Scenes Around Me[15]AKIRAさんとの事(4:1996年12月-1997年1月)「記録」についてのレクチャーを受ける/関根正幸

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前回、AKIRAさんのパーティーで酔い潰れたことがきっかけで、「偽アンディ・ウォーホル展」のスタッフをすることになったことまで書きました。
http://bn.dgcr.com/archives/20171024110100.html

ここで、偽アンディ・ウォーホル展の内容を説明すると、もしアンディ・ウォーホルが1990年代の日本に蘇ったら何を作るかというコンセプトで、ウォーホルの作品で取り上げられたイメージを、日本的なモチーフに置き換えて展示するというものでした。

http://www.akiramania.com/warhol/00contents.html

上のリンク先にあるように、キャンベルスープがおかめ納豆に、マリリン・モンローが山口百恵に、ブリロの箱が愛媛みかんの箱に、銀の風船がドラえもん風船に置き換わるという具合でした。

エンパイアステートビルを長時間撮影し続けた映画「エンパイア」も、都庁を3時間撮影した映画「都庁」をフェイクとして会場に流すことになり、1997年の元旦に固定カメラで都庁を撮影するよう、AKIRAさんに依頼されます。

その際、カメラを回すだけでなく、撮影風景も写真に記録することと、撮影中に警察とトラブルになるかもしれないので、そうなったら、その現場も記録してほしいと頼まれました。

そうする理由の説明として、AKIRAさんから以下の内容のレクチャーを受けることになります。






アートの流行は人間が世代交代する30年で繰り返す。

1910〜20年代に興ったダダイズムは、戦争を挟んだため10年遅れたが、1950〜60年代のネオダダ・フルクサスとしてリバイバルした。

さらにその30年後の現在(1990年代)、ネオダダのリバイバルが起こっていて、岡画郎やのざらし画廊はその流れの中にある。

なので、1990年代に起こっていることは、30年後の2020年代に再評価されるはずだが、そのためには十分な記録が残っている必要がある。

1960年代のハイレッドセンターの活動は、東京の片隅でこじんまりと行われたに過ぎないが、今日評価されているのは、赤瀬川源平氏の文章もさる事ながら、当時の記録写真が残っていることが大きく、どちらか一方だけでは、説得力を欠くに違いない。

よって、都庁の撮影においても写真記録を残しておくことは重要である。



連載を最初から読まれている方は気づかれたかもしれませんが、そのレクチャーは、私が「記録」という行為を意識するきっかけになるものでした。

ただ、それで私が直ちに記録魔になったわけではなく、その時は「そういうものかなぁ」と思っただけでした。



もちろん、AKIRAさんの依頼通り、都庁の撮影は写真記録として残しています。

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写真に写っているのは、撮影スタッフとして同行した、当時、女子美術大学の学生だった(旧姓)中山裕子(ミッシェル)さんと、後にイラストレーターになる小田切竜太郎君です。

二人とも20歳前後だったので、撮影も学校の実習か何かと思われたかもしれません。

この時は、カメラを据えた西新宿の布団屋のご主人夫妻に大変お世話になりましたし、警察とトラブルになることもありませんでした。



最後に、撮影した映像がどういう形で上映されたか、原宿DUGで開催された「偽アンディ・ウォーホル展」の会場写真を紹介して今回は終わります。

https://farm5.staticflickr.com/4477/36964776383_d2b1005a25_c.jpg
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【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。