5年前の年の暮れだった。ぼくはやっと仕事を片付け、依頼主にデータを送り終えるとすっかり暗くなった道を、町でただひとつの郵便局に向かった。
いくつかの事情のために都会を離れて、一人で暮らす初めての年末だった。インターネットがあればどこにいてもできる仕事なので特に不自由は感じなかった。近くにコンビニもないけど、ひとり暮らしの身で必要なものはたかがしれている。何より静かで人が少ないのが気に入った。ぼくは、疲れていた。
急いで身支度をして家を出たが、途中でたまたま前方に流れ星を見つけて一瞬、見とれた。一瞬だったのでそれが原因かどうかはわからないが、歩みが遅くなっていたのだろう。あと数十メートルというところで、ぼくは今しも郵便局のシャッターが閉まるのを見た。闇の中で、光の帯がどんどん短くなっていく。
あっ。ぼくの口から小さなため息がもれた。すると、閉まりかけたシャッターがまたするすると上がっていった。聞こえたのだろうか? ぼくは走って行ってまだ完全に上がりきっていなかったシャッターの下をくぐり抜けた。
郵便局の中はすでにほとんどの灯りが消され、郵便の窓口だけが明るかった。その窓口に女の人がひとり、いた。まるでスポットライトを浴びたみたいに。頭頂部の髪がナイロンの糸みたいにきらきら光っている。そして、ぼくを不思議そうな目で見つめた。
「すいません。もう閉めるところだったんですね。あの、年賀はがきを」
そこまで言って、ぼくは口ごもった。年賀はがき、何枚買うんだっけ...毎年、妻がまとめて買っていたが、今年はひとりだ。ぼくの分は80枚...もなかったと思うが。余れば余ったでいいから多めに買っておけばいいか...去年はどうだっけ...いつも出すべきかどうか迷う人が何人かいる。
いや、そんなことを今考えてもしかたないじゃないか、何をしてるんだ、ぼくは...それにしても、だいたいの枚数が...ああ、まったく、何も考えずに出てくるなんて、われながらばかみたいだ。
すると、女の人はまばたきをしない目でぼくをじっと見つめ、言った。
「あなたの分はここにあります」
いくつかの事情のために都会を離れて、一人で暮らす初めての年末だった。インターネットがあればどこにいてもできる仕事なので特に不自由は感じなかった。近くにコンビニもないけど、ひとり暮らしの身で必要なものはたかがしれている。何より静かで人が少ないのが気に入った。ぼくは、疲れていた。
急いで身支度をして家を出たが、途中でたまたま前方に流れ星を見つけて一瞬、見とれた。一瞬だったのでそれが原因かどうかはわからないが、歩みが遅くなっていたのだろう。あと数十メートルというところで、ぼくは今しも郵便局のシャッターが閉まるのを見た。闇の中で、光の帯がどんどん短くなっていく。
あっ。ぼくの口から小さなため息がもれた。すると、閉まりかけたシャッターがまたするすると上がっていった。聞こえたのだろうか? ぼくは走って行ってまだ完全に上がりきっていなかったシャッターの下をくぐり抜けた。
郵便局の中はすでにほとんどの灯りが消され、郵便の窓口だけが明るかった。その窓口に女の人がひとり、いた。まるでスポットライトを浴びたみたいに。頭頂部の髪がナイロンの糸みたいにきらきら光っている。そして、ぼくを不思議そうな目で見つめた。
「すいません。もう閉めるところだったんですね。あの、年賀はがきを」
そこまで言って、ぼくは口ごもった。年賀はがき、何枚買うんだっけ...毎年、妻がまとめて買っていたが、今年はひとりだ。ぼくの分は80枚...もなかったと思うが。余れば余ったでいいから多めに買っておけばいいか...去年はどうだっけ...いつも出すべきかどうか迷う人が何人かいる。
いや、そんなことを今考えてもしかたないじゃないか、何をしてるんだ、ぼくは...それにしても、だいたいの枚数が...ああ、まったく、何も考えずに出てくるなんて、われながらばかみたいだ。
すると、女の人はまばたきをしない目でぼくをじっと見つめ、言った。
「あなたの分はここにあります」
