ショート・ストーリーのKUNI[68]ふたつの耳/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,000文字)


「ほら、プレゼントだよ」
私が妻に小さな箱を差し出すと妻は黙ってそれを開け、軽く眉をひそめた。

「イヤリングなのね」
「似合うと思って」
「でも、これって二枚の耳につけるタイプでしょ」
「そうだよ」
「あたし、一枚にしたのよ、ほら」

驚くべきことに、妻が髪をかきあげると、昨日までは右側に耳が二枚あったのに一枚になっていた。私は一瞬、言葉をなくした。



妻は箱から出そうともせずイヤリングをテーブルに置いた。箱の中には、海の底の岩の上でしどけないポーズをとる人魚をかたどったイヤリングが入っていた。人魚のまわりには魚やゆらゆら揺れる海草、そして無数のあぶくまでもが精巧に表現され、全体は青みがかった銀色に輝いていた。それはきゃしゃな貝殻を二枚重ねたような妻の耳を美しく飾るはずだった。一枚の耳では支えられない。

「似合っていたのに。二枚の耳」
妻は黙ってしばらくガムをかんでいた。それから言った。
「あなただって、私がストラップをプレゼントしようと思って買ってきたら、ちょうどその日に携帯をなくしてきたじゃない」
「話がちがうさ」
「似たようなものだわ」

こんな小説があったなと思った。そうだ、賢者の贈り物。でも、似ているようで違う。そもそも耳は携帯と同じなのか。
「4年もしてたら飽きるわ。やっぱり耳なんてひとつずつでいいのよ」

翌日、私は街を歩いている。いつごろからか街には体のパーツの数を増やしたり減らしたり、あるいはかたちを変えている人間が珍しくなくなった。医療技術の美容への応用の一種というわけだ。背景には、原因不明で生まれつき体のある部分が欠けていたり、過剰であったりする人間が最近増えているという状況がある。職場や学校に一人は6本指や4本指の人間がいるし、それ用の手袋は普通に売られている。基準というものがあいまいになっているのだ。

昨夜の会話を思い出す。
「耳はどうしたんだ? 昨日まであった耳」
「耳屋に売ったわ。いまごろどこかのだれかが買ってるかもね」
「もう一度、耳を見せておくれ」

妻の髪をかきあげ、一枚になった右耳を見る。妻の耳はごくごく淡い桃色で、上の方の薄くはかなくなったところは繊細な飾り菓子のようである。ひとつでも十分美しい。だけど、二枚のほうが私は好きだった。これとそっくりのやつがもうひとつついていたのだ。私はあきらめきれない。

私はそれで、こうして歩いていると妻の耳に出会うのではないかと、何の確証もなく歩いている。注意深く見ていると、耳─正確には耳殻というべきか─が二枚ある女は髪をポニーテールにしている女を探すよりたやすく見つかった。だが、どれも、妻のものだった耳とは似ても似つかなかった。

夕方にはすっかり疲れ果て、私は耳のことはどうでもいいのかもしれないと思い始めた。女にとって、耳は装飾品に過ぎないようだ。私がこれほど執着するのはこっけいにみえるだろうか。

足取りもためらいがちになったころ、前を行く女が二枚の右耳を持つことに気づいた。なんとなく似ているような気がする。妻の耳に。私はそれで女の後をついて行く。女は長い髪を青く染め、砂色のコートに大きなバッグを肩から提げている。せかせかした足取りで歩き、バスに乗り、4つ目の停留所で降り、またせかせかと歩く。私は身を隠すこともせず女の後をついて行く。当然ながら女はアパートの入り口で振り返り、くっきりした陰影の濃い目でいぶかしげに私を見るが、拒絶するわけでもない。
「入る?」

アパートの中に入ると女はバッグを下ろすなり聞く。
「二枚の耳が珍しい? いまどき。こんな人間はたくさんいるわ」
「そうじゃない。私の妻の耳じゃないかと思って」
「私の耳が?」
「妻が耳屋に売ったというものでね。いまごろどこかのだれかがその耳をつけているかもしれない」
「私のは生まれつきよ。つけたものじゃないわ」
「そうなのか」
「時々いやらしい目をした男が聞くわ。二枚とも感じるのかって。イエスと答えることにしてるわ」

女は聞かれてもいないことを早口で言うと急に黙った。
それからコートを脱いだ。
「私はよく知らないんだけど、耳屋では実際には引き取りはあまりないらしいのよ。古い耳は」
「古い耳?」
「何年も一人の人といっしょにいた耳。なぜかというと、耳には記憶が残っているらしいの」
「記憶? 記憶は脳に残るのでは」
「私もそう思うけど、そういう耳をつけるとね。何か聞こえるんだって。何か。聞きとれそうで聞き取れない言葉のようなものが、耳鳴りみたいに時々聞こえるそうよ」
「もっともらしい話だ」
「ばかね。うそよ」
「うそなのか」
「それより、どう? きれいだと思わない?」

女が薄いセーターの首の横をずらすと、肩から二の腕にかけての部分がむき出しになった。そこには人工のうろこがびっしりと張り付けられていた。女が腕の角度を変えて見せると、それは紫から青、青から緑へと色を変えながらさらさらと光を放った。

私は翌日からも毎日、街を歩きながら妻の耳を探す。探しながら、いつのまにか私には二つの耳を持つ女より、顔や手に人工のうろこを張り付けた女ばかりが目につくようになっていることに気づく。

それで私の足はいつしかまたあの女のアパートに向かってしまう。女はまだ帰っておらず、ドアの前で私が待っていると、すっかり夜も更けたころ、女が帰ってくる。
「君はうそをついている。やっぱり君の耳はぼくの妻の耳なんだ」
「しつこいのね」
「よく見せておくれ」

私が髪をかきあげ、耳をまじまじ見つめると女は体の芯をどこかに置き忘れてきたようになってしまう。
「ごめんなさい。うそよ。私は耳を、耳屋で買ったの」
「やっぱりそうだったのか」
「あなたの探している耳かもしれないけど、でも、だったらどうするの」

確かに私はどうしようと思っているのだろう。

私は指先に人工うろこの感触を残したまま家に帰る。妻は寝室ですやすやと寝息をたてている。

妻を起こさないよう気をつけながらシャワーを使い、冷蔵庫からコーラの缶を取り出す。ぷしゅっと音をさせながらも頭の中ではあのイヤリングを思い浮かべている。愛らしい人魚とあぶく。ゆらゆら揺れる海草。あれはどこにしまったのだっけ、洗面所の戸棚だったかテレビ台の下の開き戸、それとも。あのイヤリングは久しぶりの高価な買い物だった。いや、値段がどうというよりも、造形的にとてもすぐれたものだ。名作といっていい。あれは、二つの耳を持つ女、そして、それは二つの耳ならどんな耳でもいいというわけでなく、あの耳に似合うものなのだ。

私はコーラをごくりと飲んではうなずき、また飲んではうなずき、まったくそうだ、と、もうちょっとで声に出して言いそうになる。缶を手にしたままそこらを探し回る。そうしているうち、いつもはあまり見ることのないキッチンの引き出しも開けてみた。すると、私は見つけたのだ。

引き出しの中にチャックつきのビニル袋に入った耳。私はぽかんと口を開けたまま見入った。

「耳屋に売ったわ」

あれもうそだったのか。私はわからなくなった。でも、耳はちっともすてきじゃなかった。引き出しの中では。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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by G-Tools , 2009/10/29