ショート・ストーリーのKUNI[204]「雲になろう」株式会社/ヤマシタクニコ

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夫が帰宅するやいなや彼女は話しかけた。

「ねえ、雲になりましょう、私たち」

「はあ?」

夫はけげんな顔でネクタイをほどき上着を脱ぎ、いままでマスクでもかぶっていたかのように、顔を上下左右にくしゃくしゃにこすり、ついでに髪もばさばさにほぐし、それからふーっと息を吐き、テーブルに着いて言った。

「意味がわからないけど」

「雲になるのよ、私たち、死んだら」

「倒置法で説明してくれてありがとう」

「今日、ネットを見てて、雲形定規について調べてたの。そしたらその後、facebookに行ったらサイドスペースに広告が出るようになったの。『雲になろう』株式会社という名前の会社」




「なんで雲形定規を」

「それはどうでもいいの。私は思わずその広告をクリックしたわけ。そこはある会社のサイトだった。あらかじめ契約しておけば死後、雲になれるの。というか、私たちの体を使って人工雲を作ってくれるわけ。

技術的なことは私にはよくわからないけど、だから雲になると言っていいのよね。どう? 素敵と思わない? 死んだら雲になって、空に浮かんで、そしてやがて消えていくの」

「雲にならなくても消えるさ」

「雲は美しいわ」

「死んだらわからない」

「あなたが死んだら……私はその雲を見ることができる」

「ぼくが死ねばいいと思ってるのか?」

「そんなこと思うわけないじゃない!」

夫は黙って、彼女が作った料理を食べ始めた。それからテレビをつけた。

「ねえ、いい企画と思わない? 私はあなたが死んだら冷たい湿った土の下のお墓に入ってほしくない。私も入りたくない。あとに何も残らなくていい。雲になってすっかり消えてしまうなら、それは理想だわ」

「これぞまさしくクラウドってわけか。どっかのソフトの会社を思い出すじゃないか。世の中不景気だデフレだとかいうのに、月々けっこうな額の出費だ。まったく」

「真剣に考えて。私たち、もうそういうことを考えなくちゃならない年なのよ」

確かに、と彼は思った。来年60になる。うそみたいだ。墓だとか葬式だとか、そんなこと永遠に先のことだと思っていたのに。だが、なんだか気に入らない。すぐに死ぬと決まったわけじゃない。

彼は身近な人々を思い浮かべた。職場のあの先輩は70を過ぎているが元気で、仕事量は少し減らしたとはいえ現役で働いている。死ぬなんて想像したこともない。

行きつけのカフェのマスターはもっと年上のはずだが、てきぱきと店を切り盛りして、新しいメニューも増やしている。そんな人はいっぱいいる。自分もあんなふうに長生きできるかもしれないじゃないか。

一方で早死にした友人もいる。大学時代の友だちは卒業して就職したと思うとすぐに事故で死んだ。いとこにも30代で亡くなったものがいる。だが、そんなのは例外だ。運が悪かったんだ。なんであわててそんなことを考えなくちゃいけないんだ、死後だとか雲だとか。

「ねえ、あの話考えてくれた?」

「何の話だ」

「雲になる話よ」

「どうしてそんなにあわてなくちゃいけないのかさっぱりわからないね」

「私、登録したのよ。ううん、単にその会社のメールマガジンの読者に。そしたら今日のメールに『説明会のご案内』があって。来週だって。行ってもいいかしら」

「その場でむりやり契約させられて金をむしりとられるわけだ」

「私、そんなばかじゃないわ」

「みんな自分ではそう思ってる」

「もしそんなふうになりそうだったらすぐ帰ってくるわ。それより……」

「それより?」

「どんな雲になりたいか、自分で考えられるんですって。あなたはどんな雲がいい? 色とか形とか、好きなようにできるとしたら」

「興味ないんだ」

「そんなこと言わないで、考えといてね。説明会、行ってくるから」

彼女の頭の中は「雲」のことでいっぱいだ。どんなかたちがいいだろう? 好きなかたちということは、具体的なものに似せることもできるのだろうか?

