ショート・ストーリーのKUNI[239]大切なことはすべてスーパーで学んだ/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,300文字)



大切なことはすべてスーパーで学んだ。

私は時にそうつぶやいてみたくなる。

私は売れない小説家である。妻を五年前に亡くした、いわゆるボツイチである。

行きつけのスーパーR屋では、あるときからレジ係が言うべき文言が増えた。以前はお金を払うと、まず「○○円からお預かりします」と受け、お釣りを渡すときは「大きいほうから……○○円と、あと○○円のお返しとレシートです」となる。これで十分だと思う。

それがあるときから、最後に「ありがとうございました。スーパーR屋にまたお越し下さいませ」とお辞儀しながら言うようになった。

もちろん、上から指示があって言わなければならなくなったのだろう。みんなに嫌われている、性格が悪くて足の臭い上司がそう言ったのだ。もちろん、その上司もさらに上の、性格が悪くて腹が出ている、しょっちゅうげっぷをしている上司に言われたのだ。決まっている。





スーパーR屋は立地の良さもあってかなり繁盛しており、日によってはどのレジにも長い列ができる。

忙しいときはふだんは一人でこなしているところをバーコード読み取り担当とお金の受け渡し担当、二人の分業体制となり、そうなると今度はレジの処理のほうが早くてお客のほうがもたもたしてつかえてしまうこともある。

レジも大変だがお客のほうもいらいらしがちだ。ちっ、前のじいさん、小銭早く出せさないと進まないじゃないか……と心中ひそかに思う人がいたり、じいさんがそれを察知してにらみつけたりと、現場は殺気立ってくるのであるが、そんなときでも「大きいほうから……○○円と、あと○○円のお返しとレシートです。ありがとうございました。スーパーR屋にまたお越し下さいませ」と言う。

早い話、客も最後まで聞いてない。「ス」のあたりでさっさとカゴを抱えてその場を離れる。店員も客が聞いてないことはわかっている。「ありがとうございました。スーパーR屋にまたお越し下さいませ」の最後のほうは、ほにょふにゃへにょとフェイドアウトしてしまう店員が多い。

なかには、何が何でも指示をまっとうしようとする店員もいる。客がもう目の前にいなくてもあくまでも「スーパーR屋にまたお越し下さいませ」を最後まで言う。

客は追いかけてくる「またお越し下さいませ」を振り払いつつ、サッカー台に向かう。逃げる客。追いかける「またお越し下さいませ」。もはや闘いである。

あるとき遭遇したレジ係は、少し違った。

そのレジ係は「ありがとうございました。スーパーR屋にまたお越し下さいませ」の途中で私がサッカー台に向かうと、そこでぴたっと止めてみせたのだ。「ありがとうございました。スーパーR屋にま」

私はおどろいて振り返ったが、件のレジ係はすでに次の客をさばいているところであった。ううむ、これは……!

そして私は、ひとつの教訓を得るのだ。

──無理難題は形骸化をもたらすが、いっぽうで思わぬ才能が発掘されることもある。

私の行きつけのスーパーR屋。そこではお互い名前も知らないがたびたび出会い、顔は覚えているという常連客が何人かいる。仮称・サラリーマンA氏もそのひとりだ。

A氏は二年くらい前から、どんな事情でか突然スーパーR屋にひんぱんに現れるようになった。それまでもたまに駅前で見かけることがあった。サラリーマンらしきスーツに緑の野球帽をいつもかぶっている特徴から印象に残っていたのだが、R屋ではあまり見なかった。

A氏は夕方遅めにいかにも会社帰りという様子でやってきた。そしてかごにカップ麺や缶ビール、袋入りのスナック菓子を入れてレジに向かった。弁当をどさっと一つだけ、というときもあった。

しばらくはそんな感じだった。それがあるときから変わった。

ある日のA氏のカゴには白菜や豆腐や鶏肉、寄せ鍋のつゆが入っていた。

料理するようになったのか!

とはいっても、「寄せ鍋のつゆ」だし、材料をざくざく切って煮れば一応鍋にはなる。初心者レベルといえるだろう。

さらに数か月後。私はまたA氏と同じレジの列になる。A氏のカゴには野菜や肉に交じって、削り節の大袋や片栗粉があった。

ひょっとして、レベルが上がっている……?

その次に会ったとき、カゴにはブルーチーズやエキストラバージンオイル、ワインビネガー、生ハムがあった。

負けた。

私はというと、独り暮らしを余儀なくされ始めた頃こそまめに料理をして、それまで縁がなかった料理や食材にも挑戦していたが、いまはすっかり飽きて元に戻っていた。

改めて自分のカゴを見ると、中に入っていたのはカップ麺や冷凍パスタ、柿ピーにイカくん。これではまるでかつてのA氏状態だ。

そんな夜、風呂にぼーっとつかりながら、時々ちゃぽんちゃぽんと湯をかきわけつつ、私はつぶやくのだ。

──スーパーのカゴの中身はその人の人生そのものである。それはまたころころ変わることもあるというところが、やはり人生である。


もうひとりの顔なじみを紹介しよう。仮称・主婦Sさんだ。主婦Sさんは推定年齢63歳。特に際立った外見上の特色があるわけではない、ごくまっとうな主婦である。主婦かどうかも本人に確かめたことはないが、あくまで仮称であるのでお許し願いたい。

