ショート・ストーリーのKUNI[72]猿山さん
── ヤマシタクニコ ──

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1月4日の夕刻、寅田さんはこたつにほおづえをつき、その日届いた一枚の年賀状を手に、考えるというほどでもなく考えていた。

「あら、あなた。どうしたんですか。そんなスリッパのゴムが切れたような顔をして」
「そういうおまえは妻の道子か。ちょうどいいところに来た。おまえ、私がこの人に年賀状を出したかどうか覚えていないか」
「猿山一郎さん? 毎年来る人ですわね。出したんじゃないんですか」
「出したかなあ」
「出した人の一覧とか、そういうものをとっておかなかったんですか」

「控えは取っておくときもあるが取らないこともあるんだ。今回は忙し過ぎてついさぼってしまった。出したような気もするし、出さなかったような気もするし、意外に出してないような、やっぱり出したような。考えれば考えるほどわからなくなる。だいたい元旦ならともかく、今日はもう4日だ。猿山さんは出さなかったが私の賀状を見て返信としてくれたようでもあるし、単に投函が遅れたようでもある」

「わからないんなら、もう一回出せばいいじゃないですか」
「だぶってたらどうする。いかにも『私はあなたに出したかどうか覚えていません』と言わんばかりじゃないか。猿山さんにしたら気が悪いだろう」
「じゃあ好きにしてくださいよ。だいたい、猿山さんには今まで毎年出してるんじゃなかったんですか」



「そう思うだろ。ところがそうでもないんだ。猿山さんとはかれこれ30年、年賀状のやりとりをしてきた間柄だ。元旦に私が猿山さんの年賀状を見ながらおせちの数の子で一杯やっていたとき、猿山さんも私の賀状を見ながらするめで冷や酒を飲んでいたことだろう。いや、毎年12月の下旬には私は書斎で、猿山さんは四畳半のこたつで、おたがい年賀状書きに精を出していたはずだ」
「うちのどこに書斎があるんですか」

「しかし、まったく会わないでいると、あるときふと、これでいいのだろうかと思うときが訪れるものなのだ。単に自己満足だけで出し続けていたのではないか、あるいは一種の片思い。自分はよくても相手には迷惑だったかもしれぬ。そんなことをあれこれ考え出すと止まらなくなり、忘れもしない平成3年の暮れ。思い切って猿山さんに年賀状を出すのをやめた。右手が勝手に『猿』と書いてしまいそうなところを左手で必死でとめ、出さなかったのだ」
「あら」
「当然、平成4年の元旦に猿山さんからの年賀状が着いたが、返信もしなかった。すると平成5年の元旦には猿山さんからの見慣れた筆跡の年賀状はなかった」
「それでいいんじゃないんですか」

「そう思うだろ。ところがそうなってみると私は寂しくてしかたなかった。猛烈な後悔の念が私を襲い、それは強くなる一方だった。正月気分どころではない。雑煮の餅も5個しか食べられなかった。いつもは8個食べるのに。私はたぶん、猿山さんを傷つけてしまった。よく考えたらあの態度はまるで『私はあなたからの年賀状がくるのがいやでたまらないだ』と言ってるようなものではないか。なんということだ。何の罪もない猿山さんを傷つけて平気か。何様だ、私は。それで平成6年にはまた賀状を出した。しかし、当然というか何というか、元旦に猿山さんからの賀状は来ない。4日ごろにやっと猿山さんからの賀状が来た」

「あなたが書いたのであわてて書いたのでしょうね。よかったじゃないですか」
「そう思うだろ。ところがそうなってみると私はまた後悔した。ああ、猿山さんはやっぱり、もう私には年賀状を出さないつもりだったんだ。私のことなんかもう忘れてあじあじしていたかもしれない」
「それはひょっとして『さばさば』のだじゃれ」

「ところが、元旦に私の年賀状があったので、あわてて返信を出した。余計な気をつかわせてしまった。4日に着く年賀状なんてどうしても『あなたから届いたからしかたなく返事を出しました』という感じになる。誘われたから来たけどほんとはあなたなんかに興味はないのよ、誤解しないでねと言うようなものだ。猿山さんの真意はそうではない。猿山さんはそんなふうに思われるのがどれだけいやだっただろう。ほんとなら元旦に着くよう早めに出しているはずなのに、そうさせなかったのは私だ。まったくなんといういやな人間だろう。自分で自分がいやになる。それで平成7年の年賀状は心を鬼にしてやっぱり出さないことにした。猿山さんのことは忘れることにした」
「え、また出さなかったんですか」

