ショート・ストーリーのKUNI[67]マイ・ブラジャー
── ヤマシタクニコ ──

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あたしはブラジャーが大好きだ。女と生まれながら、ブラジャーが嫌いな人って多い。きゅうくつ。肩がこる。しめつけられる! だから、どこにも出かけない日はノーブラでいるって言うひとも、ともだちの中に何人かいる。

あたしはそんなの理解できない。ありえない。あたしはブラジャーが好き。きゅっとしめつけられ、支えられるのが好き。だから、一日家にいるときだって、寝るときだってはずさない。あたしがブラジャーをはずすのはお風呂に入っているときだけ。お風呂からあがったらまっさきに、つける。ブラをはずしたあたしの乳房はたよりなくて、どうしていいかわからず困っているように思えるから。

生まれてはじめてブラジャーをつけた日のこと、今でも覚えている。真っ白なブラに包まれた自分の胸を、あたしはまぶしく見下ろした。ごく控えめな「谷間」もできていた。それはあたしの胸であって、そうでないように見えた。顔にもスタイルにも自信がなかったあたしだけど、胸は、そこそこのような気がした。やっほー。あたしは乾杯でもしたい気持ちだった。まだ、お酒なんか飲んだことなかったけど。


「ナツミ、今日、ひま? 買い物につきあってほしいんだけど」
ともだちのエリカから電話だ。
「ひまじゃない。デートなの」
「またあの、ろくでもない男と?」
「そうよ、あなたのいうところの、ろくでもない男とね」
「ろくでもない男1? それともろくでもない男2? 3?」
「なに、それ」

「バツイチの自称WEBデザイナーってひとがいたでしょ。あれがろくでもない男1」
「どうしてろくでもないの。オオノさんはやさしいし、お酒を飲むととてもおもしろいブラックジョークを聞かせてくれたわ。そう、もう過去形だけど、いい人だったわ」
「でも、オオノさんは女とみればだれにでも同じジョークを言ってたのよ。ナツミにだけ言ってたわけじゃないのよ」
「で、でもいいのよ!」
「そう? いいの? で、ある日デートの約束場所に行ってみたらいくら待っても来なかった、ダブルブッキングしてたことがあとでわかった...それでもいいの?」
「いいのよ、一度や二度、そんなことあるわよ、だれでも!...うっかりしてたのよ!」
「WEBデザイナーっていうのもあやしい」
「別にいいもん」

「それから、大学院に行ってた男の子がいたでしょ。あれがろくでもない男2」
「どうして、ナカムラくんがろくでもないのよ。ナカムラくんは頭が良くて、何でも知ってて教えてくれたわ。あたしがパソコン使ってて、マウスでドラッグしようとしたら机の面積が足りなくてマウスがそれ以上動かなくなって困ってたとき、いったんマウスを浮かせて戻してやればいいって教えてくれたわ」
「そんなことくらいだれでも教えられるわ。大学院行ってなくても」
「学会の発表で富山や仙台に行くたびにおみやげ買ってきてくれたし」
「あんた、おみやげで釣られるわけ? 富山のしんきろうこけしなんか安いわよ」
「値段じゃないわ! 旅の間も私のことを考えていてくれた、そのことがうれしいの!」
「でも、ほかの女の人には富山のしんきろうこけしプレミアムを買ってきてたかもしれないわよ」
「ありうる...じゃない、ない、ないわよ、そんなこと!」
「結局ナカムラくんにも恋人がいたでしょ? 隠してたのよね、そのこと。認めなさいよ、自分がだまされてたこと」
「いや、たぶん...それはあたしがちょっと距離をおくようになって、それからつきあいだした...と思う。あたしが悪かったのよ。ちょっと誤解されるようなこと言ったから、それで」
「往生際が悪いのね。で、今日のデートの相手はろくでもない男3ってわけね」

「どうしてタナカくんがろくでもないのよ、あんなに純粋な人はいないわ! 口べたで損してると思うけど、小説家になる夢のために定職にもつかず、貧乏生活を堪え忍びながらがんばってるのよ!」
「結局、単なるフリーターかもよ。小説家を『志望する』ことはだれでもできるけど、才能がなきゃなれっこないんだし。まともな職を探したほうがいいんじゃないの」
「ああああたしは、タナカくんの書いたものを読んだことあるけど、とてもおもしろかったわ! 特に野菜三部作『かぶらロードよ永遠に』『電気なすびは電球の夢をみるか』『ピーマン娘の冒険』なんて、最高だったんだから!きっといつか認められるわ」
「あらそう」

