ショート・ストーリーのKUNI[61]飛ぶ
── ヤマシタクニコ ──

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嵐の去った翌朝は、道にちぎれた小枝だとかまだ青いままの木の葉とか、まれには子どものおもちゃなんかが散らばっているものだ。私がそんな道を歩いていると、小枝や葉っぱに交じって女がひとり、横たわっているのに出会った。

女は、簡単な衣服を身につけてはいたが、はだしで、もちろん、何も持っていなかった。私を見ると起き上がり、私が歩き出すと無言でついてきた。そのようにして私は女を連れて帰り、そのまま一緒に暮らし始めた。それがいまの妻だ。つまり、妻はちぎれた小枝や枯れ草、キャラメルの包み紙などと同じように嵐に乗ってどこかから飛んできたのだ。

そういうことがよくあることかどうかは知らない。でも、妻に捜索願いも出ていなかったらしいことから察するに、世間では絶えず、だれかが嵐に乗ってやってきたり、またどこかへ去っていったりするのだと思われる。

私は隣の奥さんに「おふたりはどこで出会ったの?」と聞かれたことがある。私は笑いながら「道に妻が落ちていたのです」と答えた。隣の奥さんはとてもおもしろそうに笑っていた。

最初のうち、妻は強い風が吹くたびに室内で身を固くしておそろしそうにしていた。その風にのって、またどこかへ運ばれてしまうと思っていたようだ。私のほうでも、嵐の夜はたとえ真夏でも戸をしっかり閉めて用心した。妻がどこかへ行かないように。でも、だんだん平気になった。

それから何年もたった。私たちは人なみにけんかもするようになった。
「おまえなんか顔も見たくない! またどこかへ飛んでいってしまえ!」
「あなたが行けばいいのよ!」
「ああ、いいとも、飛んで行ってやる!」


しかし、どうやって飛んでいけばいいのかわからない。私たちがけんかしているときは風もなく穏やかな夜で、けんかしていないときに限ってごうごうと嵐ふきすさぶ夜だったりするのだ。

あるとき、ちょうどいい具合に、けんかが始まるか始まらないかのうちに風が吹き始めた。まるで私たちのいさかいにシンクロするがごとく風力が増し、雨もざあざあと降り始めた。時折稲光も加わる。

「おまえなんかどこかへ飛んで行ってしまえ!」
「あんたこそ、どこかへ飛んで行って、二度と戻らないで!」

私はそう言われると心底腹が立ち、ベランダに通じる戸を開け放ち、激しく降る雨をものともせずコンクリートの床面にはだしで降り立った。6階からあたりを見渡すと、むらむらと沸き立つ泥のような雲と、ひどい拷問に苦しんでいるように揺れる木立が、夜なのによく見えた。

そして、どうすればいいのかわからないが、とりあえず大きく深呼吸をし、吹く風がすべて自分に向くように念じた。すると、足元がふわりと数ミリ、浮いたように思った。おっ、これでいいのかと思ったそのとき、私は数メートル向こうに見たのだ。嵐にさらわれ、黒い夜空を飛んでいく人。隣の奥さんだった。

「先を越されたからやめとくよ」
私は部屋に戻った。妻の視線の先はおそろしそうに私を通り越して、黒い空にあった。

その晩、私は夢をみる。黒い夜空をスーパーマンのように飛んでいる。私は自由自在に空を飛べるらしい。だが、行く手から泥でできたちくわが無数に飛んでくる。顔にあたると不愉快なことは想像がつくので、顔をそむけるが、泥のちくわは腕にも肩にも降り積もっていく。私の体はどんどん重くなり、失速する。どんどん、どうでもいいような気がしてくる。だが、なぜちくわなのかわからない。

隣のご主人とはその後何回も駅で会った。クリーニング屋で大量の仕上がり品を受け取っているところを目にしたこともある。でも、特に変化はないようにみえた。

夜、私はふと思い出し、妻のうなじを指先で探る。あの日、道で見つけた女を私は家に連れ帰り、風呂場で洗ってやった。女の髪にもほほにも、小さな土の粒や葉っぱのかけらがいくつもくっついていたから。

そのとき、ちりん、と小さな音がして、見ると金色のプルトップが一枚、浴室のタイルの上に落ちていた。私が指でつまみあげ、どこから落ちたんだろう?ときょろきょろしていると、女が無言で自分の首のあたりを示した。

それは女のうなじにくっついていたプルトップだった。何時間も押しつけられていたせいか、うなじにはくっきりとプルトップの痕がついていて、不思議なことにそれはその後もしばらくついていた。まるで、嵐の夜を飛んできた者とそうでない者を識別するしるしであるかのように。

「もう消えかけているね」
私の言葉に、妻はうなづいた。

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