ショート・ストーリーのKUNI[83]ほっといてくれ
── ヤマシタクニコ ──

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その日もぼくはパソコンに向かってだらだらと仕事をしていた。ふと時計を見ると12時をまわっている。もう寝支度にかかってもいいころなのだが、そういうときに限って人間は何か食べたくなるものじゃないか。そうだよね? ほんの少し、口寂しいというかものたりないというか、なにか落ち着かないというか、そんな気分になるものだ。

などと説明している間にも、ぼくの足は勝手にキッチンの冷蔵庫のほうに向かって動き始めた。足が勝手に動くのだから仕方ない。

するとぼくは驚いた。ぼくがこれから向かおうとしていた冷蔵庫の前にはすでに先客がいて、今しも冷蔵庫の扉に手をかけようとしているところだ。ぼくが事態を把握できずに頭の上空30センチくらいの空間に特大クエスチョンマークを浮かばせていると、男はそのままためらいもせず、冷蔵庫を開け、ふふふ〜ん、と鼻歌を歌いながら中を物色し、やがてにんまりと笑みを浮かべるとチーズ鱈の袋を取り出した。そして、冷蔵庫の扉を閉め、戸棚から皿を一枚出してそこへチーズ鱈の中身を半分くらい、ささ、さっとあけた。

男はそのまま無言でそばのテーブルにつき、むしゃむしゃと食べ始めた。ぼくがすぐそばにいるのにまるで気づいていないように。なんだよこいつ。しかも、その食べっぷりがどことなく不快感をあおる。男の風貌も、どことなく不快だ。どこが不快なのかと聞かれてもうまく言えないと思うけど。そう、どこにでもいるふつうの男だけど、すごく不快なのだ。



すると、男は急にぼくに気づいたように目を上げ、ぼくをまともに見た。
「やな感じだろ?」
「え?」
「真夜中に冷蔵庫から何か探して食ってる男ってさ」
「え...まあ」
「特にさ、冷蔵庫の中をぐるりと見渡し、チーズ鱈に気づいてにたりとしたところなんか、もう、ぞっとしたろ」
「ええ」
「君もね、いつも思ってるわけ。もう寝る時間なのにいじましくものを食べる習慣って、かっこ悪いと。改めないと、と」
「ん...まあ」
「そこでおれは、そういう行為がいかにみっともないかをわからせるためにここにいるわけだよ」
「はあ?」
「つまりさ。おれみたいな男が夜中に冷蔵庫を開けて、何かないかと物色して、あげくのはてにチーズ鱈を出してむしゃむしゃと食べてたら『こいつぶんなぐってやろうか』と思うくらいみっともないだろ。君のしようとしてたことはそういうことなんだよ。おれはそれを見せてやったんだよ」
「はあ」
「じゃあ今日はこれで」

そういうと男の姿はふっと消えた。何なんだ、あいつは。幻覚か。それともぼくはねぼけているのか。でも、チーズ鱈の中身は確実に減っている。

次の日、ぼくはまた夜中にだらだらとパソコンで作業をしていた。友だちに頼まれて、結婚式の案内状をパソコンで作ってやることにしたのだ。「案内状? まかせておけよ! そんなもの、寝ててもできるさ!」と言ったものの、いざやるとなると、ついついネットで遊んだりおしゃべりしたりでなかなかとりかかる決心がつかず、始めたのはついさっきだ。

するとぼくは驚いた。ぼくのすぐ横にあの男がいるのだ。パソコンを出して、なにか作業をしている。思わずその画面をのぞきこみ、ぼくはぞーっとした。

デスクトップがフォルダやファイルのアイコンだらけで、しかもそれが整列も整頓もされず、ぐちゃぐちゃになっている。見苦しいことこの上ない。さらにのぞきこむと、フォルダやファイルの名前が「ファイル5」とか「ファイル7」って、それでわかるのか。ファイルはファイルと書かなくてもファイルだろ。「テスト1」「テスト2」あたりはいいとして「テスト16」「テスト24」なんて、一体どんだけテストする気だ。何のテストか知らないけど。

dmgファイルもいくつも散らばってるし、デジカメから移したままと思える「RIMG××××」という数字と記号だけのファイルもいっぱいあるけど、どうする気だ。早く何とかしないとわからなくなるぞ。かと思うと「思い出」なんていやに情緒的な名前のファイルがあるのはなんだ。ひょひょひょっとしてエロ? 「重要」「マル秘」というファイルがデスクトップに堂々とあるのもどうなんだか。

