思いを持っていたのだけど、この原稿を書きながら色々調べていたら、ラファエリさんの「視覚表現を分け隔てなく捉える」という考えが見えてきて、その見地からすれば、訪問客の望みに沿っていった結果に過ぎないと思えた。
マンガに100%しがみついている必要はどこにもないではないか。と、彼が言った何かを目にしたわけではなく、ラファエリさんの略歴を読んでいたらそんな気がしたのだ。
コスプレ訪問客は、入場料を払ってまで自分のコスプレを披露しにくる。ブースが提供するものを受けるだけでなく、積極的な参加なのだ。
ゲーム。デジタルゲームだけではなく、テーブルゲームのブースがかなり広く取られている。その場で訪問客が遊んで行くから、いくつもテーブルが必要なのだ。自主制作のテーブルゲームもあり、制作者が嬉々として説明していた。
自主制作と言えば、日本語訳でお手伝いした「Oppaidiusu-Summer-Trouble」というビット画のデジタルゲームも、初めてブースを持って披露に努めていた。
https://store.steampowered.com/app/716030/Oppaidius_Summer_Trouble/
https://www.oppaidius.com/
これは、Vittorio Giorgiが仲間と、キックスターターを使って制作費を捻出して実現したもの。(この名前をFacebookで検索してみてください。プロフィールの写真が駕籠真太郎氏による似顔絵となってます)
こういう風に若い人が自分の夢を実現するために、ネットを使うのを見ると嬉しくなってしまう。まさにネットの醍醐味だね、と。
●ロミックスと学校と私
コミックスフェアというか、見本市は広い会場を歩き回るので疲れる。積極的何か欲しいもの、探し物があるならば、歩き回るのも楽しいだろうけど、そういうものがない。
さまざまなキャラグッズは可愛いと思うし、ハリポタのよくできた小道具なども惹かれるものもあるけれど、寄る年波なのか、それほど夢中になれない。
マンガ本なども整理をしている今、新たに買い求める気にもならない。それと、わさわさした雰囲気の中、そしてたんまりある品数の中から、じっくり探そうという気持ちになれない。
見本市が提供する、ブースに使っているライトも関係してるんじゃないかと思う。確かに明るいのだけど、なにかの波長が余計にあるような感じで、老眼がシパシパして、表紙の文字などが今ひとつ読みにくい。
なんと表現したらいいんだろう、文字ははっきり見えているのだけど、文字の周りが光ってるような、なにか、文字が追いにくい感じがする。
そして、人混みが疲れる。ちゃんとくまなく回ろうとすると、かなりのエネルギーがいる。
数年前までは、週に一回2時間、しかも4〜5か月のみのセミナーだけの受け持ちで、Mangaを正式コースにしない、という校長の意思もあるけれど、学校関係者と懇意に人間関係を築けないというのも、なかなか受け持ちを増やしてもらえないひとつの原因になっているのではないかと考えた。
そして、ロミックスはそのいいチャンスだと懸命に毎日4日間通い、おにぎり作っていき、ブースの片付けを手伝ったりした。
娘、息子のような年齢の学校勤務者、ボランティアの学生に混じってそれなりに楽しく、同じ興味を共有する人たちの間でおしゃべりや冗談を言える時間は貴重だった。家庭の周りでは、同じ趣味を共有する人がいないし。
そして今回、私の受け持ち授業が、昨年からセミナーではなく公式コースになった、という安心感、寄る年波、今月家の修理をするので半分引越し騒ぎの真っ最中、毎回代わり映えのしない内容のフェアに飽きた、翻訳仕事の締め切りが近い、などなどで、お役目の割り当てがあった初日と最終日の数時間止まっただけ、という史上初の短い訪問の記念すべきロミックスとなった。
ここで何度か触れている三人共作の「天才的な企画」があり、構想を練っている最中の自身のManga企画があり、ネット出版の新しい出版社に関わり始め、作家として(頭の中が)忙しい、というのもロミックス(学校関係者と仲間になる)から遠ざかってもいい、という気持ちになったのかもしれない。
ロミックスの学校のブースで楽しくやっていた墨絵風似顔絵は、月に一回のフリマでできるし。しかもお代もいただいて。
さ、次はルッカ・コミックス。
【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】
心境の変化はロミックスとの関わりだけでなく、頭髪にも。ずっと白髪を染めていたのをやめようと決心。美容師と相談して、9月に髪をやや短く顎あたりまで切ってちょっと赤っぽく染め替えた。
今月、さらに短くして、一旦色を落とす薬をつけてからグレーに染めた(染める色を変えるのは大変。色を落とす薬をつけても白くならない)。
後ろ姿ばかり若くてもしょうがない、年齢をちゃんと受け入れる。白髪を受けいるのに、こんなに大仰にしなくちゃいけないのも我ながら情けないけど。
記事の中に書いた家の修理というのは、二階建ての一階部分の水道管と電気配線を新しいものに取り替え、ついでに一部壁を取り除き、塗り替えてもらって、床材も新しくする、というもの。
つまり、一階部分にあるものをすべて移動させるという、半ば引越し作業をした。一階の応接間にあたる所は、仕事部屋として使っていて本棚がある。いやぁ、本がうじゃうじゃ。
つまみ細工を作ってみたり、お手製ノートを作ってみたり、お裁縫をしてみたりで、それらに使えるかもと取っておいたり買ったりした、布だのスパンコールだのリボンだの、きれいな包装紙だのもうじゃうじゃ。
本の一部は捨て、一部はリサイクルショップへ、何年も手に取っていなかったマンガは学校へ寄付。それでもまだたんまりある。
還暦も過ぎたし、少しづつあちらの世界へ行く準備をして、スッキリとミニマムに暮らしたいと思いつつも、まだまだこの世に未練があるようです。
[注・親ばかリンク] 息子のバンドPSYCOLYT
MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/
主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/
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