ショート・ストーリーのKUNI[102]なじる街
── ヤマシタクニコ ──

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ぼくは海沿いの街に二泊三日の出張に行った。乗り慣れない電車に揺られ、着いたときはもう、街は真っ暗だった。

なぜそんなに遅くなったかというと、出発前にばったり会ったシロタくんに昼間から飲みに誘われたからだ。シロタくんは古い友達だがお酒が好きで、会うといつも喫茶店ではなく、飲み屋に誘うのだ。

まだまだこれからじゃないかと引き留めるシロタくんからやっとのことで逃れ、電車に乗ったのはすでに夕方。すっかり酔っぱらったぼくはホテルに着くなりベッドに転がり込み、ぐうぐう寝てしまった。

翌日、ぼくはおそるおそる目覚めたが、二日酔いというほどのこともないようで、ほっとした。朝の光がカーテンの隙間からシーツに、簡素な鉄のベッドに、そしてワックスがかかった床に降り注いでいる。ぼくは脱ぎ散らかした服やカバンの中身を片付け、洗面所で歯をみがくと、必要なものを持ってホテルを出た。これからやっつける仕事のために。



時々地図を見ながらはじめての街を歩いているうち、ぼくはふと気づいた。ぼくの脳内で、あるひとつの言葉がくるくるまわっている。

     なじらせないで

なじらせないで? だれが、だれをなじるというのだろう?
すると、遠くから声が聞こえるような気がした。

  あんたって、そんなだからだめなのよ

  全然私のこと、考えてくれないじゃない

はあ? ぼくがとまどっていると後ろから声が聞こえた。
「まったく、あんたのせいでこんなありさまだ」

そこは港のすぐそばで、ひとりの男が今しも漁船から魚のぎっしり入った箱を運び出すところだ。箱の中では赤や黄の原色に彩られた見たこともない大きな魚が飛び跳ねていた。どれもA4判用プリンタくらいの大きさにまるまると太っていて、あるものはセミのような大きな金色の羽を体の側面に生やし、あるものは象のように長く突き出た鼻を持ち、別のものは牛そっくりの顔をしていた。それらがきゅうくつそうに箱の中で重なりながら物がきしむような声を上げている。
「ぼくの、せいなんですか?」
「決まってるだろ!」

男は日焼けした首にカラフルなタオルを巻き、くわえていたたばこを投げ捨てながら言った。そのすきにセミみたいな魚がぶーんと飛んでいった。ぼくは低姿勢でその場から去った。なにが自分のせいなのかわからなかった。

広い交差点に出ると、路面電車の線路があっちこっちの方向に伸びていた。いくつもある停留所のひとつに向かい、ベンチに座って待っていると、ほうきとちりとりを手にしたおじいさんがやってきた。そしてぼくを見るとぶつぶつ言いながら掃除を始めた。

「いったいどういうつもりなんだろうね、まったく」
「え?」
「え、じゃないよ。ひとごとみたいに」

おじいさんが指さしたほうを見ると、ぼくが歩いてきたところだけなぜか道案内のように花が咲いていた。当然、ぼくがすわっているまわりは花畑になっている。

「これじゃ掃除がしにくいじゃないか」
おじいさんはため息をつくと、じゃまだと言わんばかりにほうきでぼくの脚をつっついた。ぼくはあわてて立ち上がり、ちょうど来た電車に乗った。

電車には天井から何枚も「城跡まんじゅう」のポスターがぶら下がっていたが、乗客はだれもいなかった。ぼくが乗りこむと運転士はあからさまに「ちっ」と言った。

「これからたったひとりで夢想にふける予定だったのに、だいなしだ」
そんなことを言われても、と思いながらもぼくは恐縮した。それより運転士が城跡まんじゅうの着ぐるみなのが気になった。

「城跡前に行きたいんですが、この電車でいいんですよね」
ぼくが聞くと運転士は振り向き
「わからないのに乗るなよ」と怒鳴った。まんじゅうの顔で。
「すいません」
「行くけどね。次の次だよ。行きたくないけど、線路の通りに行くしかないんだから。おれには自由が与えられていないんだ。あんたにこの思いが分るかい」
「すいません」

