ショート・ストーリーのKUNI[231]われわれは生まれ変わる/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:12分(本文:約5,500文字)



ハナ子は思った。今ならマユ子に勝てるかも。

マユ子は中学のときの同級生である。初めて目を合わせたとき、お互いに「へー、自分より地味でどんくさそうなやつがいた」と思った。

そんなやつとあえて仲良しになりたいとは思わないもので、おたがい近寄らないようにしていたのだが、結果的にはずるずるとつきあいが続いている。

教室で先生にあてられて、教科書を読むときの声の通りにくさ。体育の授業でバレーボールをやってもバスケットボールをやっても、ただ集団のまわりをのろのろとついてまわってるだけというぶさいくさ。

家庭科の実習や理科の実験での要領の悪さ。集合写真では必ず目をつぶってしまうタイミング読むの下手さ。どれをとってもクラスで、いや学年で一、二を争った。





成人して、社会に出てからも、たまにばったり会うことがあった。地下鉄の駅とか道の真ん中とか。

二人とも事務職の仕事をしていたが、やはりというか何というか電話が苦手だ。人前で敬語を駆使してしゃべるのも、愛想良く笑うのも。

「滑舌ってどうしたらよくなるの?」
「知ってたら苦労しない」
「そうだよね」
「お茶を入れるのはいいけどノックして持って行くのがいやだよね」
「ロボットが運んでくれたらいいのにね」
「私ら、早く生まれすぎたのかもね」

不毛な短い会話をしてはまた別れる。OLになってもハナ子とマユ子はそれぞれの職場で一、二を争う、いや、ライバルがいないためにダントツのどんくさい人間なのだ。ああいやだ。自分を見ているようで。なのに忘れたころに出会う。

ハナ子が結婚した頃、マユ子も結婚したらしい。けっこう近いところに住んでいて、たまにばったり会う。お互い「へー、よく結婚したなあ」「主婦やってるんだ、いっちょまえに」と思いながら、ほんとにちゃんとやってるのかいと一抹の疑念を抱きながら、会えば短い会話をする。

だが、たまたま買い物の現場を目撃して納得した。そのときはスーパーの特設会場で産直セールをやっていて、いかにも新鮮そうな野菜を売っていた。いわゆる対面販売。ハナ子やマユ子の大の苦手な分野だ。

カゴに入れてレジに持って行けばいいセルフ販売とは違う。プロの主婦の力量が求められるシーンだ。そこにマユ子がいた。ハナ子は「おおお」と、尊敬の念を持って離れたところから見ていた。

現場は「ちょっとちょっとにいちゃん、このおナス!」「これ一盛り!」「玉ねぎ、早うしてえな」といった声が飛び交い、異常な盛り上がりだ。私にはとても無理だな、マユ子、えらい。成長したんだな。ちょっと声かけてやろうか……。

ところが、どんどん買い物を済ませて引き上げていく主婦たちが、ハナ子の前を通り過ぎていくのにマユ子が現れない。どうしたんだろうと思っていると、人だかりがすっかり消え、たったひとり残った女が見えた。マユ子だ。

「あー、奥さん、最後になってしもてごめんな! 何? え、よう聞こえへんがな。ああ、ウスイエンドウ? うーん、これしかないけどええか?!」

元気のかたまりみたいにびんびん響き渡るおっさんの声に、マユ子はかすかにうなずき、売れ残ったウスイエンドウ一袋を買っていた。その背中がなんとなく薄幸そうだ。やっぱり。

一生懸命声を出していたのだろうけど、聞こえなかったのか……聞こえるどころか押しのけられて、近寄ることもできなかったかも。

マユ子……わかるよ……われわれには対面販売は無理なんだよ……世の主婦たちに太刀打ちできるわけがないんだよ……。

それからしばらくして、またばったり会う。マユ子が言う。

「商店街を歩いていたら魚屋さんに『そこのべっぴんさん! このハマチどないや!』と声かけられて、どう反応すればいいのかわからなくて、『あっ』とか『いえ、はい』とか意味不明な返事しちゃった」

うんうん。

「冗談なんだってわかってるんだけど、なんかうまく返せないんだよね。私、きっと場違いだったよね……」

わかる。ハナ子も似たようなレベルなのだ。プロの主婦ならどうするんだろう。笑い飛ばす。ふつうに「別にええわ」と言う。レベルが上がれば「いやー、イケメンに言われたらしゃあないなあ!」などと返せるようになるんだろうか。

自分たちがそこに至るには100年かかりそうだ。同じクラスだったあの顔この顔、思い浮かべてみても、それぞれもっとうまく対応してそうな気がする。自分たちはいつも遅れているのだ。



