ショート・ストーリーのKUNI[91]一生分
── ヤマシタクニコ ──

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ある日、オオバさんはスーパーのパン売り場でメロンパンをを手に取った。今しもかごに入れようとしたそのとき、棚に据え付けられた7インチくらいのモニタが歌い出した。

「オオバサン、オオバさん、そのメロンパンがオオバさんの最後のメロンパン♪るるる最後のメロンパン♪ るるる、るるる♪」

なんだ、これは。思わず声に出してつぶやくとすれちがった見知らぬ男が
「だからそれが最後だって言ってるんだよ。親切なことだ」
「最後?」
「それであんたのメロンパン度は100%になる。一生分のメロンパンを食べてしまったってことだ。だからそれ以上もう食べられないんだ。限界なんだ」
「ああ、そういうことか」

なんとなくわかったが、そういう場合、あえて買うのがオオバさんだ。彼はメロンパンを買い、その日の夜中に食べた。彼の体内で目盛りがぴくんと振れた、ような気がした。

そうか。おれはメロンパンが好きで、これまで数え切れないほどのメロンパンを買って食べた。これからもいつまでも食べられると思っていたが、そうではないのだ。



はたして翌日も彼はスーパーでパン売り場に行き、メロンパンを手に取ってみた。全然おいしそうに思えなかった。それどころか食べるものかどうかも疑わしく思えた。
「こんなに表面がぼこぼこして固そうで、かじったらぽろぽろカスがこぼれそうなパンを食べる人間の気が知れないというものだ」
彼はマーガリンをはさんだコッペパンをかごに入れた。

帰り道に自販機の前でふと立ち止まり、コーラを買おうと小銭を出しかけた。
するとコーラの前の「つめた〜い」という文字がいつの間にか
「これが最後」
に変わっていた。
「え、コーラもか」
また文字が変わって
「あんたの一生分のコーラは、これでおしまい」
そして「おしまい、おしまい」と点滅を繰り返した。
オオバさんはちっと舌打ちをしてコーラを買った。

その晩、ネットを見ながらコッペパンを食べつつ、コーラを飲んだ。普通の味だった。翌朝、流しに転がっているコーラの空き缶を見ただけで「おえっ」となった。オオバさんはもうコーラを飲めない体になっていた。
「やれやれ。またひとり友だちをなくした気分だ」

そういえば、「激突!」のDVDは何十回、いや、何百回も見たが、あるときからパッケージを見ただけでじんましんが出るようになって、やめた。あれももう、一生分見てしまったのだろう。村上春樹の小説は「ねじまき鳥クロニクル」第二部の102ページでぱたりと読めなくなった。そこが自分にとっての限界だったのだ。もちろん人によってはいくらでも読めるのだろうが、どこが限界かは個人差があるのだ。

会社の帰りにひとりでカラオケに行った。「ふたつの唇」と「ハナミズキ」を歌い、ついでに「津軽海峡冬景色」を歌った。1番を歌い、2番になった。
「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと 見知らぬひ」
オオバさんは突然歌えなくなった。歌えないどころかげっぷは出るし、悪寒が走る。おなかもごろごろしてきた。画面を見ると「オオバさん、この歌おしまい もう一生分歌ったね さよならさよなら♪」と字が出ていた。

そういうことか。そのあともだらだらと続く伴奏を聞いてると、オオバさんはだんだん腹が立ってきた。だれがこんな歌を歌うんだ。これは世の中で最もつまらない歌ではないだろうかと思った。あれだけ歌ってきたのに。忘年会で新年会で、カラオケといえば必ず歌ってきたのに。次からは「魔法使いサリー」を練習しよう。

帰り道にコンビニに寄ってポテトチップスを買った。レジの店員が「こちらがお客様にとっての最後のポテトチップスとなりますが、よろしかったでしょうか」と聞いてきた。そうか。おれはそんなにポテトチップスばかり食べていたんだ。仕方ない。

