前回書いたように、小川てつオくんは、1996年から2003年にかけて、何人もの家に居候しながら暮らす、居候ライフという活動を行っていました。
その間、てつオくんは家主と共同でミニコミ「居候ライフ」を制作していました。「居候ライフ」は、以前、個人がアーカイブとしてネットにアップしていましたが、現在、そのアーカイブが存在しているかどうかも分かりません。
私自身もてつオくんから受け取った「居候ライフ」をいくつか保管しておいたのですが、部屋の中から見つけ出すことができました。

以前、部屋の中を整理した時に出てきた「居候ライフ」をまとめておいたもので、ざっと調べただけですが、同じ号が何枚もあったりと、すべての号が揃っているわけではないようです。
写真はいちばん上にあったNO.48(48号)で、年の記載はありませんが、劇団耳だれ?公演の告知があることから、2000年に出されたものだとわかります。
「居候ライフ」が何号まで出されたか覚えていませんが、私の部屋から見つかったいちばん新しい号が2002年5月頃のNO.77だったことから、ペース的には80番代までは作られたように思います。
写真の通り各号はB4サイズで、片面三段組の両面印刷になっています。てつオくんはA4版の紙を横にして使い、そこに家主との筆談や、日記的な文章をを縦書きで記入しました。
原稿がある程度たまると、てつオくんはそれを縮小コピーしたものを割付けて、ミニコミを作成しました。また、てつオくんや家主が描いた絵が挿入されることもありました。
奥付にあるように、「居候ライフ」は、家主との共同制作であると同時に、新たな居候先募集としての役割ももっていました。ただし、実際には、新たな居候先が見つかることはそれほど多くはなく、てつオくんは私を含め何人かのコアなメンバーの家を、順番に居候することが多かったように思います。
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今回の写真は、最初、「居候ライフ」NO.48に登場する倉田さん宅で1998年に行われた、てつオくんの誕生パーティーで撮影した写真を紹介するつもりでした。しかし、「天才ストリッパー」岡ガロウさんの写真を紹介するのはまずいだろうと思い、かわりに1999年12月11日に撮影した、小川てつオくんのお兄さんの小川恭平くんの写真を紹介することにします。

この写真は、当時笹塚に住んでいた本多晃子さん宅で撮影したと思っていましたが、ネガアルバムには永福町とあり、別の居候先でパーティーが行われたようです。
この写真は、恭平くんがカメラのレンズに色ガラスで出来たコップをかぶせてきたところで、構わずシャッターを切ったものです。
この時使っていたカメラはピントが合わせにくく、おそらく適当な距離に設定して撮影したと思いますが、ガラスの屈折率のことを考えても、恭平くんにピントがあったのは偶然だったのかもしれません。
【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