城跡前で電車はとまり、ぼくはねちねちとなじられながら降りた。横断歩道の信号は青になるとカッコーのメロディで「ばっかー、ばっかー」とぼくをなじった。道ばたの野良犬はぼくを見て「ウウウウウ・・・ウランデヤル・・・ウランデヤル」と唸った。晴れていた空までがぼくをなじるようにもくもくと灰色の雲をひろげた。ぼくは空に謝った。

「すいません、すいません」

やがて城跡大学に着き、受付に行った。事前に連絡してあったにもかかわらず、事務員は無愛想だった。
「なに?」
「あの、えっと、学生さんにアンケートをお願いするということで、あらかじめご連絡さしあげておりました、オフィス・デキストリンの者ですが」
「ああ」

それから事務員はぼくを奥の部屋に通し、担当者が来るまで待つように言った。
「言っとくけど、あたしはふだんはこんなに無愛想じゃないのよ」
「わかってます。すいません。ぼくのせいです」
すぐに担当者がやってきた。ぼくは顔を上げて見て、腰を抜かしそうになった。
去年別れた彼女だったから。

「よくもしゃあしゃあと来れるもんね」
「すすすすすすすいません。担当者が君だとは」
「あたしがすっかり忘れたとでも思ってるの。あなたのこと、許したと思ってるの」
「そそそんなことはないと思いますが、でも、その」
「何が新製品アンケートよ、何が学生さんに『アルバイト感覚で参加』よ、どうせろくな会社じゃないんでしょ、オフィス・デキゴコロだなんて」
「デキストリンです」

「城跡大学がこんなもの許可するとでも思ってんの。甘くみないで」
「すいませんすいません」
さっきの事務員もやってきて
「しつこくしたら警察呼ぶわよ」
「私をこれ以上、なじらせないで」
事務員が火災報知器のボタンを押した。構内放送が鳴り響いた。
「不審人物です不審人物です。みなさん、なじりましょう」

ぼくはほうほうの体でホテルに帰ってきた。もちろん帰り道でも子どもや年寄り、赤ん坊にホームレス、街灯や自動販売機、庭先の盆栽にまでなじられながら。アンケートの仕事は今回の出張の主な目的だったが、これでは絶望的だ。いま思えばシロタくんと飲んだのが間違いだったのか。よくわからないがそんな気がする。そうだ、きっとそうだ。

くたくたになったぼくは、部屋の鍵を開けるなり上着を脱ぎ捨て、洗面所に行った。ふと横の壁を見ると張り紙がある。

   詰らせないで

ええっ? と思ってよく見ると

○詰らせないでください
汚水管が詰りますので、トイレには決して専用の紙以外は捨てないで下さい

ああ、これだったのか!
だれが書いたのかしらないが、「ま」がないから読み間違えた...。
ぼくは2個所にペンで「ま」を書き込んだ。つまり、こうなった。

○詰まらせないでください
汚水管が詰まりますので、トイレには決して専用の紙以外は捨てないで下さい

安心したら急に眠くなった。ぼくはどさりとベッドに倒れ込み、たちまち深い眠りに落ちた。

翌日はいい天気だった。ぼくはふたたび街に出た。港のそばでは銀色に光るアジやサンマがいっぱい水揚げされ、箱の中で跳ねていた。タオルを巻いた男は笑いながら「おはよっ!」とぼくに声をかけた。

路面電車の乗り場ではおじいさんが機嫌良く掃除に精を出し、やってきた電車の運転士はもちろん制服姿で「毎度ご乗車くださいましてありがとうございます。この電車は山の頂上行きです」と告げた。信号機はふつうにカッコーの曲を奏で、犬はぼくに尻尾を振った。

だれもぼくをなじらなかった。空は晴れ、街は美しかった。ぼくはもちろん、知っていた。城跡大学の担当者が去年別れた彼女であることを。別れた原因はささやかな、行き違いでしかなかったことを。ぼくは電車を降りた。もうすぐ彼女に会える。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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暑いのがきらいだから夏は大きらいだった。今もきらいだけど、夏は光が豊かで美しい写真が撮れる季節なのだということがやっとわかってきた。その夏がもう終わると思うと、ちょっとさびしいです。