現在、大学の遠隔授業が一斉に始まって、その対応に追われている関係で、今回の記事も短めになります。
小川てつオくんは、私の家に何回か居候に来たことがありました。
今回、自宅から出てきたミニコミ「居候ライフ」から、てつオくんがいつ居候に来たか調べてみました。
居候ライフからは、てつオくんが居候に来た正確な日付はわからないので、以下、てつオくんが居候に来た時期、滞在したおおよその期間、該当する居候ライフの号数を記します。
1997年10月中旬、2週間程、居候ライフ11号
1998年7月上旬、1週間程、居候ライフ24-25号
1999年1月中旬、1週間程、居候ライフ35号
1999年8月中旬、不明、居候ライフ43-44号
2000年4月上旬、3週間程、居候ライフ50号
2000年10月中旬、2週間程、居候ライフ58号
2002年5月、1ヶ月程か?、居候ライフ77号
2003年4月、5週間程、不明
居候が複数の号数にまたがっているのは、居候中に号が切り替わったためですが、私がてつオくんに頼まれて、居候ライフの題字を作った号を含めたせいでもあります。
滞在時期が不明なものは、私が作った題字が前の号に載って、居候中に筆談した記事が載った号が見つからなかったことによります。
これをみると、てつオくんは半年に一回のペースで居候に来ていたことが分かります。
居候ライフは約半数の号が手元にないので、空白期間が1年半になっている6回目と7回目の間に、てつオくんが居候に来ている可能性があります。
また、居候ライフは78号以降の号が見つからないので、8回目の居候の時期は記憶によります。
今回、居候ライフを調べるまで、てつオくんを居候させていたのは、4〜5回程度だと思っていました。なので、7年に渡るとはいえ、てつオくんが居候に8回以上来たと気づいて驚いています。
私の部屋はものが多く、大変散らかっていたので、てつオくんが居候に来ると、まず、部屋を片付けて自分の居場所を確保していました。
これはもちろん、てつオくんが来ると部屋が片付くというメリットがある一方、片付いた部屋は自分の部屋ではないみたいで、逆に居心地の悪さを感じました。
また、当初、てつオくんが居候に来る期間は1〜2週間でしたが、後に新規の居候先が確保しにくくなると、てつオくんは固定化した居候先を巡回して、一つの居候先に長く滞在することが多くなったようです。
最後の方の居候は、私もストレスを感じていた記憶があります。
また、居候先での筆談もそれほど頻繁に行わなくなっていったので、居候ライフが出されるペースが落ちていった印象もあります。
今回は、てつオくんの居候先の一つだった、サイトウさんの家で撮影した写真を紹介します。
サイトウさんは高円寺岡画郎にも出入りしていて、現在、イラストレーターとして活動している秋永悠さんと、当時ツルんでいた印象があります。
サイトウさんの家に行ったのは1999年3月のことですが、居候ライフとは関係なく、誕生パーティーか何かで呼ばれたのだと思います。

アパートの部屋の窓際にアンテナが設置されていました。

サイトウさんは当時、武蔵美の彫刻科の学生でした。作品として制作していたヤギの石膏像。
実は、岡画郎とは関係ない私の知り合いと、当時、同じ学科に所属していて、サイトウさんはその知り合いのことを知っていたそうです。
【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