「それにね、タナカくんって、いつもとぼけた風で口数も少ないけど、ときどきめっちゃおもしろいこと言うの! ジョークの才能は天下一品よ! あたし、もうおなかが痛くて痛くてどうしようってくらい笑かされるんだから!」
「たまに言うジョークのためにつきあってんの? あんたって、ひま? 結局いつも、言葉でころっとだまされるタイプなんだ。オオノさんはおやじサンダルの裏に目鼻くっつけたみたいな顔だったし、ナカムラくんはゴーヤの陰干しみたいだったから、顔はどうでもいいみたいだけど。ほんとに困ったひとね」
「あんたこそろくな男とつきあってないから、わからないのよ!」

あたしはぶちっと携帯を切って出かける支度をした。エリカは悪いひとじゃないんだけど、こと男に関してはひねくれた見方をするんで、対処に困ってしまう。よっぽど苦い経験でもあるのかもしれない。ある意味かわいそうな人かも。

「待った?」
あたしとタナカくんはN駅前のP書店パソコン関連本コーナーで落ち合う。あたしは30分も遅刻した。タナカくんは穏やかなスマイルを浮かべて「いま来たところだよ」と言うけど、実際にはマニュアル本を1冊の半分くらい読み終わっているにちがいない。あたしはそういうやさしいタナカくんが好きだ。そして、どこか浮世離れしてて、世渡り下手そうなところも。あたしがいないとどうなるのよ、この人...そう誤解して人生誤る女が多いってこと、あたしだって知ってるけど、タナカくんに限っては、ほんっと、その通りなんだ。

あたしはタナカくんと並んで歩き出す。今日のあたしの胸を包んでいるのは数あるブラの中でもお気に入りのやつ。ワインレッドの色もすてきな3/4カップブラ。ホールド感といい、適度の締め度といい、見た目だけじゃなく構造的に優れていて頼りになるやつ。あたしの背筋は自然とぴんとなる。足がすっ、すっと前に出る。ストライドが伸びる。自分がすごくかっこいい女になった気分。

「今、何か小説書いてるの?」
「うん。毎日書いてるよ。書かなくなったらおれがおれじゃなくなるような気がする。たとえお金にならなくてもいいんだ。書くことと生きることは、おれにとって同義なんだよ」
「すてき。がんばって。あたし、タナカくんの感性を信じてるよ。すごくユニークだと思う。絶対、書き続けてね」

あたしは決してうそやおせじじゃなくそう言った。もしタナカくんが売れっ子の作家になったら自慢できる...という気持ちはないこともないけど、それって打算になるんだろうか? いや、そんなことないよね。

いつものようにあたしのおごりってことでオープンカフェのテーブルに着き、カップの中のキャラメルマキアートが半分くらいになったところで、タナカくんはちょっと真剣な顔をしてあたしを見た。

「実はその...頼みたいことがあって」
「頼みたいこと? なに?」
「実は、ともだちから電話がきてね。それによると、ともだちの彼女が、その...できちゃったんだけど、ともだちのほうは、結婚する気はないんだって」
「ふーん」
「で...お金がいるんだけど、ともだちにはそのお金がなくって」
「へー」
「こんなこと頼んでいいのかどうかわからないけど...ナツミ、ひょっとして、その...持ってないかな、大金というほどじゃないんだけど、その」
「え? あたしが?」
「うん」
「でも...それくらい、持ってないの? そのおともだち」
「え? いや、だから...」
「高校生ならわかるけど...そのおともだちって...かなりお金に困ってるわけ?」
「そうだなあ...困ってるみたいだ」
「でも...」

言葉の途中であたしは「あっ」と思った。ともだちの話じゃないんだ。できちゃった、って、それ。えっと。つまり。

あたしの前のタナカくんの顔が、なんともいえない表情になる。あたしを笑っているような悲しんでいるような。それからその顔がぐにゃぐにゃにゆがんで縮んでポロシャツの襟元にしゅるしゅるっと吸い込まれたと思うと今度はどことなく小ずるそうでタナカくんとタナカくんじゃない何か別の邪悪な生き物とを混ぜてこねくりまわしたような顔がぬうっと現れ、それが耳元で
「だいじょうぶだよね、ナツミなら」

