てつオくんは詩や居候ライフ以外に、音楽活動を行っています。
とはいえ、てつオくんの音楽活動をすべて知っているわけではないので、私が写真を撮ったいくつかのトピックについて書くことにします。
・アカペラパンク猿

てつおくんと児嶋ふさ子さんとのユニット、アカペラパンク猿のライブは1998年8月に高円寺UFOクラブで見ました。
この頃、高円寺岡画郎で「予定展」(色々な人のその日の予定を窓際に掲示した)があり、8月後半は頻繁に岡画郎に顔を出していたので、誘われて見に行ったのかもしれません。
名前にアカペラとある通り、2人は楽器を使わず、マイクのみのパフォーマンスでした。

写真のてつオくんはブレていますが、この写真を見た人から「珍しく動きがある」と言われるくらい、二人は曲ごとに一つの体勢をとったまま動かずに発声していました。
当時、Contax G1を中古で購入したのですが、AFがきかず、目測で距離合わせをしたら、ピントがバックに抜けてしまいました。
・マイ竹(1999年)
マイ竹は、当時、岡画郎に出入りしていた、マイアミくんと竹重くんをダブルボーカルとして起用したバンドです。
マイ竹にはほかに、斉藤晋(キーボード)くんと、木村みえ(ドラム)さんも参加しました。
マイアミくんは、「蟻鱒鳶ル」の名付け親となった、アーティストです。ご存知の方も多いと思いますが、蟻鱒鳶ルは岡さんが岡画郎をやめた後、セルフビルドを続けている鉄筋コンクリート製の建築物です。
http://arimasutonbi.blogspot.com
竹重くんは、ヤングリーゼントやDead Body Artというユニットでヴォーカルとして活動しています。
マイアミくん、竹重くんともに即興的なポエトリーリーディングに長けていたので、てつオくんは二人を組ませることを思いついたようです。
そして、てつオくんは、マイ竹のアルバムをCD-Rで出すことを考えていました。私は1997年にCD「kids」を製作したこともあり、CD-Rを焼くための機材を持っていました。
そこで、居候中のてつオくんから、CD-R専門の「中山道レーベル」を立ち上げ、その第一弾として、マイ竹のアルバムを出すことを打診されました。私はその申し出を快諾しました。
マイ竹のアルバム名は「ヤブコギ」になりました。
それは、アルバムのタイトルを決める打ち合わせで、私が中山道の廃道を藪漕ぎしたと話したところ、メンバーが「ヤブコギ」という名前を気に入ったことによります。
アルバムのジャケット写真は1999年8月28日、高円寺阿波踊り終了後の高円寺駅前で撮影されました。撮影者は本多晃子さんでしたが、てつオくんは私にもメンバーの写真を撮ってほしいと頼みました。
てつオくんは、本多さんと私の写真の中で、気に入った写真を使うつもりでした。ですが、私自身は本多さんの撮影に割り込む気はなかったため、本多さんがメンバーを撮影しているところを撮りました。

マイ竹は1999年9月8日に、吉祥寺のWarpというライブハウスでレコ発イベントを行いました。

写真の通り、てつオくんも舞台に上がり、指揮者として参加しました。また、てつオくんのお兄さんの恭平くんがステージに乱入しました。(写真右手)
マイ竹は、レコ発イベント以降、何も活動は行なっていません。
また、「中山道レーベル」も「ハイロウゼ」というお風呂での即興演奏のアルバムを作った以外、活動は行いませんでした。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