ショート・ストーリーのKUNI[106]悪夢
── ヤマシタクニコ ──

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ある日曜日、おれのうちにセールスマンが来た。
「突然ですが最近、悪い夢をごらんになったことはありませんか」
「悪い夢? しょっちゅうだよ」
「ほほう」

「今日もさんざんな目にあったよ。幼稚園の遠足でいつの間にかみんなとはぐれてしまい、気がつくとトラの檻の中だった。必死で脱出法をスマホで検索したら体を3センチ幅にする方法がわかったのでなんとか脱出したけど、一時は死ぬかと思った。いまでも胸がどきどきしてる」
「それはたいへんでしたね」

「おとといは会社の廊下を走っていたら小学校のときの中本先生に見つかって大根の束で殴られた。おれの頭上で砕け散る大根。次の瞬間には、荒れ狂う海で酢昆布を浮き代わりにして泳いでいる。と思ったら、なんとそれは部長の頭の上で、風にたなびくバーコード髪がおれにからみつく。必死で脱出法をスマホで検索して」
「またスマホですか」

「とにかくよく悪夢をみるんだ。目がさめたらくたくたでいつまでも頭がぼうっとしている。何時間寝ても寝た気がしない。パトラッシュ、もう疲れたよ」
「そんなあなたにぴったりのものをご紹介したくてやってまいりました。ただいま獏の一週間無料レンタルをしております」




「獏? レンタル?」
「はい。悪い夢を食べてくれるので眠りから覚めるとすっきり気分爽快。一日中気持ちよくすごせます。仕事の能率も格段に上がります」
「ふうん。でも、悪い夢を食べる獏は想像上の動物っていうじゃないか。動物園にいる獏とはちがうんだぜ」

「さようでございます。想像上の獏を世界で初めて、当社が実在化したものです。商品名は『iBaku』」
「電話もかけられるのか」
「かけられません」
「ロボットなのか」
「ではありませんが、まあそう思ってくださってもけっこうです」
「ふうん。まあ無料ならいいだろう。試してみるよ」

というわけで、おれの寝室にiBakuが来たというか設置されたというか。見た目は一応伝説の獏に似せたのか、鼻が長く、目は小さく、もしゃもしゃの毛皮に包まれたおとなしそうな動物だ。小さな目が、なんとなく愛嬌がないこともない。

「ほんとに悪夢を食べてくれるんだろうな」
獏はこっくりとうなずいた。おれは説明書に従い、自分と獏の頭をケーブルでつないだ。おやすみ。

翌朝、おれはひさしぶりにすっきりと目覚めた。
「ああよく寝た。ゆうべは悪夢を全然みなかったようだ」
そういうと、かたわらの獏はぶるるるるる! と首を横に振った。

「ん? あ、そうか。おまえが全部食べたってか」
獏はうなずき、げっぷをした。悪夢でおなかいっぱいのようだ。
「そうか。それは助かった」

次の日もその次の日も、気持ちよく目覚めた。頭がすっきり冴えているので、新聞を読んでもテレビを見ても中身がすうっと頭に入っていく。会社でも、なんとなく仕事がはかどる。疲れ方もちがう。そうか。おれは今まで悪夢のために相当いろんなことを犠牲にしていたのかもしれない。本来のおれは「できる人間」だったのだ。もっと早く獏を使うべきだったのか。

いよいよ今日は獏を返却するという次の日曜日の朝。おれは獏がなんだか調子が悪そうなことに気づいた。みぞおちのあたりをさすりながら「おえっ」「おえっ」とやっている。それでも治らないようで、トイレにかけこんだ。しばらくこもっていたと思うと浮かない表情で戻ってきた。

「なんだ。どうしたんだ」
獏は両手を頭にやったりおなかにやったりして、ジェスチャーで説明を始めた。

「ん? 夢を食べて...腹をこわした? いや、夢を食べるのがおまえの仕様じゃないのか...え? それは? 悪い夢だけ? ええっ? いい夢も食べたんだ? あ、そういえば、ゆうべは寝る前に枕の下にAKB48の写真を敷いて寝たんだ。いい夢がみられますようにと、ぱん、ぱんと柏手打って...おまえ、それ食っちゃったの?!」
獏はうんうん、とうなずいた。