たとえばブーツとか、自転車とか、いちごとか。あまり鋭角的な形状は向いてないか。いや、そんなことはないだろう。リアリティを追求するか、そうでないかだ。色をつけることはできるのだろうか?

彼女は実際の雲を思い浮かべた。買い物の行き帰りに観察をするようになった。見るたびに雲は異なっていた。雲は動き、流れ、輝いたと思うとかげり、生まれては消えていった。

低い位置でえんえんと連なる雲もあれば、高くそびえる巨大な塔のような雲もあった。あんな雲になれるだろうか。まさか。きっとものすごい料金になる。

入道雲コースとか綿雲コースとかあるのだろうか? 自分や夫なら、もっと小さい雲にしかなれないかも。うろこ雲のたったひとつのうろことか。

いや、大きさはどうでもいいではないか。私だけが「あれが夫だ」とわかればいいのだ。そして、消えていくところを見届けることさえできれば。

一方ではこんなことを考えるのは不吉ではないかという考えが浮かび、違う違う、と否定する。私は夫が死ぬことを期待しているわけではない。これはだれでも考えておかなければならないことだから考えているだけだ。でも、何にも考えなくてすむなら、どんなにいいだろう。


ある日、彼女はふと思いつく。そうだ、手がいいわ、と。

彼女は夫の手が好きだった。肉厚でふかふかして、手のひらの大きさに比べて指はやや短い、クリームパンみたいな手。でも、その手に包まれると限りなく安心できる。いや、安心できたという記憶がある。

──そういえばずいぶん長い間、その手にふれていない。

彼女はプリンタに差し込まれていたA4の紙を引っ張りだし、ボールペンでクリームパンのような手を描こうとした。なかなか難しくて、何本もの線を重ねたりそれをまた取り消したりする。手のかたちをした雲がぽっかりと浮かぶところを想像しながら。

それは太陽の光を浴びて輝くだろう。「おい、あれを見ろよ、手の形をした雲だ!」「ほんとだ!」知らない人は驚いてそう言うだろう。

手はぷかぷかと浮いて、上昇し、それからゆっくり、空に溶けていくだろう。私が愛した人の手。自分の口元がいつのまにかほほえんでいることに気づく。

説明会会場は大勢の人でごった返していた。中年の女がほとんどだ。席が足らず立っていると、不意にみんな移動し始める。四列に並ぶらしい。彼女もあわてて移動し、ぶつかったり足を踏まれたりしながらとにもかくにも列に並び、順番がまわってくるのをひたすら待つ。

やっと順番が来て、担当者の前の椅子に座る。担当者はぱりっとしたスーツを着こなしているが、どこかちゃらちゃらして好きになれない。

誰かに似ている。大学生だったころつきあっていた男、だろうか。でもあの男ならいまはもっと「おじいさん」のはずで、目の前の男はせいぜい40代だ。と思っていると質問されてはっとする。

「絵は持って来られましたか?」

雲のイメージ図だと気づき、バッグから取り出す。男はそれを見てかすかに眉をしかめるが、まあいいだろうとばかりにうなずく。それから

「ご主人のは?」

「え?」

「これはあなたがなりたい雲ですね?」

「はい……いや、えっと……ああ……夫に、なってほしい雲かな」

「どちらなんですか?」

「どっちでも…」

「どっちでも、ですか。じゃあお二人とも同じものでいいですか?」

「あ……そこまで考えてませんでした」

「ご夫婦で契約するとなると、お二人のイメージ図が必要です。同じでもいいですが、本当にそれでいいのか、はっきりしないことにはうちも困りますので。ご夫婦でよく話し合われて、代理申請の場合はサインが必要です。でないと契約はできません。次の方」

「待ってください」

「ご覧のようにたくさんの方が待っておられるので。だいじょうぶ、また説明会はありますよ。日程は決まっていませんが」

「とりあえずこれだけでも受け付けてもらえませんか」

「できません」

彼女はボールペンで書いた絵を受け取ってもらおうとするが、男は押し返す。クリームパンの絵がくしゃくしゃになる。後ろから人が押す。なんだかわからないまま列からはじき出される。いつのまにかいた夫に大声で言う。

──だから言ったじゃないの、ちゃんと考えてね、と。あなたが考えてくれないから受け付けてもらえなかったじゃないの! せっかく雲になれると思ったのに! 

