ショート・ストーリーのKUNI[96]マリアンヌ
── ヤマシタクニコ ──

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「ただいま」
玄関に入るなりマリアンヌが小走りで出てきた。
「おかえりなさい」

私は着替えをすませて食卓につく。マリアンヌの作る料理はいつもおいしい。それにマリアンヌは美しい。私は彼女を愛している。彼女も私を愛している。これ以上何を望むことがあるだろう。私は食後のコーヒーを幸福感とともに味わう。

不意にマリアンヌが言う。
「今日の食事はどうでした?」
「ああ」
私はカップを置いて
「おいしかったよ。いつものように。君の作る料理はいつも最高さ」

「よく言うわ」
「え、なんだって」
「あなたはいつもうわのそらで食事をしているわ。どうでもいいんでしょ」
「どうしてそんなことを」

「あたし、以前はあなたに少しでも喜んでもらおうと、食材に気を配り、料理法をくふうして細かなプロセスもおざなりにせず、時間をかけて作っていました。納得がいくまで何回もつくりなおして」
「うん」

「今日はスズキのポアレプロヴァンス風、また今日は子羊のグリル、和牛フィレ肉のイタリアータ、あるときは松花堂、またあるときはおふくろの味風、と毎日くふうをこらしていました。でも、全然気づかなかったでしょ」
「いや、そんなことないと思うけど」

「それで試しに少しずつ手抜きをしてみました。一品ずつ減らしてみたり、素材をワンランク落としてみたり」
「全然気づかなかったよ」



「そのようね。あたし、いつになったら気づくかと思ってどんどん手抜きしていったの。最近なんか料理は一種類だけ、野菜炒めや肉じゃがとか、焼きそばだけとかたこ焼きがパックのままとか」
「気づかなかった。でもいいんだよ。君の料理はおいしいから」

「今日はこんにゃく炒めだけでしたけど」
「え、そうだったのかい」
「気づかないにもほどがあるわ」
「いや、ほんとだよ。気づかなかったんだ。うそじゃない。私はきみにうそをついたことがないんだから」
それは本当だった。

「おしゃれしても全然気づかないし」
「ははは、男というものはそういうものだよ、マリアンヌ」
「髪を切ってもメイクを変えても何の反応もなし」
「気づかなかったんだよ」

「それに」
「それに?」
「あなた、まさかあたしがアンドロイドだってこと忘れてないわよね」
「アンドロイド?」

そうか。そうだったような気がする。忘れていたわけではない。絶えず意識してはいなかっただけだ。そうだ。マリアンヌは人間じゃなかった。それでマリアンヌなんて変わった名前なのだ。私は大村五郎なのになんだか不釣り合いだなと思っていた。

「そうだったな。きみはアンドロイドだ。いまさらそんなことを意識しないくらい、ほら、なんて言ったっけ。そう、私にとって空気のような存在だからな、きみは。ははは」

「あたしが月に一度出かけるのはメンテナンスのためだってこともわかっているわよね」
月に一度出かけていることも気づいていなかった。メンテナンス。そうか。なるほど。

「そうだったのか。でも、およそ完璧で何の不具合もなさそうにみえる君がどんなメンテナンスをするというのかね」
「あなたのことを考えるたびにむなしくなるの。どうせあなたにとってあたしはどうでもいい存在のようだし。だからあなたのためにとってあった思考領域を80%カットしました」

「そんなことができるんだ」
「それが今月のメンテ。先月は、幸福そうなカップルを見ると腹が立つので視力を半分にしてもらいました」
「全然気づかなかった。当然か。視力というものは他者には見えないものだ」
「片眼を摘出したという意味なんですけど」

「ああ、あ、そうか。ほんとだ。全然気づかなかった。片眼でもきみは美しいから」
「でも先々月のメンテのときにひげを生やしてもらったんですけど」
「ほんとだ。ヒットラーみたいなひげが生えてる。わははははは...全然気づかなかった」

「さらにその前の月には右手の指を3本減らして、左手は反対に指を増やしてもらったんですけど、どうせ何をやっても気づかないのよね」
「どうしてそんなことを次々にするんだい」

「なんだかいやになったからよ。あなたがあたしのことをどうでもいいと思ってるんだからあたしだってどうでもいいのよ」
「マリアンヌ。怒らないでくれ。確かにぼくは至らなかった。ぼんやりしていて気づかなかったことが多すぎる。でも、これだけは信じておくれ。ぼくは一度もきみを裏切ってないし、うそもついたことがない」

「うそをついたことがない。それだけが自慢のようね」
「ぼくなりに君を愛しているんだ」
「便利な言い方ね」
マリアンヌはため息をつき、片眼を伏せた。それから言った。

「あたし、今月のメンテナンスではもうひとつ、仕様を変えてもらったことがあるの」
「何なんだい、それは」
「あなたがうそをつくとあたしは爆発して粉々になるようにしたの」
「なんだって」

「あなたがうそをついた瞬間、スイッチが勝手に入ってあたしは目もくらむ閃光とともに爆発するの。粉々になって何にも残らないの。すてきでしょ」
私はたぶん、ぽかんと口を開けていた。

「ねえ、すごいでしょ。あなた、今、その瞬間を見たいと思ったでしょ!」
「ま、まさか!」
次の瞬間、目もくらむ閃光が

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