「そうか。おまえにとっては悪い夢がおいしい食事で、いい夢だと食あたりを起こすんだ...って、なんでいい夢まで食べてしまうんだよ...ん? iBakuはまだ開発途上で? 夢の分別までできない?! 片っ端から食ってしまうのか! ええっ? そもそも...何が悪夢かそうでないかは主観的なもので...個人の嗜好の差も大きく?...うんうん、確かに一理ある...いや、ちがう、なんだいそれ! 聞いてないぞ!」

そのときセールスマンが来た。
「いかがです。お使いになってみて。なかなか快適なものでしょう。よければ有料のご契約を」
「するもんか!」

AKBの夢が不意になったおれは即座にことわった。ああ、夢の中でああもしたいこうもしたいと、念じて眠りについたのに。ちきしょう。ばかあ。ばくのばかあ。獏は悲しそうな顔をして引き取られていった。

と思ったら2時間後にセールスマンが戻ってきた。獏を連れて。ばかばくを連れて。
「なんだよ。まだ何か用か」

「失礼ですが、お客様のせいで当社のiBaka、いえiBakuに重大な損傷が生じております。すっかり弱って通常の業務もできそうにありません。たいへん申し上げにくいことですが、修理費を請求せざるを得ません」
「しゅ、修理費?!」

「契約書のここに書いてあります。万一、試用期間中に獏になんらかの損傷が起こった場合、修理に要する費用は全面的に試用者が負担する、文句はいっさい言いませんと」

「な、なんじゃこりゃ! こんな字、読めるもんか! こんな...5ポイントか6ポイントくらいのちっさい字で行間詰めまくり、カラーはどうみてもスミ10%くらい、しかもフォントはMS明朝...おれはMS明朝はきらいだ!」

「そう言われましても、お客様のサインと捺印もあることですし、今さら通りません。修理費×××万円を負担していただくか、もしくは」
「もしくは?」
「有料でのレンタルを続ける、または買い取っていただくという方法でもけっこうです。お安くしておきます」
「はあ?」

「通常は獏本体価格にネットワーク使用料、メンテナンス費用などすべてあわせてこれこれですが、試用していただいたお客様には割引がありまして月々これこれのお支払い、獏の価格が実質ゼロ円になるプランもございます。ただし5年縛りですが。なお、獏の勝手な処分は法律で禁じられております」

おれはまんまとひっかかったのか。以来、おれは獏と同居を続けている。おれはこれ以上獏の調子が悪くならないように、毎日せっせと悪い夢をみては獏に食べさせている。

たまにうっかりいい夢をみると(といってもおれには自覚できないが)獏がげーげーやってますます弱るのでそれはあきらめ、枕の下には見ただけでぞっとするゾンビやゴキブリや、ブルジュ・ハリファの最上階から真下を見下ろした図(おれは高所恐怖症だ)、カキフライ(これも苦手だ)の写真などを敷いて寝る。

とりあえず、今のおれの不満はもう長い間夢をみていないことだ。目覚めたときに頭の中がからっぽですっきりしているなんて、もううんざりだ。そんなの人間じゃない。たまには悪夢でもなんでもいいからみて、思いっきりいやな気分を味わいたい。能率が悪くてけっこうだ。おれの夢を返してくれ!

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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団地で大がかりな補修工事をやっている。作業員たちの元気な会話が聞こえる。と思ったらそれが外国語だ。英語でも中国語でも韓国語でもないような。へ〜と思ってたら、別の日、その外国語をしゃべっていた同じ人と思える声で突然「オマエ、アホチャウカ!」。作業の手順の問題で、なにか同僚に注意していたようだ。大阪弁も話せる人なのだった。