「ああ、いいんだ」と答えて金を出し、オオバさんはポテトチップスの袋を受け取った。殆ど重みがないように感じられるその袋をオオバさんはいとおしそうに腕で抱いた。なにしろ最後なのだ。これは特別のポテトチップスなのだ。

オオバさんは袋を抱えて電車に乗り、別れた元妻の住む街に向かった。電車を降り、バスに乗り、元妻の部屋に着く。
「あら、なんだ。あなたなの」
「うん。今日はおれの最後のポテトチップスをじっくり味わいたいんだ。君にもつきあってもらおうと思ってね」

洗濯機の音が奥のほうからうめき声のように聞こえてくる部屋でオオバさんと元妻はテーブルに向かい合い、ビールを飲みながら皿にあけたポテトチップスをはしでつまむ。

「なんでこれが最後なの」
「おれは一生分のポテトチップスを食べたらしいんだ。正確にはこの袋が最後なんだが」
「こんなものばかり食べてたのね」
「そういうことかなあ」
「ばかみたい」
「いいじゃないか」
「あんたっていつも同じものを食べて同じことばかりしてる」
「だれだってそうさ」
「そんなことないわ」
「だれだってそうさ。君だって」
「ポテトチップスってなんでこんなにさびしいかたちしてるわけ」
「さびしくなんかないさ。言いがかりをつけるなよ」
「おまけにすごくわがままっぽいにおいがする」
「いちいち感情移入するなよ」
「だってそうだもん」
「むかしからそうなんだ」
「何が」

「いつもそうなんだよ。ナカタが来て怒ってバナナと魚肉ソーセージを間違えてわめきながら帰っていったことがあっただろ。あれだって、君のせいで」
「あれはナカタさんが腹巻きを3枚もかばんに入れようとしたからよ。あたしのせいじゃない」

「ちがうな。鯉のぼりが不謹慎かどうかもめてマージャンが中止になっただろ。それと同じなんだよ」
「何それ。じゃああたしだって言うわよ、あれはあんたが寝坊したからでしょ。ソファでコーラ飲みながら黒電話を枕にぐうぐう寝ていくら起こしても起きなかった。カーペットからワニがはずれなくなるし、すごくいやだった」

「ワニくらい何だ。あのときは前の晩に君のいとこが急に来たからおれは車で送ってって、するめを押しつけられたから寝不足だったんだ。領収書にアイロンをかけるひまもなかったんだぞ」
「いつもいつもこっちのせいにするのね。いいかげんにしてちょうだい。あたしががまんばかりしてると思ったら大間違いよ。そんなのシートベルトをしたままのれん分けするようなものじゃない。あたしはね、あたしはずっと前からあんたには言いたいことが」

言いかけて、突然元妻は黙った。口を開けたまま。
「なんだよなんだよ、言えよ、いくらでも。おれだってがまんばかりしてきたけど、言いたいことは山ほどあ」
そう言ってオオバさんもふいに口を開けたまま黙り込んだ。
脱水に変わった洗濯機の音がぶるるるるるるーんと聞こえた。ふたりとも何が起こったのか、すぐにはわからなかった。ただ、自分が何を言おうとしていたのか思い出せなくなったのだ。

「なんか急に言う気がしなくなっちゃった。お腹の中が妙にすかすかした気分」
「おれも。パンツのゴムが切れたみたいに力が入らない」
「あたし、何を言おうとしてたっけ」
「おれに聞くな」
「変ね。全然思い出せないし、思い出そうとする気力もわいてこない。これって、もしかしたら...」
「ん?」
「あたしたち、一生分のけんかしてしまったとか...」
「えっ」

「もう、限界に達したのよ。きっと」
ふたりとも、椅子にすわったまま顔を見合わせた。確かに、思い当たらないことも、ない。変な空気がふたりを包む。何をどう表現していいのか。
「もうあんたとけんかできないんだ」
「てことなのか」
「こんなことなら」
「こんなことなら?」
「もっと味わってけんかすればよかったわね」
さあどうなんだろう。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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