お互いもんもんと過ごしているうちに年月は流れた。

ハナ子は電話には少しずつ慣れていった。メーカーのサービスセンターという、見知らぬお客からの電話をたくさん取らねばならない職場にまわされて、さすがに慣れたのだ。

もちろん、同期で入ったものはハナ子よりどんどん早く慣れていった。ただし辞めるのも早かった。結果的に最もどんくさいハナ子が、意図せず一番のベテランになっていたのだ。もうすっかりおばさんと言われる年齢に達していたので、まあ自然なことではあったが。

ある日、後輩がハナ子に言う。
「ハナ子先輩、電話うまいですねー」
びっくりした。

それ以後、何か変わったと自分で思った。違う。正確に言うと、変わりそうだと思った。何か変化が起きる予感が遠慮がちに、ぼこっ……と発生したという、まあそんな感じ。

ある日、ハナ子は夢をみた。寝苦しい。パジャマなんか着てられない。眠ったまま手や足をもぞもぞ動かして脱ごうとする。なかなか脱げない。パジャマが妙に体にフィットしているからだ。いらいらする。そのうち、ある個所に指がふれた。

──ここが「切り口」なんだ。

焼そばのソースの袋みたいに切り口があった。そこに指を入れると、一瞬体が裏返るような猛烈な痛みが全身を襲い、その後、うそのようにするするとパジャマが脱げた。ああ、気持ちいい。痛かったけど。脱げた……。

ふと目が覚めると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。光の中にハナ子は見た。自分のそばに透明なくしゃくしゃとしたものがある。それが朝日を浴びると急速にしゅしゅしゅと縮んで消えていき、やがて跡形もなくなった。

なくなる直前に、ハナ子は見た。そいつは人間のかたちをしていたのだ。

突然、ハナ子は体が軽くなったような気がした。力がみなぎっている。やたらと人に話しかけたくなる。なんでも話せそうな気がする。今まで何を遠慮していたのだろうと思う。ものすごい勢いで出勤の用意をして出かけた。歩くスピードまで速くなったようだ。

「ハナ子先輩、今日はいつにも増して元気ですよね」
後輩にも言われる。

「そう?」
「さっきも電話でお客さんとワハハと笑い合ってたじゃないですかー」
「まあねー」

ハナ子は思った。今ならマユ子に勝てるかも。滑舌が悪く、もごもご何を言ってるかわからず、いつ知らない人から話しかけられるかと、年中どぎまぎおどおどしてたマユ子に、あのみっともないマユ子に今なら勝てる。もうあんたの仲間じゃないんだよ。はは。

仕事が終わるとハナ子は、ほとんどスキップ状態で電車に乗り、最寄り駅で降り、ドラッグストアに寄った。頭痛薬が切れているのを思い出したのだ。ついでに柔軟剤とボディソープも買うことにしてレジに向かう。

すると、レジの先客がハナ子に気づいて手を振った。なんと、マユ子だ。

しばらく見ないうちにすっかり変わっていて、すぐにはわからなかったが、それはやはりマユ子だった。体重はおそらく10キロは増えているだろう。服の好みはあまり変わってないようで、そんなに派手なわけではないが、どことなくどっしりと風格が備わっている。その女が自信にあふれた口調でハナ子に言う。

「ハナ子やん! どないしてたん! 元気そう!」

やばいかもと思った。さっきまで「マユ子に勝った」と思っていた自信が揺らぐ。この変化はなに。滑舌、それなりに改善されてるし、声量も30デシベルはアップしてる。そうか。ハナ子の上に流れた時間はマユ子にも流れていたのに、うかつであった。

「マユ子こそ元気やん! ちょっと大きくなった……ような」
「太ったね」と言いにくいときは「大きくなったね」と言うものだ。

「あはは。わかる? 2キロくらいかなあ、太った」
うそつけ。2キロのはずがない。

「そや。ハナ子、このクーポン、使う?」

マユ子が差し出したのは、クーポンだらけの情報誌だ。そういうものの存在は知っているが、ハナ子は使ったことがない。正直にいうが、そもそもクーポンというものが苦手で、使えないのだ。レジで差し出す勇気が無い。え、マユ子は使っているのか!

