●オブスキュアギャラリー
東大駒場寮の北寮にあったオブスキュアギャラリーは、1998年8月1日のオープン一周年記念パーティーに合わせて(だと思いますが)展示記録のアーカイブファイルを作製しました。
それを閲覧した記憶によると、オープニングの武盾一郎さんの展示が終わった後、オブスキュアは展示期間が一〜二週間程度の展示を矢継ぎ早に行っていたようです。
また、駒場祭の頃に一〜二日限定のイベント、もしくはグループ展を行なっていました。
写真家の安彦幸枝さんや、イラストレーターのハッチ(八反田めぐみさん)も展示を行っています。
安彦さんやハッチは、オブスキュアが駒場寮を出て豪徳寺に移った後、コーキくんや鷹野依登久くんたちと、共同生活を送っていました。
安彦さんの展示は早い時期に行われたらしく、残念ながら私は見ていません。
また、ハッチの展示は、フライヤーが駒場寮の廊下に貼られているのを見ています。
ですが、ハッチと知り合う前だったこともあり、ギャラリーに入って展示を見た記憶があいまいで、いつ頃だったのか思い出せません。
後述する1998年のアレクさんの展示の前後だったかもしれません。
その他、1997年11月頃だと思いますが、アーティスト・グラフィックデザイナーの立花文穂さんの展示は、私も見ています。
アーカイブのファイル自体、現存するかどうか分からず、内容について何らかのメモを取っておけばよかったと思います。
オブスキュアギャラリーの展示は、1998年に入ってからは一通り見たはずです。
ただ、8月のオブスキュア一周年記念パーティーまで、私は展示やギャラリーの写真をまったく撮影していませんでした。
そのこともあって、それぞれの展示について正確な会期などの詳細は不明で、これ以外にも展示があった可能性はあります。
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中村しのぶさんの鳴神公演の後、写真家・編集者だった浜田蜂朗さん(1941〜96)の「殺風景」という写真展が開催されました。
浜田さんは、雑誌「現代の眼」の編集者や、「写真時代21」の編集長を務める一方、写真家としても活動、「写真時代」に「殺風景」という連載を行っていたようです。
浜田さんはアルコール依存症で、1996年に肝硬変で急逝しました。
浜田さんの没後、有志で遺作展を開催する計画が持ち上がったのですが、様々な事情から遺作展は不可能だと分かり、代わりに写真集「殺風景」を出版することになったそうです。
写真の選定は森山大道さんが行い、写真集は1997年12月に出版されました。
当時から森山さんをリスペクトしていたコーキくんは、その出版記念展を兼ねた遺作展をオブスキュアで、と写真展を企画したようです。
もちろんそれだけではなく、森山さんが選んだ写真自体が良いものでした。
https://made-in-wonder.com/item_detail.php?item_id=1912
展示の会期は1997年の年末、もしくは1998年の年始から一か月半くらいだったと思います。
当初、一か月の予定だった会期を、半月ほど延長したという記憶があります。また、コーキくんを通じて、写真集の購入も可能でした。
オブスキュアギャラリーの名前は出てきませんが、当時の美術手帖に蔵屋美香さんによる展示のレビューがありました。
それによると(メモを取り忘れたので正確な引用ではありません)、浜田さんの写真は「カミソリのような」金属製のフレームに入れて吊るされていました。
フレームはこの展示のために作られたのか、それとも以前から使っていたものかは分かりません。
オブスキュアが豪徳寺に移ってから撮影した写真を見ると、写真のサイズとフレームの大きさが合っていないので、写真展以前から使っていたのかもしれません。
ともかく、これ以降の展示でこのフレームが使われることが多く、一周年記念パーティーの時にもこのフレーム自体が展示されました。
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先日、「写真時代」の編集者で、森山大道さんや荒木経惟さんの担当だったYさんに浜田さんのことを伺ったことがありました。
Yさんは、こういうようなことを話しておられました。
「浜田さんのやったことは、森山さんも荒木さんもやらなかった、やろうとしなかったことで、それは誰かがやらなければならないことだった。しかし、浜田さん本人がお寺の出ということもあり、生真面目すぎた。森山さんや荒木さんに比べて華がなかった」
「華がなかった」というのは、本人を知らないので何とも言えないのですが、「生真面目」というのは写真集のあとがきに、草森紳一さんが寄稿された文章を読むと納得がいくところがありました。
ちなみに、写真展で展示されていたのだと思いますが、浜田さんが生前使っていたカメラ(Pentax Spotmatic)は、コーキくんが引き取った後、現在私の手元にあります。

