ショート・ストーリーのKUNI[98]こぶ
── ヤマシタクニコ ──

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ある朝、歯を磨こうとして歯ブラシを手にしたとき、私は右手のひらに違和感を覚えた。手を開いてみるとちいさな突起ができている。直径はせいぜい2ミリ程度。小さな「こぶ」、いや、「いぼ」といったほうがいいか。でも、さわってみると硬くて自分の体の一部とは思えない。別に痛くもかゆくもないが、なんだか不思議だ。いつからあったのだろう。前の日は気づかなかった。

私は妻に聞いてみる。
「こんなのができた」
妻は軽く驚き
「あんたにもできたんだ」
「ていうと」

「おとなりのマツムラさんのご主人も、お向かいのヨコタさんのご主人もできたらしいの。最近、多いんだって。あんたにはできないかと思ってたけどできたんだ」
「うん、まあね」

「ヨコタさんのご主人のは首のところにできて、青いんだって」
「青い?」
「うん。こぶというより青い玉がくっついたみたいで、なんだかきれいなの」
「ほんとかい」
「マツムラさんとこは、珊瑚色の小さいのが二の腕にいくつも並んでいるんだって」
「へえ」
「でも、あんたのはふつうのいぼみたいね」

私は若干気を悪くした。ヨコタさんは一流大学出でスーツが似合うエリートサラリーマンだ。マツムラさんもIT企業に勤めていて、収入もたいしたものらしい。そういう人にはそういう人らしいこぶができるのか。おもしろくない。



私の「ふつうのいぼみたいな」こぶはだんだん増えてきた。一週間後には二個に、二週間後には四個になっていた。手のひらをひろげると中心部より少し上に四個が並んでいる。特に美しくも醜くもない。地味で印象が薄い。没個性。われながら否定的な形容しか思いつかないが、まあそんなものだ。

「ねえねえ」
「なんだい」
「ヨコタさんのご主人のこぶなんだけど」
「うん」

「どんどん大きくなって、直径3センチくらいになってたんだけど。ぽろりととれたんだって」
「え、とれたんだ」
「うん。それがとってもきれいなまんまるの玉で、いい香りがするの。フルーツみたいな」
「まさか」
「ほんとよ。あたし、見たんだから」
「え、こぶを」

「うん。みんなで行って見せてもらったの。だってこの界隈の女たちの間で評判なんだもん。そしたらリビングの棚に置いてあってさ。透明でつやつやしてて、宝石か何かみたいだった。すっかりインテリアの一部になってたわ」
「ほんとかい」
「マツムラさんとこも、珊瑚色のがどんどん増えて、いまにも取れそうなんだって。楽しみだわ」
「信じられないな」

「中には食用になるようなこぶがどんどんできる人もいるらしいわ。テレビでやってたけど」
「食用?」
「ええ。いまどきの『こぶ』はたいてい何かの用途があるようだって、コメンテイターが言ってたわ。でも、あんたのは何にもならないようね」
私はますます気を悪くした。

よその亭主のこぶのことは正直どうでもいい(こともない)が、妻はそれ以来何かというと私をいじめる。
「人生ってどこまでも差がついてまわるものなのね」とか
「あたしも若いころから運がないとは思ってたけど、ここまでとは」とか
「こぶをつくるのも才能の一種なのかしら」とか。

私はそれで、妻に秘密で20年来つきあっている女友達のところに行って慰めてもらおうとするが、彼女も私の手のひらを見るや「あんたらしいわ」と言う。これでは妻と同じだ。

私の手のひらのこぶは少しずつ変形してきた。数はさらにふえて、いまでは9つにもなっていたが、それがくっつきつつあった。9つの小さなこぶの一体化が始まっていたのだ。妻はそれを見るたび「きもっ」と言う。

ある日、私は妻がしくしく泣いている声で目を覚ました。妻は台所の椅子に座って泣いていた。
「どうしたんだ」
妻は背を向けたまま「こっちを見ないで」と言った。
「なんで」
「罰が当たったみたい」
「罰が?」
「あたしの顔に、変なものが生えてきたの」

妻はなおも顔をそむけようとしたが、私は強引に引き寄せた。妻のほほ一面に、ヘアブラシの毛ほどの太さで長さ1センチくらいの突起物が発生していた。

「かみそりでそろうとしてもそれないの。つるつるすべるばかりで。はさみで切ろうとしたらすごく痛かった」
「ばかだな。そんなことしたら大けがになるよ」
「でも、どうしたらいいの。こんな顔でどこへもいけないし」

確かに、妻のほほの「こぶ」は醜いというほどでもないが美しくもなく、「ふつうのいぼの変形みたいな」ものだった。積極的に見せるべきものでもないような気がする。それに、これに何かの用途があるとも思えないではないか。

次の瞬間、私は自分でも思ってもいなかったことを言っていた。
「ぼくがとってあげるよ」

私の右手のひらの突起物はいまではすっかり一体化した上に扁平になり、小さな弓形のナイフみたいになっていた。そのナイフを妻のほほの上にあててそっと動かしてみると、ヘアブラシの毛ほどの突起物はぽろりと落ちた。あまりに手応えがないので驚いたくらいだ。

私はそのまま手のひらのナイフを妻のほほの上で動かし続けた。ぽろり。ぽろり。あっというまに妻の顔は元通りになった。妻はぼうぜんとして足元にたまった突起物の小さな堆積を見つめた。私も自分の取った行動が自分で理解できず、しげしげと手のひらを見ると、ナイフ形のこぶはしゅるしゅるとしぼんで、やがて何の痕跡もなくなったのだった。

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