「そしたら平成7年の元旦に、きちんと猿山さんの年賀状がっ」
「あたりまえでしょ」
「年賀状は私を見つめて泣いているようにみえた。私がこうやって元旦にちゃんと来ているのに、ひどい人、ひどい人、と。肩を小刻みにふるわせてすすり泣いているように」
「あなた、病気ですわ」
「それでこらえきれず猿子に返事をだした」
「猿山さんです」

「私の年賀状はおそらく1月5日、ひょっとしたらもっと遅くに着いたかもしれぬ。まるで『ふん、おれは出したくないが、きさまがろくでもない年賀状を書いたもので仕方なく返事を書いたのだ。これでいいのか。こんな年賀状がほしいのか。くれてやるよ』と言ってるようではないか。最低だ。礼儀知らずにもほどがある。私のような人間はどんな仕打ちを受けても仕方がない。酒を浴びるように飲めとか極上にぎりを腹一杯食べろとか宝くじの一等前後賞つきが当たってしまえとか言われても甘んじて受けよう、私こそはそれに値する人間なのだから。そのように反省して、翌平成8年はきちんと、元旦に着くよう出したのだ。すると猿山さんからも元旦に賀状が来た。何年ぶりだ。われわれはひしと抱き合った」
「好きにしてください」

「それ以来、しばらくは毎年きちんと出していた。元旦に40型液晶テレビが正月特番をにぎやかに放送するリビングで私が猿山さんの賀状を見ていた同じ頃、猿山さんは14型テレビデオの鎮座する室内で私の賀状を手にしていたことだろう。平和な正月が戻ったのだ」
「うちにはこわれかけのブラウン管テレビしかありませんけど。でも、それ以来年賀状に関しては問題がなくなったわけですわね。よかったですこと」

「そう思うだろ。ところが、それがまた崩れたのだ。忘れもしない平成14年の暮れ、私はインフルエンザを患った。ひどいインフルエンザだった。おかげで年賀状の制作が遅れてしまい、やっと投函できたのは大みそか。たぶん、配達されたのは1月3日か4日ころだろう。私の年賀状が元旦に来なかったので猿山さんは『そうね、やっぱりそうなのね』と悲しんだにちがいない。それは暖房もない冷え冷えとしたアパートの四畳半。裸電球の灯りの下にうずくまった小さな背中にはこらえようとしてもこらえきれない悲しみがにじみ出ているではないか。私はその背を抱きしめ、それは誤解だと、伝えられるものなら伝えたかった。けれど私に何ができよう。次の年の元旦、猿山さんからの年賀状はなかった。私は」

「いい加減にしてください。なんですか、さっきからおとなしく聞いていたらいい年した大人がうじうじぐちゃぐちゃとねちょねちょと。ああじれったい。うっとうしい。そんなことどうでもいいではないですか。どうせあなたの独り相撲なのよ。猿山さんはなんにも思ってないかもしれません、いえ、思ってないはず。そもそも気にするくらいなら何も考えずに毎年出せば」
「おまえにはわからないのだよ。3年使ったまな板の裏みたいな顔をして。この微妙なかけひきこそが人生なのだ」

「忘れたころにリベンジしないでください。だいたい、猿山さんってどういう関係でしたっけ」
「何をいまさら。猿山さんといえば」
「猿山さんといえば?」
「あれ? 猿山さんって、だれだっただろう?」
「何を言ってるんですか。毎年年賀状を出してるんでしょ」
「そうだよな。待てよ...」

寅田さんは急に立ち上がって隣の部屋に行き、押し入れの奥の方をかきまわし始めた。そこへ電話が鳴った。道子が受話器を取った。
「はい、寅田でございます...ああ、あけましておめでとうございます...え、そうですか、それはどうも...」

寅田さんは押し入れから段ボールの箱を取りだした。その中からひとつの古い年賀状の束を取りだし、一枚一枚めくっては仔細に見始めた。
「おい、たいへんだ!」
「どうしたんですか、あなた」
「これは30年前、猿山さんから来た一番初めの年賀状だが、よく見たら、私あてではない」
「えっ」

「住所の丁目がひとつ違う、別の人にあてられたものだ。牛川五郎左衛門様...聞いたこともない人だ。すると、私は間違って自分のところに届いた年賀状を自分宛だと信じ込み、それ以来30年間、年賀状を出していたのか。道理で猿山さんの顔も声も記憶にないなあと思っていたところだ」

「ええっ、さっきの電話は猿山さんからで『たまたま近くを通りかかったのでこれから伺います』ということだったんですけど。それで『いつもお世話になってます。どうぞお越しください』と言ってしまいましたわ」
「ええっ」

そこでチャイムが鳴った。

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年末に立てた2010年の目標のうち「新しいデジカメを買う」を去年のうちに実行してしまいました。LUMIX GF1です。まだ全然使いこなせてませんが、今年は写真ももっともっと楽しみたいと思ってます。時間がますます足りません。