「あ、いや……いいけど」
「え、そうなん? なんで? 5%引きになるのに。ほな定価で買うてるの? 
うそー! もったいない。そんな人いてないよ」
いや、いるだろ。

「何やったら私が一緒に買うといたるわ。ちょっと貸してみ」
「あ、いや、ほほほほんとにいいから」
這々の体でその場を離れた。

負けた。マユ子に負けた。知らない間にマユ子は自分の手の届かないところに、遙かな地平に行ってしまっていた。勝ったと思った自分がおばかだった。

それから数日後には、さらにショッキングな出来事があった。道を歩いていて「こちらはリサイクルショップです〜なんでもお引き取りいたします〜〜ラジカセ〜ミシン〜ファクスにテレビ〜」とアナウンスしながら走ってくる車が近づいてきたので、よけようと立ち止まると

「リサイクル屋さーーーん」
遠くから大きな声で呼び止める声があった。

思わず声のするほうを見ると、またしてもマユ子! リサイクルショップの車を大声で呼び止める術も習得していたとは。

呼び止めようかどうしよう、声が届かなかったらはずかしい、届いたら届いたで変な人だったらどうしようと逡巡しているうちに、いつしか遠くに行ってしまって、安堵したり自己嫌悪に陥ったりするのが移動リサイクル車だ。それを何の迷いも感じさせない、脳天気な声で呼び止めるとは。負けた。完敗だ。

打ちのめされたハナ子だったが、マユ子のことは忘れようと決めた。自分は自分だ。ひとのことを気にしてどうするんだ。忘れるんだ、忘れるんだ。呪文のように繰り返す。



そしてさらに年月が過ぎた。

ある日、また夢をみた。寝苦しい。体全体がむずむずして寝ていられない。ああ、脱ぎたい、脱ぎたい。きれいさっぱり脱ぎたい。ああ、苦しい、苦しい……ああ、体がこわれる、ひっくり返る、う、うわああぎゃばぎゃぎゃばぐわらぐわら……脱げた!

朝になってハナ子は、またもや自分のそばに自分が脱いだものを見る。夕べまで自分を包んでいたらしい透明のもの。自分の顔と同じかたちをした部分も確認できた。そして朝の光を浴びてあっという間に溶けてなくなる前に、それはかすかにほほえんだ。

お  め  で  と  う

全身の力が抜けてただ横たわっている自分の耳に、そんな声が聞こえたようでもある。何がめでたいのか、ハナ子にはわかっている。

人は脱皮を繰り返しておばはん、もとい大人になるのだ。いつ脱皮するかは人によってさまざまだし、生まれつき脱皮する必要のない人もいるのだろうけど。

マユ子もおそらく何度も何度も、これを繰り返したのだ。それはひょっとしたら、自分の場合よりもっともっと苦しい脱皮だったかもしれない。えらい。ほめてやるよ、他のだれでもない、あんたをよく知っているこのハナ子がさ。

もうマユ子はマユ子であってマユ子でない。むかしのマユ子はもういない。それでいい。

ハナ子はさらにパワーアップした。もうこわいものなどない。

もうクーポンだって使える。最近はスマホアプリか。いや、スマホのアプリを使うのは、ハードルが低すぎておもしろくない。あれは店のほうが使うことを勧めてくるじゃないか。そうではなく、店員がめんどくさいからいやがるようなサービスを、わざと使うのがプロというものだ。

対面販売なんてこわくもなんともない。八百屋のおっさんでも乾物屋のばあさんでもかかってこい。スーパーで珍しい野菜を手にとって眺めている人がいれば、聞かれてもいないのに料理の仕方を教えてやるさ。

歩いていれば道を聞かれるどころか、道に迷っていそうな人をたちまち見つけて、頼まれる前に案内してやろう。特殊詐欺を手玉に取るなど朝飯前。あの人見知りで引っ込み思案で、超めんどくさい中学生はもうどこにもいない。過去のハナ子は死んだのだ。

「ハナ子先輩、今日も元気ですね」
「あったりまえやん!」

「さっそくですけど、さっきからやっかいな電話がかかってて、新人さんが困ってるんですよ」
「やっかいな電話?」

「ええ。もうそのサービス期間は終わったと、何回も説明してるんですけど、納得してくれないんです。終わったという説明はどこにも書いてない、とすごく自信たっぷりに言って、聞いてもないのに自分から名前も名乗るんです。なんとかマユ子といってましたっけ……かなり手ごわそうです」

来たか、マユ子! どこまでパワーアップすれば気が済むのだ。だが、私に勝つと思うなよ。もう昔の私じゃないんだ。ハナ子は受話器を取った。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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夜中の3時ごろに団地のどこかでドンドン!と激しくドアをたたく音がしてびっくりした。男性らしい声も聞こえるが、何を言ってるかまでは聞き取れない。

冷静に考えれば、たぶん夜遅く帰って開けてもらえないので「開けてくれ〜」と言ってただけなのかなと思うが、一瞬びびった。しばらくすると音も声も止んだので中に入れてもらえたのだろう。

本人はそれほど自覚はないのかもしれないが、団地内は予想外に音が反響する。あの音に驚いて、かなりの数の住人がそーっとカーテンのすきまから外を伺っていたと思う(私もそのひとり)。それを想像するとおかしくもあるけど。