SさんのスーパーR屋における滞留時間は、そんなに長くない。あらかじめ立てた計画に沿って、きびきびと買い物をこなしていると思われる。

私のようにいきあたりばったりで買い物をしていると、ふと気づくと家にティッシュ5箱組が3セットあったり、深煎りごまドレッシングが何本もごろごろしてたりするという事態になるが、Sさんはおそらくそういうことはない。

どんなに「本日限り」のお買い得であっても、不要なものは買わないはずだ。そういう雰囲気がある。

ある日、Sさんは顔見知りであるらしい女にからまれていた。その女も何回か見かけたことがある。Sさんの知り合いであることは初めて知ったが。

その女のことを覚えていたのは、しょっちゅう店内で立ち話をしているからだ。通行のじゃまになるようなところでも、すぐそばで検品が行われていようとも意に介さず、知り合いを見つけては平然と立ち話をする。それがまた長い。

気の毒に、Sさんもあの女の餌食になるのか。私は同情を禁じ得なかった。しかし、Sさんはそうはならなかった。

Sさんは会話を続けながらごく自然に、おしゃべり女とともに移動した。そして、巧妙に冷凍食品のコーナーにいざなった。

近隣のスーパーの中でも、R屋の冷凍食品コーナーはダントツに寒い。そこは一年を通じてすさまじい冷気が絶え間なく噴出しており、5分とじっとしておれないという評判なのだ。

さすがのおしゃべり女もそれには耐えられなかったようだ。やがて何食わぬ顔でひとり、別のコーナーに移動するSさんの姿が確認できた。Sさんはその日もさっさと買い物を済ませ、すがすがしい顔でR屋を出て行った。

さすがだ。私はSさんのもとにひれ伏したい思いだった。


ある日、私は紅茶を買おうと決めていた。今日買わないと明日の朝のミルクティーが飲めない。すっからかんなのだ。

私は紅茶のコーナーに直行した。いつものティーバッグ50個入りをカゴに放り込む……つもりが、そこには先客がいた。背中の曲がった、人生の先輩というか、お姉さまである。

お姉さまは紅茶ではなく、そのそばの日本茶を物色しているのだが、お姉さまのひざのあたりに紅茶のティーバッグ50個入りがあって、ちょっと手を出しにくい。

うっかり手がぶつかったら、転倒してケガでもするかもしれない。あとにしようか。そうだ、牛乳も切れてたっけ。そっちを先にしよう。

しばらく経って、再び紅茶のコーナーに行ってみると、なんとお姉さまはまだそこにいた。さっきは手にぶら下げていた布製のバッグと、別の店の袋を床にじかに置き、ほとんど座り込んでいる。よくわからないが本格的に腰を据えて、じっくりお茶を選んでいるようだ。

仕方ないのでもう一度、ほかのコーナーをまわることにする。そういえば、今日はパンが安い日だからパンのコーナーに行ってみるか。

パンのコーナーから戻ってくると、まだお姉さまはいた。まじか! そんなに時間をかけて、一体、お茶の何を調査しようというのだ。私が紅茶を買うと決めた日に限って。

私は自分の腹の底から、マグマのごとく怒りがこみ上げてくるのを感じた。ああ、これはよくないぞ。よくないぞ。私はマグマを抑えようとやっきになるが、それはもはや自分の手に負えるレベルではなくなっていた。

だめだ。爆発する。

ええかげんにせえよおおおおお!

そう口から出かかったとき、向こうからいかにも紳士然とした、初老の男がやってきた。仕立ての良さそうな高級スーツが、スーパーR屋でものすごく浮いている。

「やあ、おひさしぶりですね! こんなところでお会いするとは」

それはかつての職場で知り合った森巣氏であった。私は編集部、彼は企画部に属していた。私が退職したあとも彼は残り、役員になったといううわさだった。

「森巣さん……どうしてここに」

「いやあ、実は娘夫婦が近々この近くに引っ越すことになったんです。このあたりには家賃の安い住宅も多いと聞きまして」

「はあ」

「まだ若いので贅沢はできません。安いのが一番です」

「そうですよね」

「それでこのあたりを見てまわってたのですが、こんなふうににぎわってるスーパーも近くにあるし、よい街のようですね。物価も安そうだ」

そんなに何回も「安い」と言わなくてもいいじゃないか。

「いやしかし、お元気そうでなによりです。今度ゆっくり、つきあっていただけませんか。安い店で」

「はあ」


私はその夜、梅酒のお湯割りをちびちびと飲みながら自己嫌悪に陥っていた。自己嫌悪に陥っていた理由のひとつは、久しぶりに森巣とあった日に限って、そろそろ処分しようと思っていたフリースを着ていたこと。もうひとつは、結局紅茶を買い忘れたことだ。

私はしみじみとこうつぶやくのであった。

人生は不意打ちの連続だ。フリースはさっさと処分すべし。


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洗ったお皿やコップを入れておく、水切りカゴを新調した。もとのはステンレス製で、その前に使ってたプラスティック製にくらべて、長持ちするんじゃないかと思って買ったのだが、しばらく前から周囲に水がたまるようになった。

おかしいなあと思ってよーく見たら、受け皿の隅に小さな穴が空いていた。すり切れて?! 特に乱暴な使い方をしたわけでもないのに、ステンレスってそんなに弱いのか……とりあえず新しい水切りカゴは、受け皿が白いプラスティック製のものにした。