ショート・ストーリーのKUNI[59]みどりのねじ
── ヤマシタクニコ ──

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ある朝、テーブルに着いたぼくは、朝刊とシュガーポットの間に一本のねじを見つけた。
みどり色にくすんだねじで、長さは3センチくらいだろうか。かなり古びた感じで、マイナスの溝のある頭部はうっすらさびている。

「これ、どうしたんだ」
奥さんに聞くと
「あんたのじゃないの」と言う。
「ぼくの?」
「ゆうべあんたが入った後のお風呂に入ったら落ちてたのよ。お風呂マットの上に」
「風呂場に?」
「あんたの年頃になるとよくあるらしいわよ。男は」
「なにが」
「ねじが抜ける、てこと」
「え、じゃあ、これはぼくの体のどこかから抜けたねじだというのかい」
「それ以外にあり得ないじゃない」



ぼくはしげしげとねじを見つめた。ねじの頭にはなにか小さな文字が刻印されているようだ。でも、小さすぎて読めない。
「何て書いてあるんだろうね」
そういうと奥さんはやってきて、ねじを近づけたり遠ざけたりして、読んだ。
「1956.12.11」
「ぼくの誕生日だ」
「だから言ってるじゃない」

そうなのか。これが、ぼくの体から。では、ぼくの体はこうしている間もどこかで何かがゆるむかずれるか、不必要にこすれあったりしているわけだ。でも、特に異常は感じない。今のところ。

「気にすることないわよ。まだ一本だし」
奥さんが言う。
「あんたの年齢くらいが平均なのよ。はじめてねじが抜けるの。だいじょうぶ。だれだってあることなんだから」
ぼくはネットで調べてみようとした。
でも、「ねじ」で検索すると膨大な量の情報がひっかかってくるし、「ねじが抜けるとは」で検索すると、ほとんど何も得られない。

「ネットなんかでわかりゃしないわよ」
奥さんが背後から言う。なるほど。ぼくたちはネットを過信しているかもしれない。

ぼくはふと思い出す。
「今日は日曜日だね」
「そうよ」
「じゃあぼくが買い物に行ってくるよ」
「そう言うだろうと思って、買い物メモをつくっておいたわ。ほら」
奥さんが差し出したメモには

○サラダ油
○ティッシュ
○だしの素(以上は特価品)
○カリフラワー

と書いてあった。
「カリフラワーなんかぼくはきらいだよ」
「ねじが抜けるのを防ぐのに有効な成分が含まれているんですって、カリフラワーには」
「ほんとかい」
「ほんとよ」
「ふうん」

ぼくはぶらぶらとスーパーまで歩いて行った。スーパーの前では縁日みたいにベビーカステラや七味唐辛子の屋台が出ていた。七福神の大黒様のような顔をした男がいらっしゃい、いらっしゃいと笑いかけた。風船を持った子供が通り過ぎた。ぼくはなんだか楽しくなって、ねじのことを忘れた。すると、ひとりの女の子がぼくに話しかけた。

「ねえ、おじさん、あたしの詩集を買ってよ」
「詩集? いまどきそんな子がいるんだね」
「いるわよ。あたし、詩人なんだ」
「それがその詩集かい」

ぼくは、女の子が持っている冊子を指さした。花模様の紙を表紙にあしらった、はがきくらいのものだ。
「うん。でも、はずかしいから中身は見せないよ。買ってくれるまでは」
女の子は肌がつるつるで色白で、人形のようだった。とても短いスカートをはいている。
「じゃあ買うよ。いくらだい」
「500円でいいよ。あたしのキスつき」
ぼくは詩集を買い、女の子にほほにキスをしてもらった。
案の定お金が足りなくなったが、カリフラワーを省略すればちょうどいいくらいだった。

「ただいま」
「おかえり。カリフラワーは買ったかい」
「いいや。そのかわり、詩集を買ったよ。ほら」
ぼくはうきうきしてポケットからきれいな花の表紙の冊子を取り出し、奥さんの前で広げた。
そこには何も書かれていなかった。
「白紙じゃないの」
ぼくはぽかんと口を開けていた。
「あんた、だまされたんだね」
いくらページを繰ってみても、すべて白紙だった。ぼくは女の子のキスの感触を思い出した。すべすべの肌と、スカートと、脚。

「せっかくあんたのためにカリフラワーを、と思ったのに」
「カリフラワーはいいよ。あまり好きじゃないし。君だって好きじゃなかっただろ」
「好きじゃないけど、あんたのために、いっしょに食べようかと思ったの」
「怒ってるの」
「怒ってないわよ。カリフラワーくらい、また明日買えばいいし」
「うん」
奥さんは急に立ち上がってエプロンをつけるとばたばたとそこら中を片付けたり、汚れてもいない布巾を洗ってしぼったりした。
鼻をぐすん、とすすった。
「別にカリフラワーなんてどうでもいいのよ」

いくつもの記憶がよみがえった。これによく似たいくつもの場面。その記憶の中で決して奥さんにやさしくなかった自分を、ぼくは冷静に見つめることができた。
ぼくは少しはやさしい人間になれるのかもしれない。それは、ねじのせいだろうか。

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