そこで目が覚めた。説明会の会場に向かう電車の中だった。

実際の説明会会場はがらんとしていた。参加者は彼女を含めて10人いるかどうか。開始時刻になって現れたのはまだ若い男だった。彼女からみれば息子とでも言えるような。彼女はバッグに「手」の絵が入ってることを確認するが、なんだか場違いな気がする。

「本日はお集まりいただきましてありがとうございます」

部屋はしんとしている。

「『雲になろう』株式会社のプランにご賛同いただき、ありがとうございます。われわれは30年後に実用化できることを当面の目標としておりまして、まずは賛同者および資金獲得に努めているところです」

彼女は耳を疑った。30年後? ウェブサイトをプリントしてきたものを取り出し、何ページもあるそれをめくった。字が細かくて読みにくい。

「こうやってみなさんに出会えたのも、何かのご縁と考えています。雲になるという夢を共有しながら、さまざまな活動を展開できればいいかと思っています。今日のところはまずみなさんとざっくばらんにお話をしたい。

○○県にたいへんすばらしい自然環境に恵まれた土地がありまして、私たちの仲間がそこで共同生活を営んでおります。次回はそこの見学もしていただけるかと……」

「あ、あのう」

がまんできずに彼女は手を挙げた。はい、と説明者が指名する。

「30年後というのは本当ですか」

「当面の目標です。それより遅れる可能性もあります」

力が抜けた。

「夢に向かって進む、そのプロセスにこそ意味があると考えています。ちなみに、『株式会社』としましたが、まだ正式に株式会社ではありません。『雲になろう』株式会社という団体といいますか。そのことが問題になるようでしたら、名称の変更もあり得ますが……私たちは、決してあやしいものではありません」

失笑が起こる。参加者の何人かはよく知っている者同士らしい。そういえば、参加者もみんな自分よりはるかに若い。そのときになって、プリントしたページの最後のほうに小さな文字で書かれた説明文を見つけた。

雲になるという夢にむかって共にすすむご理解ある方の参加をお待ちしております。──夢はいつかかなう──

帰りにスーパーに寄って買い物をすると少し気晴らしになったが、ひとりで料理をしているとなさけなくて涙がぽろぽろこぼれた。

若いころから自分はあわてもので、すぐに目の前のことで頭がいっぱいになる性格で、「また早とちりして」と指摘されることがよくあった。そんな自分を困ったやつだと笑おうとしたがうまくいかなかった。

でも、なんとか夫が帰ってきたときには普通の顔をしていることができた。食卓に着いた夫に自分から「今日、説明会に行ってきたけど、笑っちゃった! 実現するのは30年後か、もっと先だって。私たち、間に合わないわ」と言うこともできた。よし、自分にしては上出来だ。

「30年後?! なあんだ。それは残念だな」

「そう?」

「うん。実は…雲の案を考えていたんだ」

「あら、ほんとに?」

「うん。ちょっとね…けっこういい案だと思うんだけど」

夫は照れくさそうに笑った。

「そうなんだ!」

彼女も笑った。

「ぼくはね、君と違って考えるときは真剣に考えるんだ。どうせならみんながあっというような、かっこいい雲になりたいから」

彼女はうなずいた。また涙がにじんできた。


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この間テレビの「ガッテン!」で寝相のいい人(あまり寝返りを打たない人)は腰痛持ちが多いから、それを解消すれば腰痛がなおる──みたいなことを言ってた。

私も、昔から自分は夜寝たときのまま朝目覚めてるような気がするし、最近は起きたときに腰がちょっと痛いので、それはよくわかる。だけど、だからといってどんどん寝返りする人になれるものかなあ。

番組では枕とか布団をこうすれば寝返りを打ちやすい、という話になっていたと思うが、別に寝返りを打ちたいけどできない……わけでもないんだが……。