ショート・ストーリーのKUNI[104]カメラ
── ヤマシタクニコ ──

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私はカメラです。
どこにでもある、いわゆるコンパクトデジカメ。
私がいまの持ち主に買われてからすでに5年と6か月がたちます。
当時は最新機種だった私も、今では時代遅れの旧型デジカメにすぎません。

さまざまなものを、私は写してきました。その日の昼食。道ばたの猫。刻々と姿を変え、少しもじっとしていない雲たち。電線。イルミネーション。ちょっと変わった看板。街を行き交う人たち。

かしゃっ。
かしゃっ。

「ヤガワさんってしょっちゅう何か撮ってますよね」
「ブログでもやってるんですか?」
「いや。別に」

言われたヤガワさん......私の持ち主......の答はいつも同じです。確かに、ヤガワさんが撮った写真を加工したり、何かに使ったりということはなく、ただ撮るだけのようです。

ともあれ、そういうわけで日中はいつも、私はヤガワさんのポケットに入っています。



私はたぶん、ヤガワさんについてかなり多くのことを知っています。

「このケーキ、おいしい! ヤガワさんも食べたら?」

私はこのひとを知っています。
今、テーブルをはさんでヤガワさんの向かい側にいる女のひとはヤガワさんと同じ会社に勤めています。彼女はとても若く、髪も肌もつやつやしていて、声は陽の光にきらめくしずくのようです。

「ぼくはいいよ。それより君を写してあげるよ」

ヤガワさんは私をポケットから取りだし、私を彼女に向けます。私の視界はケーキのひときれをフォークに刺し、笑いながらポーズをとる彼女でいっぱいになります。

かしゃっ。

カードにいったん記録された彼女の写真はそのあとパソコンに移され、なぜか階層の奥深く、暗号のような名前をつけたフォルダに収められます。フォルダには膨大な枚数の写真が入っています。

花壇の前でほほえむ彼女。大笑いしている彼女。
雪の日の彼女。真夏の彼女。
後ろからそっと撮った、うつむく彼女。

彼女が私の持ち主を呼ぶ呼び方はふたつあります。
ひとつは「ヤガワさん」。
もうひとつは「係長」。
呼び方によって彼女の表情は少し異なる、ような気がします。

別のある日。
私は夜の居酒屋のざわめきの中にいます。
「ヤガワが元気そうでよかったよ」
「まったくだ」

たくさんの皿や小鉢が並んだテーブルをはさんで、ヤガワさんの前には男の人がふたりいます。ひとりはメガネをかけてひげを生やし、コーデュロイのシャツを着たひと。もうひとりは髪を束ね、メガネをかけてないけどやはりひげを生やし、薄手のパーカを羽織っているひと。

私はふたりを知っています。
かつて何回も、私はふたりを含む事務所の仲間達を写したことがあるのです。

「いまの仕事、どう?」
「営業だっけ。きつくないか」
言われてヤガワさんはグラスを口に運びながら答えます。

「きついけど。まあなんとかやってるよ」
「またいっしょにやりたいなあ」
「うん。おれ、ヤガワだったらこんなとき、どんなデザインするだろう、と思ったりするんだ」
「おれも」

「もう無理だよ。最近は変化が速いだろ。何年もブランクがあると、もうだめ」
「そんなことないよ。結局ものいうのはセンスだと思うし」
「それに、おまえのだじゃれ聞きながら仕事したいんだよね」
「そうそう、おまえのくっだらねーだじゃれをね」
ヤガワさんはわはは! と笑います。

「記念写真、撮ろ!」

カメラをセットして、ヤガワさんもふたりの横に並びます。私の視界の中で3人の男が笑っています。私のシャッターボタンが音を立てます。

かしゃっ。

その写真はヤガワさんのパソコンの「友人」というフォルダに収められました。

私は知っています。
夜中、私をベッドのそばの小机に置いたまま眠るヤガワさんが時々顔をゆがめ、夢の中でだれかに責められていることを。

すまない
すまないって いってるだろ

ごめん

しゃっきんさえ
なかったら な

木曜日。ヤガワさんは彼女を誘い、会社の営業車で少し遠い店に昼食に行きます。その店のそばにはコスモスが咲く小さな農場があり、コスモスは自由に摘み取ることもできるのです。

かしゃっ。
かしゃっ。

ヤガワさんは何枚も、コスモスの中の彼女を撮りました。10月とはいえ、日中はまだまだ暑いくらいです。
「係長、わたし」
「うん?」

「わたし、結婚することになったんです」
「ええっ? そうなんだ」
彼女はほほえみ、まぶしそうに陽の光に目を細めながら、うなずきました。
「そうか。そうか」

ヤガワさんもほほえもうとしましたが、なんだか、ほほえみ方のマニュアルを必死で一行ずつ読んでは実行しているとでもいう風でした。

「はい、プレゼント」
彼女がヤガワさんにコスモスの束をわたしました。

私は一台のカメラにすぎません。
私に人間の細かな感情がわかるはずもありません。私の役割はただ、目に映った瞬間を切り取り、とどめておくことです。

でも、私は知っています。
その夜、コスモスの束を手にしたヤガワさんが広くてにぎやかな通りを歩いていたとき、不意にその足が止まったこと。

コンピューターショップの店頭に丸いメガネをかけた人のモノクロ写真が掲げられ、たくさんの人が次から次へと花束を置いていったこと。その瞬間まで何も知らなかったヤガワさんが、目を見開いてぼうぜんとしたこと。涙がこぼれてきて、あわててハンカチを探してぬぐったこと。

そして、ポケットから私を取りだし、いや違う、そうじゃない、とつぶやいてまたポケットに戻したこと。いったんその場を通り過ぎ、いくつものことを考えながら地下鉄の改札まで来てふと自分の手の中のコスモスの束に気がつき、はっとしたこと。それからまた階段をのぼり、100メートル余りも小走りで戻って、それを献花の山に加えたこと。

駅前の本屋で立ち読みをして、そのあとコンビニに寄り、アパートのドアを開けると、室内はすでに灯りがついていました。
「来てたのか」
キッチンの椅子に座った女の人にヤガワさんが声をかけました。

私は知っています。
大きな目と少しハスキイな声の持ち主であるその女の人が、いまは別居しているヤガワさんの妻であることを。
「死んじゃったね」
「うん」
「ニュースで聞いたから来たの。なんだかしんみりしちゃって」
「うん」
「今夜は追悼よ」

ヤガワさんの妻はテーブルの上にワインの瓶とグラスを並べました。
ヤガワさんはポケットから私を取り出しました。
「あ、そのカメラまだ持ってるんだ」
「ん? うん」
「それを買っていちばん最初に撮ったのが私、なんだよね」
「そうだったかな」

私をセルフタイマーにセットして、ヤガワさんは妻の隣に行き、肩を抱きました。5年と6か月はなんと長いのでしょう。私はいったい何万枚の写真を写したことでしょう。そして、また一枚。

かしゃっ。

2011年10月6日の夜でした。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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遅れてやってきてしかもスローペースのiPhoneユーザー・私。とりあえずは、iPhoneで写真を撮ったりinstagramで加工して楽しんでいる。flickrでも検索するとiPhoneと名のついたグループがいーっぱいあって、みんな「どうだい!」とばかりに自慢の写真を見せ合っている。わくわく。こんな楽しみもジョブズが与えてくれたものだ。

ありがとう、ジョブズ。R.I.P.