ショート・ストーリーのKUNI[42]黒ごきぶりの会
── やましたくにこ ──

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紳士たちの会「黒ごきぶりの会」は月に一度月曜日の夜、閉店後の某うどん店を会場に開かれる。今夜、うどんを前にうかない顔で話しているのは自称一流企業のサラリーマン、中島洋介だ。


「せっかくの楽しい食事会というのに、この通り暗い顔をしていて申し訳ありません。というのも、今日はちょっとした困りごとを抱えておりまして」
「ほう、困りごとですか」柔和な表情で定年間近の高校教師、塩尻が言う。
「仕事上のことですかな、それとも」
「仕事上のことともいえるし、そうでないともいえます。というのも、あるデータを失ったのですが、整理が悪いために、そこには仕事上のデータとプライベートなデータが混在しておりました」
「なるほど、それはお困りでしょう」意味ありげに地方公務員の安田が言う。
「データと言うと、その、何ですか、パソコンを使っていてうっかりゴミ箱に捨てたとか。私もよくやりますがね。はっはっは」笑いながら言うのはかつては会社を経営していたが今はタクシー運転手の本山だ。
「ああ、そうではなく、メディアに入れて持ち歩いておりました。あるメディアを紛失したというべきでしょうか」
「メディアというとCDですか、それともMO。まさかフロッピーディスクではないでしょうな」
「フロッピー。なつかしいですなあ」
「いまでもあるんでしょうかねえ」
「いえいえ、なくなったのはCDやMOではなく、もちろんフロッピーディスクでもなく、miniSDカードです。携帯電話でも使っておりますが、たまたま人から余分にもらったのです。なんでもその人は最近携帯を買い換えたらmicroSDカードだったので、もういらないと。私も別に2枚も不要だと思ったんですが、カードリーダーを使えばUSBメモリのように使えるから便利だと教えられまして。ほら、こういうリーダーがあります。ここにmniSDを取り付けまして」
「それをパソコンのUSBポートに差し込むわけですな。なるほど」塩尻がかまぼこを口に入れながら言う。
「1枚で2GBですから、けっこう使いでがあります。そこで、日々持ち歩いて重宝しておったのですが、それが」
「なくなったのですね」
「ありうることですな。大いにありうる!」フリーのデザイナー、小田が突然熱弁をふるい始める。
「最近のメディアは小さすぎるのです。小さいからなくなりやすい。当たり前です。コンパクトにするにもほどがある。私はかねてから主張しておるんですが、フロッピーくらいでよかったのだ。大きい方が名前も書き込めてわかりやすい。そこにデザインを施す余地も生まれ、自ずと文化が形成されるのだ。LPレコードのジャケットのデザインを考えてみればいい。みなさん、かつては…」
「LPレコードみたいなリムーバブルメディアはあり得ないでしょう」
「Mac miniに入りませんぞ」
たちまち脱線しかけたところを塩尻が引き取って
「それより、なくなったいきさつをお伺いしましょう。中島さん、だいたいどこでなくなったかは見当がつきますか」
「それが家の中だとしか考えられないのです。週末、私は件のカードを含め、細々したものをいつものように鞄に入れて会社を出ました。そのときは確かにありました。そして、家に帰るといつものように自分の部屋の机の脇に鞄を置きました。ところが今日、月曜日の朝、出勤前に中身を点検していて、それがないことに気づいたのです。あわててあちこち探したところ、リーダーは見つかったがカードがない」
「ほー。miniSDカードは自分の意志で歩いていくものですかな」安田が言う。
明らかにおもしろがっている。
「カードは取り付けたままだったと思うのですが…はずしたことがあったかなあ…ちょっと覚えていません」
「ということにしておきましょう。ふっふっふ」安田が言うと、塩尻が小さく咳払いをして
「当然、ご家族の方には聞いてみられたわけですね?」
「はい。ご存じの通り、私は妻と息子、そして妻の父親と同居しております。私はすぐに家族に聞きました。妻と息子は即座に否定しました。そのときいなかった義父が20分ほどして戻ってきましたので、義父にも聞きましたが、案の定『知らん!』の一点張りです」
「あなたの部屋には日常、鍵はかかってないんですね?」
「そんなものはありません。誰でも入れます」
「朝早くからお義父さんはどこに行っておられたのです?」
「近所の歯医者です。ゆうべから虫歯が痛み出したので、歯医者が開くのを待って、いや待ちかねてまだ閉まっていた歯医者を無理矢理たたき起こして診てもらったということでした。『目も悪いし歯も悪くなる。まったくいやになる』とか、ぶつくさ言っておりました」
「土日の間にあなたは外出されましたか?」
「ええ。日曜日の朝、近くのホームセンターで釣り道具を物色しようと思って出かけたのですが、行ってみるとなんとホームセンターは臨時休業中で閉まっていました。予定より早く帰ると妻がいやがるのでその近くの遊戯場、一般的にはパチンコ屋といいますか、そこで時間をつぶして帰るつもりがあっという間に2000円もすってしまい、やはり予定より早めに帰ってしまいました」
「ははは。あなたも家にいるといやがられるわけだ」
本山がうどんのだしを味わいながら言う。
「いやあまったく、ここのうどんはうまい」
「案の定、妻はえらく不機嫌でした。『なぜこんなに早く帰ってくるのよ!』と、それはそれはものすごい怒り方で、さすがの私も頭にきて『亭主が早く帰ってきたのがそんなに気に入らないのか。たまにはうれしそうに迎えてくれてもいいじゃないか!』と怒鳴ったところ、妻はますます怒り出し、もう収拾がつかなくなりまして、その日はついに口をききませんでした。私も不愉快で、寝るのも自分の部屋で寝たくらいです」
「自分以外の人間がそういう境遇に陥るのはまったくもって愉快ですな」
本山はそう言いながららつまようじを使い始めた。
「お義父さんとはうまくいってるんですか」
「全然うまくいってません」
「息子さんとは」
「何年間も口もきいてません」
「ほほう、じゃあカードを盗む可能性は家族全員にあるわけですね」
安田が言う。
「え、盗む?! 私はカードを盗まれたと言ってません。私は自分の家族がどろぼうだとは思っていません。ただ、なくなって困っているので、なんとかして見つけたいと思っているだけです」
「ああ、すみません。つい口がすべったというか。そうですね。確かに、カードが出てくればよいわけですな。そうそう、どんなデータが入っているのかは知りませんが、そのカードが」
「まったくです。まあ誰しもメディアやパソコンの中身は見られたくないものです。ある意味、自分の秘密の部屋のようなものです」と塩尻。
「それどころか自分の頭の中のような、といえるかも知れません」
「そう、だれでも見られたくないものはありますよね、はい」
「ええっと、みなさんが何を考えておられるのか知りませんが、とにかく、見つかりさえすれば、私はいいのです」
「しかし、これは容易にわかりそうにありませんねえ。時間をかけても家捜しするしかないでしょう」