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1998年の2〜3月頃、山根康弘くんの展示がありました。
山根くんの絵は小さなサイズの肖像画で、縦横比もまちまちだったので、各々の絵に合う石膏製のフレームを作って、その中に絵を展示していました。
この展示の写真も撮影していないのですが、それはこの頃カメラを出先に置き忘れて、ひと月ほどカメラが出てこなかったからだと思います。
印象に残っていることとしては、山根くんとコーキくんがギャラリーで話し込んでいたところに、スパゲティーをアリテンで作ったコックくんが、フライパンを手に現れたことでした。
それを見たコーキくんが、スパゲティーをむさぼるように食いつくさまが面白かったのです。
5〜7月には、今井アレクサンドルさん(以後、アレクさんと記)の個展がありました。この展示も正確な会期は覚えていませんが、長期に渡ったと思います。
アレクさんは、十字架をモチーフにした絵を展示していました。その他に、「W.W.BOO.」という、アウシュビッツやプラハなど第二次世界大戦中のホロコーストの現場に、ブースカ人形を配置して撮影した写真集を展示販売していました。
この展示はギャラリーに誰もいなければ、こっそり撮影しようと思っていました。しかし、物販があったせいか、弟子と思われる若い男性がいつも在廊していたので、結局撮影しませんでした。
オブスキュアギャラリーでは、定期的にライブ演奏のイベントを行なっていましたが、アレクさんは展示期間中のイベントに合わせて、北寮前でバーベキューを行いました。
その日のことだと思いますが、私は北寮入口の排水枡の蓋がガタついているのに気付き、即興的に鳴らして遊んでいました。
すると、イベントに出演していたtechnical cutの白井知樹くんとセッションになりました。
technical cutは佐藤久順(ひさとし、kujun)くんと白井くんのユニットで、
この日、私はひさとしくんとも面識ができました。
このこともあって、私はオブスキュアが駒場寮を離れた後に出したアートブックに関わることになります。
●デザインフェスタギャラリー
今回は、1998年4月、原宿のデザインフェスタ事務所に出来たギャラリーの、オープニングイベントの写真を紹介します。

写真には左から鷹野くん、中央にあるオブジェを制作した鈴木まさおさん、オブスキュアのシンヤくん、シンヤくんの陰に武さん、が写っています。
1997〜8年頃、武さんや鷹野くんたちはデザインフェスタの事務所の壁画を描いていました。

1998年4月初旬、私は渋谷〜原宿間を自転車で移動中、鷹野くんにバッタリ出会いました。
その際、鷹野くんから、デザインフェスタの事務所内に出来たギャラリーのオープニングでライブペインティングを行うので、音を出して欲しい、と頼まれました。
当日、私は押入れのようなところにこもって音を出した記憶があります。
後日写真をスキャンした際、タイトルをclockworkと付けているのですが、ギャラリーの名前だったのかもしれません。
現在、デザインフェスタ内にclockworkという名前のギャラリーはないようです。また、デザインフェスタの壁画も定期的に描き替えられるようになり、武さんや鷹野くんたちが描いた壁画も現存しません。
ただ、鈴木まさおさんが屋根の上に設置した単管は、現在も黒く塗られた状態で残っています。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