あたしは思わず答えた。
「あ...も、もちろんよ! そのくらいのお金...あたし、こうみえてもね、ニコニコ商事の敏腕OLなの。お給料もしっかりもらってるし。タナカくんの...いや、タナカくんのお友達を助けるためなら、そのくらい」
「ほんと?」
タナカくんの顔がぱっと明るくなった。あたしは涙が出そうだった。その笑顔があまりにもかわいくて、同時に、まったくおばかな自分自身がかわいそうで。

その後、あたしはうわのそらだった。カフェを出て歩いているときも、あたしは今にもこぼれそうになっている、いや0.7粒くらいはもうこぼれている涙をなんとか引っ込ませる、もしくは急速乾燥させるにはどうすればいいかで頭の中がいっぱいだった。ああ、どうしよう、困った。困った。

いや、思い出した。あたしにはとっておきの方法があるのだ! これまで食べたおいしいスイーツの数々を、脳裏に浮かべてみる。ホテルTのマンゴーパフェ...なめらかなのどごしがたまらない...カフェJのスイートポテトパイ...ああ、あのぱりっとしたパイ皮とポテトの甘みが...それからコンビニFの期間限定レアチーズケーキ...パティスリーMのキャラメルプリンケーキ...等々。

そうしているうち、あたしはすっかり涙が引っ込んでいることに気づくのだ。おそるべしスイーツの魔力! はたして、タナカくんはまったく私の内なる悶々に気づかず、「おれ、幼稚園のとき、ぶらんこに乗ってて落ちたら、そこに犬の糞があってさー」とか言ってる。ほっ。

信号の手前でタナカくんが言う。
「あ、さっきの本屋、ちょっと寄っていい? さっき買おうかどうしようか迷ってた文庫本があって」
「いいよ」
あたしもいっしょに本屋に戻り、タナカくんが急いで文庫本売り場に向かう間、雑誌コーナーを眺めていることにした。

一人になるとまた、あたしの涙腺がゆるみかけてきた。さっきのタナカくんの件に加えて、オオノさんにデートをすっぽかされたときのことやナカムラくんに「実はつきあっているひとがいるんだ」と聞かされたときのこと、もっと昔につきあってた人からホワイトデーでもらったストラップを喜んでつけてたら、同じものを同時期につけ始めた子をともだちの中に発見したときのこととか、いつのまにか頭の中はこれまでの泣きそうな場面一挙大公開状態。

あわててスイーツの画像と差し替えようとするものの、マンゴーパフェもチーズケーキもいまいちパワー不足だった。ああ、こういうときのためにもっと、スイーツイメージのアーカイブ、充実させておかなくちゃな...強力なやつを2つ3つ入れて...すると、あたしのお尻のあたりに妙な感触が...。

気のせい? いや、そうじゃない...あたしの後ろにぴったりくっついている男の手があたしのスカートの中に! 痴漢だ! あたしは、む・かーっときた。そしたら、それを機にあたしの中で一瞬にしていろんな感情がほとばしり、高速で回転する駅ナカのショップのジュース製造器みたくぎゅわああああんと旋回してあふれんばかりにふくれあがり、バクハツするのが見えた。見えたんだ、迫力大画面3D映画並みに。あたしは叫んだ。

どいつもこいつもあたしをばかにしやがって!

すると、それは起こった。あたしはたくましい腕で抱きかかえられるのを感じた。どんな男よりたくましく、分厚く、頼りになる手があたしの胸をしっかり抱きかかえ、包み込み、ぐーっと持ち上げる。それは、あたしのブラジャーだった! あたしの体はそのままぐわーっと宙に浮いたかと思うとくるりと回転し、降下するとみせてあたしの脚が自分でもよくわからないままに動いた、と思うと男を思いっきり蹴っ飛ばしていた。

ぐ わっしゃー!

あたしはすとんと着地した。自分が今やったことが信じられず、まわりでみんながぽかんと口を開けて見ていることをうっすらと意識しつつ、それはまったく夢をみているようで、しかし次第に霧が晴れるように現実感が増して、目の前の、額から血を流してうなっている男を見た。それはろくでもない男3、もといタナカくんだった...痴漢は、たぶん、すばやく危機を察知して逃げ去ったのだろう。

「ごめん、ごめんね、タナカくん」
痛そうに顔をしかめるタナカくんが、あたしはマジ心配でかわいそうでならなかった。同時に心の中で叫んでもいた。ありがとう、マイ・ブラジャー!
                         続く(うそ)

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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私も2作品を収録してもらっている「超短編の世界 vol.2」が出ました。
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超短編の世界〈vol.2〉
創英社出版事業部
創英社 2009-09

by G-Tools , 2009/10/15