そのとき、それまで黙ってうどんや酒肴を運んでいたこの店の従業員、辺利が口を開いた。
「この会の正式メンバーでもない私が、こんなことを言うのは恐縮なのですが」
「ああ、辺利さん、遠慮なく言ってくれたまえ」安田が促す。
「そうとも。いつもあなたは鋭い考察を述べてくれる。今夜もどうやらあなたの力を借りなくてはいけないようだ」塩尻もほほえみながら言う。
「君のことだからもうだいたいの見当はついているんだろう?」
「はい。私が思いますに、カードを盗んだ、あ、いやいや、えっと、その拝借された方は、何か確認したいことがおありで、それが済み次第もとの場所に戻すおつもりだったのでしょう。ところがそれができなかったので、あわてて一時的にある場所に隠したのです」
「ははーん。つまり、カードの持ち主の帰宅が早すぎたからですな」
「しかも、その晩、中島さんは鞄のある部屋を離れなかった!」
「ああ、そうか!」
辺利はうなずき
「ですから、今晩、中島さまがふだんのように鞄とは別の部屋でおやすみになれば、翌朝にはminiSDカードは鞄に戻っていることと思われます」
「なるほどなるほど、わかりました。それならそれでいいのです。私もカードを持って行った人間を責めるつもりはありませんから。しかし、あわててある場所に隠したというのはいったい…。私もあちこち探したつもりだったのだが」
「中島さま、有名なブラウン神父の言葉を思い出してください」
「木の葉を隠すには森の中がいい、というやつですかな」
「『折れた剣』だ!。死体を隠すには死体の山を築けばよい!」
小田が立ち上がらんばかりに言う。
「その通りでございます。miniSDカードを拝借された方は、持ち主が早く帰ってきたのであわてて隠したのです。おそらくは、戸棚の中の塩昆布の鉢に」
「し、塩昆布ですか!」
「それをうっかりしてお義父さまが食べようとした」
「ああ、それで、歯を!」
「いや待ってください」と小田が割り込んだ。
「確かにminiSDカードは塩昆布と似ていないこともない。お義父さんは目が悪かったようですし、見間違うかも知れない。しかしあれは、お箸ではさめないはずだ!」
「そうです、あれはするするしています。すべります! はさめません!」
本山も同調した。
すると、中島が大きな声で
「思い出しました! みなさん、義父は時々、塩昆布をつまみ食いするのです!妻が『お父さん、やめてください』と再三言うのですが、聞き入れません。だれもいないすきを見計らって、目にもとまらぬ早さでつまみ食いするようです。お箸ではなく、指でつまむのです。だから…すべらないのです!」
「塩昆布のつまみ食いですか、それはよくありませんぞ! お義父さんは血圧は高くないのですか!」
「塩分控えめの塩昆布を買うようにしております」
「ふーむ。いちおう辻褄はあうようだが」
「半信半疑ですな」
「私もです」
すると再び中島が大きな声で
「ああ、なんということだ! こ、これを見てください! 携帯のメモリカードスロットに塩昆布が!」
「おお!」
「この香りは…山椒昆布だ!」
「昨日外出したときは携帯を持って出るのを忘れていたのです。すぐに戻ったので支障はなかったのですが、いまそのことを思い出しまして、確認しようとしたら」
「では、奥様、あ、いやいや、その、カードを拝借された方は相当に混乱して何が何かわからなくなり、思わず携帯のカードスロットに塩昆布を入れてしまったわけですな」
「ううむ。やはり辺利の推理は正しかったか」
「辺利、君にはまったく脱帽だ!」
「それにしても中島さんがどんなデータを隠し持っていたか、あるいは隠し持っていると疑われていたかが気になるところですが、それについては深く詮索することはやめておきましょう」
「そうだとも諸君、ここは紳士の集まり、黒ごきぶりの会ですからな」
「わはは」
「わははははは!」

うどん店に男たちの笑い声が響き、かくして今夜の黒ごきぶりの会もさわやかな余韻を残してお開きとなったのであった。


※これはいうまでもなくアイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」のパロディです。アシモフファンの方で気を悪くされた方がおられたらごめんなさい!でも、私もこのシリーズは大好きで、作者のアシモフには深く敬意を抱いております(#^_^#)

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みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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