そして、茶色いハトロン紙でかっちりと包まれた年賀はがきの束をぼくの前に出した。ぼくは驚いた。包みの上には「佐々木洋一様」と、ぼくの名前が書かれてあったからだ。ぽかんとしているぼくに、女の人が表情を変えずに言った。
「小さな町ですから」
家に帰って包みを開いたぼくはさらに驚いた。はがきにはすでに宛名が印刷されていたからだ。高校時代の恩師。親類の伯父さん、叔母さん。前の職場でお世話になった人。インターネットで知り合った友達。ぼくはただ、裏面に適当なあいさつを書くだけでよかった。どういうことなんだ、これは? するとあの女の人の顔が浮かんだ。
「小さな町ですから」
そう言われそうな気がした。
年が明け、ぼくのもとにも年賀状が届いた。子どもの写真を毎年プリントしてくる人。毎年オリジナルの凝ったデザインで楽しませてくれる人。文章がいつもおもしろい人。ネットでのあいさつもいいが、いろんな年賀状を見るのはやはり楽しいものだ。
ほとんどの年賀状は元旦に着く。そのあと2日、3日にも少しずつ届く。急いで書いても間に合わなかったんだな。自分だって、あぶないところだった。日本中のあちこちで同じ時期、多くの人があせったりやれやれと言ったりしてるんだと思うと、なんだかおかしい。
そのうちぼくは、おやっと思った。前の職場の上司で、毎年俳句を添えてくる人がいたのだが、今年はなかった。3日になっても4日になっても来ない。俳句は正直よくわからないものの、見慣れた筆跡の俳句があると安心したものだが...。
待てよ...自分もあの上司への年賀状を出さなかった、ようだ。毎年書く「いつも俳句が楽しみです」という文句を書いた記憶がない。印刷された宛名の中になかったのだ。ぼくは気になって同じ職場にいた友人に電話してみた。
「ああ、佐々木か。元気か。いや、あけましておめでとうだな。いや、それは年賀状に書いたな。わっははは」
「あいかわらず元気そうでよかった。いや、ちょっと気になって。ほら、おれたちの上司だった、あの...」
「ああ、『俳句部長』? 驚いたよなあ、まったく」
「驚く?」
「うん。え? 知らないの?」
「何を」
「いつだっけ...12月の中頃に亡くなったそうじゃないか。前から心臓が悪かったとか? 奥さんに先立たれてひとり暮らしだったから、発見が遅れた、と聞いたけど」
それが最初だった。その年の暮れも、ぼくはかなり押し迫ってから年賀はがきを買いに行った。何かにつけいつもぎりぎりまで動き出さない性格なのだ。それに、確かめたいという気持ちがないこともなかった。一年たつと、あれは記憶違いかそれとも夢ではなかったのかという気がしてくる。もし、記憶違いでも夢でもなかったとしたら...。
前の年と同じ日付、そして同じように5時ぎりぎりにぼくは郵便局に着いた。
照明を落とした局内に、あの女の人がいた。ほかにはだれもいなかった。
「これですね」
ぼくが何も言わないうちに、女の人は包みを寄越した。まったく一年前と同じだった。たぶん、ぼくもそれを期待していた。
家に帰って包みを開け、去年と同じく宛名が印刷されたはがきを、ぼくは一枚一枚見ていった。
その年はすでに3枚の喪中欠礼はがきが届いていた。その3人の名前が印刷されたはがきはなかった。一方で、ひと月前に初めて会うことができた、高名なデザイナーの名前はちゃんとあった。名刺交換はできたものの、自分の名前などすぐに忘れただろうなと少し気後れがして、年賀状を出すべきかどうか迷っていた。
毎年出していたが、もうずっと会っていないし、今では仕事上もまったく接点がなくなっていたのでどうしたものかと迷っていた人の名はなかった。
「出さないほうがいいわ」
そう言われたような気がした。ぼくはすべて、従った。
翌年の春、ぼくは例の高名なデザイナーにあるイベントで再会することができた。ぼくのことはよく覚えていてくれて、仕事を紹介してもらうことができた。ぼくは彼女─郵便局の─に心の中で感謝した。
次の年も、その次の年も、ぼくは同じように郵便局に行き、用意された年賀はがきを受け取った。たまたま何かの行き違いでぼくの手元に喪中欠礼が届かなかったケースでも、誤って宛名が印刷されていることはなかった。おそろしく正確だった。
