ショート・ストーリーのKUNI[118]代理人
── ヤマシタクニコ ──

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その日、林原くんはとある食堂にいた。いつものように「なんでおれはこんなに貧乏なんだろう」と思いながら玉子丼を食べた。ぺろりとたいらげ、レジに行き、金を払おうとして林原くんは青ざめた。

財布の中には470円。玉子丼は480円。10円足りない。どうしよう。貧乏だといっても今まで食堂で「すいません、お金がないんです!」と謝ったりしたことはないのだ。当然、食い逃げの経験もない。だいたい足が遅いので絶対つかまる。こけるかもしれない。最近運動不足だし。

林原くんの額からたらりたらりと冷や汗が伝ってきたとき
「これをどうぞ」
すぐ後ろから10円玉を差し出した男がいた。

ビジネススーツに身を包んだ、いかにも仕事ができそうな男だ。いま風のセルフレームが似合っている。

「えっ......」
とっさに何もいえず、林原くんはとりあえずその10円玉をもらい、無事に勘定を済ませた。外に出るとほーっと息を吐いた。

「どこのどなたか知りませんが、ありがとうございました。おかげで助かりました」林原くんがそういうと男は手を振り「私にお礼を言う必要はありません。それよりここにサインしていただけますか」
一枚の書類を差し出した。




領収書
10円
私こと林原よしおは確かに上記の金額を受け取りました。

「え? なんでぼくの名前がわかるんですか?」
「わかるも何も、あなたに贈られたお金だからです」
「はあ?」
「実は私は代理人でして。あなたに恩返しをしたいという方から代理で10円を届けたのです」
「恩返し?」

「はい。去年の夏にあなたは一匹のアリを助けました」
「ぼぼ、ぼくが? まさか」
「はい。そのアリが仲間と歩いていたところ、あなたがやってきたのです。『ああ、なんでおれはこんなに貧乏なんだろう』と言いながら」

「たしかにぼくのようだ」
「アリはもう少しで踏みつぶされるところだったのに、あなたはとっさによけて、そのために転びました。おかげでそのアリ、池田修さんは助かったそうです」

「へー、われながらなんといい人間なんだ......と言いたいところですが、それはたまたま転んだのでは......近眼だから見えるわけないし......だいたい、アリがなんで池田修さんなんですか」

「わかりやすいように人間風の名前で言ったのです。ほんとはとても人間には発音できない名前ですが、あえて人間風に言うと池田修に相当するという意味なんです。で、その池田さんが、どうしても命の恩人に恩返しをしたいと申し出られまして。ずいぶん探しましたが、やっと見つかりました」

「それはどうも。でも、10円ですか......」
「アリにとっては大金です。池田さんはあなたの恩に報いるために昼夜を問わず働き、やっと1年かけて10円をためたのです」
「そ、そうですか。ありがとうございます。池田さんにはくれぐれもよろしくお伝えください」

領収書にサインをして男と別れて歩き出した。信号2つ分くらい歩いたところで、見知らぬ男に呼び止められた。

「林原よしおさんですね」
「はい、そうですが、ひょっとしてあなたも代理人?」

「さようでございます。あなたは去年の9月に一匹のメスの蚊に血を吸わせました」
「いや、吸わせた覚えはない。それは単に吸われたんだ」
「おかげで元気な卵が産めました、ぜひお礼をしたいと、内村早苗さんのご希望を伝えるためにやってまいりました。これを」

「蚊の名前が内村早苗か......なんだこれ。抽選券?」
「そこの商店街でいまガラガラ抽選をやってます。3000円以上買い物しないと抽選させてもらえないんですが、これがあればだいじょうぶというすばらしい抽選券です」

「それでふつうだよ。でも、当たるのかい」
「サプライズを味わっていただきたいということなので、当たるかどうかわかりません。どきどきするのが楽しいじゃないですか。あ、この領収書にサインを」

林原くんは領収書にサインをしてガラガラ抽選の会場に行った。結果は「うまい棒」7本入り袋だった。

林原くんはそのうまい棒をむしゃむしゃと食べながら考えた。なんで恩返しにしても、こんなにしけた恩返しばかりなんだろう? お話に出てくる恩返しといえば大金持ちになるとか美女と結婚するとか......。

いや、でも、あのとき10円がなかったらものすごくはずかしい思いをしてたわけだ。このうまい棒だって、ただで手にいれたのだ、ただで。それにこのうまい棒のギュウタンシオ味、なかなかいけるな。いままでチーズ味ばかり食べてたけど。

そうだ。人間、調子のいいことばかり考えていてはいけないんだ。小さな善意の積み重ねが幸せをもたらすということなのかもしれない。なるほどなるほど。この調子でいけばこれからもいいことがあるかもしれないし、ひとつひとつはしょぼくてもトータルすればそこそこのもんだったりして......。

と思った瞬間、林原くんはいきなりパンチを受けてその場にぶっ倒れた。

「痛っ! なななな何するんだ!」

すると、頭の上から太い腕がのびて、林原くんが転びながらもしっかり握りしめていたうまい棒をさっと奪い取った。林原くんが見上げると背の高い筋肉隆々の男が立っている。グラサンがぎらりと陽に輝く。

「これはもらっておく。ほかにもあったら出すんだ!」
「なな、なんだよ、おまえは」
「おれは復讐専門の代理人だ。おまえは去年の秋、網戸を閉めるときにそれでなくとも弱っていたガガンボの沢田ジュンイチさまをはさんだ」

「しししし知りませんよ!」
「おかげで沢田さまは脚を一本切断されたんだ。復讐してくれといわれ、今日まで探していた。おまえが引っ越したおかげで苦労したぜ。おまえも同じ目にあわせてやりたいところだが、うまい棒を全部寄越せばいいことにする」

「ももも申し訳ございません。うまい棒、さしあげます。テリヤキバーガー味、あとで食べようと思ってとっておいたんで、それが残念ですが」
「つべこべいうんじゃねえ!」

男がうまい棒を取り上げようとしたその瞬間、横から巨大な肉塊がものすごい勢いで飛んできた。と思う間もなくグラサンの男に一撃をくらわし、男は一発で100メートル先までふっとんだ。

「あぶないところでしたね。あんなやつをのさばらせておくわけにはいきません、林原さま」
肉塊、もとい林原くんを助けた男は、林原くんのそばにうやうやしくひざまずいて言った。

「きき、きみは何なんだ」
「私も代理人です。あなたはゴキブリ界にその名をとどろかせている大和田隆三さまが寵愛されているゆうこさまが、慣れないコンビニに遠征して道に迷っていたとき、そっとドアを開けて逃がしてあげたそうで」

「覚えてない。たまたまだろ、たまたま......」
「大和田さまは感激されて、なんとしてでも恩返ししたい、あなたを見つけ出して連れてこいとのお達しです。ささやかではありますが、一席設けております。姐さんもお待ちかねです。さあ今から一緒に」
「行かないよおっ!」

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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公園を歩いていたらカラスノエンドウやタンポポに交じって、うちわみたいな変わった形の種をつけている植物があった。何だろうと思い、帰って調べたらムスカリらしい。ん? ムスカリ? そういえば、付近にはゼラニウムも弱々しく小さな花を咲かせていた。白い木製のミニフェンスも何か所かに......ご近所のお花好きな方が植えられたらしい。幸いこびとの人形などはまだなかったけど、「やはり庭におけ園芸植物」ではないだろうか。