ショート・ストーリーのKUNI[97]バックアップ
── ヤマシタクニコ ──

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「先輩、おひさしぶりです」
「なんや。フルタやないか。どないしたんや。元気にしてたんか」
「はい、おかげさまで元気にしております。今日はちょっと先輩のご意見を伺いたいと思ってやってまいりました」

「殊勝なこと言うもんやな。何か迷ってることでもあるんか」
「はい。実はすばらしいものを見つけまして、ほしくてたまらないんですが、買うべきかどうかと。でも、言いふらしたい気もする一方、あんまり人に知らせたくないし、いろんな人の意見を聞きたいと思う一方、あんまり賢い人やったらばかにされそうで」

「なんやそら。悪かったな。ほんでそのすばらしいものというのは」
「先輩、バックアップって、取ってはりますでしょ」
「バックアップ。取ってるで。デジカメの写真とか住所録とか。万一パソコンやデジカメが壊れてもいいようにしとかなあかんからな」

「ですよね。ぼくも昔から趣味で小説書いたりしてるんで、作品のバックアップはこまめに取ってます」
「えっ、あのへたな小説を」
「ほっといてください。で、もっともっといっぱい、バックアップ取りたいと思ったことないですか」

「というと?」
「自分をまるごとバックアップするんです」
「まるごと」




「はい。特に創作活動とかしてない人でも、自分というものを残しておきたくなるじゃないですか。ちょっと読んでみますね。『人の存在は日々積み重なる経験や記憶、思考の集積であります。あらゆる人にとってあらゆる瞬間がいとおしいのはあたりまえでしょう。いま交わした会話、さっき食べた肉の味、流した涙からシャワーを浴びたときの爽快感、ドアに指をはさんだ瞬間の声も出なかった痛みさえいとおしいではありませんか。それらのバックアップをとっておきたいと思うことは自然な感情なのです』まったくそうですよね」

「ふーん。それがその説明書か」
「考えたら人間の記憶もたよりになりませんよね。思いっきり泣いても次の瞬間には何で泣いてたか忘れてる」
「それは忘れすぎや」

「道行く人がみんな振り返るような美人とデートした幸福な思い出も、やがて薄れていきます」
「え、あの彼女? いや、別の意味で振り返ったかもしれんが...」

「営業成績トップでほめそやされた日の喜びも長くは続きません」
「いつトップになったんや。それともべったから数えてトップか」
「一方では、くやしい思いをして、このくやしさは生涯忘れないだろうと思ってもどんどん忘れるものですよね」

「そんなことないで。いまでも昨日のことのように思い出せる。くやしかったなあ。5年前の忘年会で君の食べたカニ足がおれより8本も多かったこと」
「なんですか、それ。まったく記憶にないですが」

「それから7年前の慰安旅行の行きの電車で君がおれの足を踏んだこと。巻き爪踏まれたらどんだけ痛いか」
「何のことかわかりません」
「ほんまに忘れたんか」

「ぼく、先輩と忘年会でカニ食べましたっけ。先輩と慰安旅行行きましたっけ」
「何も覚えてないんか。難儀なやつやな。やっぱりバックアップは重要かもしれんな」
「はい。とにかくそういうものすべてが、色あせることなくバックアップできるんです。すごいと思いませんか。自分の経験とか感動とか、心に思ったあんなことこんなことが全部残るんです!」

「それは困った...」
「いや、気が進まなかったら保存しなくてもいいわけで」
「あ、ああそうか。ほっとした」
「先輩、ふだんよっぽど変なこと考えてません?」
「いやいや」

「説明を読めば読むほどすばらしく思えて。この発明はほとんどノーベル賞飴クラスです」
「たいしたことないな」
「それで、もう買うことにしてるんですけど、ちょっと問題がありまして」
「問題」

「はい。ちょっと大きいということなんです」
「大きいって」
「等身大なんです」
「ええっ」
「見た目も本人そっくりに作ってくれるんです。それで名前がフィロッピー」
「フィロッピー?」

「フィギュアとフロッピーをあわせたようなもの、という意味だそうです」
「もっとましな名前はなかったんか...」
「いや、ぼくに言われましても」
「まあ大きいゆうてもウルトラマンやゴジラみたいに大きいわけやないし。家族が増えたと思えばええやないか」

「そうですよね。それに、ここがすごいところなんですが、説明によると、最初はいくら本人に似せて作ってるといっても単なるつくりもの、という感じなんだそうです。ところが、それがデータをどんどん入れていくとほんとに人間みたいになるそうです。表情やしゃべり方もデータとして入れるわけですから。つまり外見というものは内面の表出であると」

「そうかもしれんが、なんか気色悪いな」
「すごいじゃないですか。早い話、ぼく、いつ死んでもだいじょうぶなわけですよ。バックアップがあるから」
「そう思いたかったら思えよ」
「なんかこうしてる間も惜しくなってきました。帰って注文してきます」

フルタくんは言うだけ言うとさっさと帰っていった。やれやれ、と先輩がかた
づけにかかっていると
「先輩、おひさしぶりです」
「なんや。フルタやないか。どないしたんや。忘れものか」
「ええ? 何のことですか?」

「何のことって...いま帰ったばっかりやのにまた来て。なんか用事か」
「いえ、実はぼく、フィロッピーというものを」
「ああ、その話か。さっき聞いたがな。フィギュアとフロッピーをあわせてフィロッピーやろ。自分をまるごとバックアップできるやつ。迷わんでもええやないか。さっさと買うたら」

「いや、フィロッピーはもうとっくに買いました」
「ええっ?」
「これはいいものができたと思ってさっそく買ったんです。ところが問題がありまして」
「大きいんやろ」

「はい。大きい割に容量が少ないんです。等身大のくせに2年分のデータしか入りません。人生まるごとバックアップしたければ、フィロッピーを何十体も買わないといけません。ほとんど兵馬俑です。それはちょっとあれですからもう返品しようかと思いつつ、つい3日前から過去2年間の分を入れてみたところ、そのフィロッピーが脱走しまして...ここに来ませんでしたか?」

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