彼女はいつも静かに、音も立てずにどこからかはがきの包みを取りだした。常に見開いたような瞳は、どこか人間離れしたものを感じさせた。
昼間に何度か郵便局に行ったことがあるが、彼女はいなかった。でも、夕方だけの勤務なのかもしれない。ほかの職員のような制服ではなく、濃い色の、ワンピースのようなものを着ていたようにも思うが、自信がない。
そして去年の暮れのはがきだ。印刷された宛名の中に、ぼくはなつかしい名前を見つけた。いまは違う姓になっている、ぼくの妻だった人。裕子だ。
これを、出せというのか? そうだ。出してみよう。ぼくは思った。どうしてそう思ったのか、自分でもわからない。でも、印刷された宛名を見ていると、なんだか勇気づけられるような気がした。
年が明けて届けられた年賀状の中に、ぼくは妻であった人の名を見つけた。
あけましておめでとう 今年がいい年になりますように
なんてことだ。まったく同じ文句を、ぼくも書いていた。
ぼくたちは、それがきっかけでメールのやりとりをするようになった。お互いにアドレスも変えていたので、始めるのに少し手間取ったけど、それはそれで、つきあう前に戻ったようで悪くなかった。
そして、そのうち、実際に会うようになった。裕子は少しも変わっていなかった。楽しかった。話すことが山ほどあった。何をしていたんだ、55年間もぼくたちは? いっしょにいるべき人といないで。
年末までには、ぼくたちはすっかり決めていた。年が明けたらむかしと同じように、ふたりで暮らすのだ。手頃な引っ越し先も見つけてあった。ちょっと照れくさいけど、みんなにちゃんと公表しなければ。
引っ越しに必要な手続きや、ごく親しい友人を招いて開くつもりのパーティーのことなどを考えながら、ぼくは郵便局への道を急いだ。ひとりの名前で出す最後の年賀状のために。
空気は無数の針を含んだように冷えわたり、空はネイビーから漆黒に移ろうとしていた。流れ星が見えた。
郵便局は去年やその前の年のように、暗く、静まっていた。あの女の人のいる窓口を除いて。ぼくを認めると女の人は何も言わず、いつものようにはがきの束を差し出した。ぼくは驚いた。はがきの束はいつもより格段に薄かった。たぶん...10枚あるかどうか。
「これは...」
女の人はぼくの声に振り向いたが、表情ひとつ変えなかった。私にはわかりません。まるでそう言うように小首をかしげて見せ、そのまままわりを片付け始めた。
仕方なく郵便局を出たが、いくらも歩かないうちに不安な気持ちが胸の中でふくれあがり、抑えきれなくなった。ぼくは立ち止まり、はがきを包む紙を破り、中を見た。
全部で11枚。たったの11枚といっていい。ぼくはふるえる指で一枚一枚めくっては、その名前を見ていった。一番の親友の名がなかった。子どもの頃からぼくをかわいがってくれていた伯母の名がなかった。学生時代の先輩も後輩も、何度もいっしょに酒を飲み、酔っぱらっては夜の町をわめきながら歩いたなつかしい友の名も、そして裕子の名前もなかった。
ぼくは何回も何回も見なおしたが、たった11枚を見損なうはずもなかった。ごく遠い地域に住む人たちをのぞいて、ほとんどの人の名前がなかった...。何かの間違い、とは思えなかった。これまでの結果からみて。ぼくはずっと、従ってきたし、それは正しかった。年賀状を出すべき人。出さないほうがいい人。もう、出す必要がない人。
一体何が起こるんだ?
振り返ると、流れ星がまたひとつ、またひとつ、郵便局の裏の小山に落ちていくところだった。その数はどんどん増えていった。
...あれは、流れ星ではないのかもしれない。
郵便局の背後が照明で照らされたように明るくなってきた。
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年末には翌年の日記帳と手帳を買う。もともと大した予定もない人間なので、iPhone用のアプリ「さいすけ」を使えば、手帳の出番はあまりなさそう。「メモ」も意外と役に立つし......と思いつつ、今年も買った。無印のビニールカバー付きのやつ。ビニールカバーの内側に、好きな絵や写真を自分でアレンジしたオリジナルのカバーを作って入れると、ちょっと楽しいです。