前回、私は2008年頃から、オブスキュアに顔を出さなくなったことを書きました。そして、その理由として、コーキくんと安彦さん以外の初期メンバーが、オブスキュアを出てしまったことを挙げました。
ただし、それ以外の理由として、そもそもオブスキュアがあった都立大学は、普段の行動範囲から少し外れていたこともありました。
オブスキュアが都立大学に移転した当初、私は水曜日に多摩方面の仕事があったため、仕事帰りにオブスキュアに向かうことがありました。
ところが、そのまま家に帰るには距離があったため、オブスキュアに一泊して、翌日、仕事先に直行していました。
そのため、オブスキュアに行かなくなってからは、都立大学方面に足を伸ばすこと自体、少なくなったように思います。
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状況が変わったのは、東日本大震災のあと、2012年になってからでした。仕事先の都合で、オフィスが大岡山に移転したのがきっかけで、帰りに都立大学に立ち寄れるようになったのです。
そして、久しぶりに遊びに行った際、現在住んでいる一軒家の次の更新は行わず、オブスキュアを解散するという話をききました。
私は、オブスキュアが解散するまで見届けたいと思い、それ以降、足繁く通うようになりました。
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今回、ネガを見返して、当時、私が思っていた以上にオブスキュアの写真を撮っていたことに気づきました。そして、何を撮ったのか思い出せないもの多いことがわかりました。
そこで現在、当時の写真をスキャンしています。時間がなかなか取れず、ベストの写真を選び切れていないのですが、今回は新たにスキャンした写真を紹介します(2012年4月撮影)

この日はパーティーだったと思います。セレクトショップAqviiの社長夫妻や、HAMADARAKAのエムさんが写っています。
AqviiはHAMADARAKAの作品も扱っていて、この後Aqvii関連のイベントには、何度か参加しています。
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上の写真の翌朝に撮った写真。ともくんの膝に、安彦さんの飼猫のクマがのぼっています。
ともくんは、当時オブスキュアの近所に住んでいて、オブスキュアによく遊びに来ていました。ともくんは、オブスキュアが解散するにあたり、長野県の原村にログハウスを建てて住むつもりだと話していました。
ともくんたちは、地元で廃材を使って多数のログハウスを制作した長谷川豊さんという人に連絡を取り、ログハウスを建てるための土地は確保していました。
ただ、私は話を聞いた当初、彼らが冬を越せるのかと半信半疑でした。しかし、昨年、ともくんから富士見町のギャラリーで狼展(HAMADARAKAも出品)が行われるという案内が届き、地元のコミュニティと今でも関わりがあることを知りました。
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安彦さんは、当時、格闘家兼料理人の船山さんと婚約していました。船山さんもオブスキュアに出入りしてパーティーで料理を作っていました。
上の写真は、上下を逆にしていますが、パン生地を手の形に練ったものを、ザルの上で乾かしているところ、下の写真は動物の骨を窓際に吊るしたところを撮影しています。
上の写真は船山さんが関係しているのかわかりません(HAMADARAKAの仕業かもしれません)が、骨は船山さんが実際に料理に使ったものだと思います。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