のぞきこんでいるうち、次第にぼくは自分の顔の左半分くらいがひくひくと痙攣し、ゆがんでくるのがわかった。そのデスクトップのあまりのひどさに...ではなく、それと似たようなものをどこかで見たことがあったからだ。どこだったろう...。

ぼくのデスクトップだ!

すると男はにたりと笑ってぼくを見た。
「こういうデスクトップって、いらつくでしょ? もっと整理しろよ、とか思うでしょ? こいつ、ばかじゃないのかと思うでしょ?」
「そ、それをぼくにわからせるために来た、とでも」
「そうそう」
「何がそうそう、だよ!」
「いや、別にいいんだよ。だれが何と思おうがどれだけむかつこうが、きみのパソコンなんだから」
「じゃじゃじゃ、じゃあ、そんないやみなことすんなよ!」
「そうだね。じゃあ今日はこれで」
またしても男はふっと消えてしまった。

3日後、ぼくはやはりパソコンに向かってだらだらとしていた。それにも飽きたので、テレビでも見ようかと思い、椅子を半回転させてテレビのほうを向いた。すると、先客がいた。またあの男だ。男はリモコンを勝手に使ってテレビの電源を入れる。ぼん、と音がして画面が出ると、男はリモコンをせわしげに使ってどんどんチャンネルを変える。

ニュース番組が映り、アナウンサーが「内閣支持率がまた落ちました」というと「あったりまえだろ!」と言ってすぐにチャンネルを変える。そこではこぎれいなセットの中で若いキャスターが某女優に向かい「いつもほんとにおきれいで」と言ってるところだったが、男は「お世辞いうな! どこがきれいなんだよ!」とつっこみ、またチャンネルを変える。

今度はドラマだ。「え、そんな...」「ほんとなの、啓一さん、あたし」「そんな、君が、君が余命一年だなんて!」思わず、お、これって初めて見るドラマだな、どうなるんだろうと思って身を乗り出すぼく。すると男は「くっさ〜。なんじゃこりゃ!」とまたチャンネルを変えてしまった。あんまりだ。何の権限があってそんな...いや、しかし、これも...???

すると男はぼくのほうを向いてにっこり笑った。
「こんなふうに次々チャンネルを変えて、つまみぐいしては文句を言うやつってみっともないと思わないか?」
「ぼぼ、ぼくがそうだというのか!」
「さあ?」
「そ、それこそ勝手だろ! 自分が見たいものを見て、たたた、たとえテレビに向かってつっこんだとしてもだれに迷惑かけてるっていうんだ!」
「もちろんだれにも迷惑なんかかけていないさ。じゃあ、これで」
男はまた、すうっと消えてしまった。

さすがの温厚なぼくも頭にきた。こんなことが続いてはたまったもんじゃない。
それで会社で話してみたところ、意外に経験者が多いことがわかって驚いた。
そればかりか、経験者は解決策も教えてくれた。

「先輩に『そういうときはなすびを食べさせると出なくなる』と言われ、試したらほんとに出てこなくなったよ」
「よくあることだよ。おれの場合、蚊取り線香をたいたら出なくなったけどね」
「シャンプーを変えたら出なくなったよ」
「最終的には開き直ることだね。自分は何も悪いことはしていない、みっともないのがどうした、と開き直るのだ」

なるほど。そこでぼくはシャンプーを変え、蚊取り線香をたき、家の中のあちこちに皿に盛ったナスビを置いておき、思いっきり開き直ったところ、はたして何が効いたのか、あの男は出てこなくなった。

そういうわけで、ぼくは今夜も夜中に冷蔵庫をあさるつもりでいる。もちろんパソコンのデスクトップの整理なんかするもんか。

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