ショート・ストーリーのKUNI[123]夏空
── ヤマシタクニコ ──

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夏の空の美しさはぼくたちにさまざまな思いを抱かせる。あらゆるものに濃い陰影を投げかける太陽への畏怖。生き物のようにみるみる形を変えては流れ去る雲の不思議さ。自分が小さな砂のひと粒になったような恐怖。そして、もしやこの空は、つくりものではないかと思う一瞬。

ぼくたちは国によって定められた居住区に住んでいる。毎日、朝になると居住区から「ゲート」を通ってそれぞれの活動場所におもむく。会社に行って仕事をしたり、農園で野菜を作ったり、あるいは研究所で難しい研究に取り組む。

ゲートには機械が並んでいて、ぼくたちはそこを通るとき、機械におでこをくっつける。異常がなければゲートを通過できる。たくさんの人がやってきては次々にゲートの前で立ち止まり、少し体をかがめておでこをくっつけていく様子は、少々滑稽にみえるかもしれない。

ぼくにはくわしいことはわからないが、それは21世紀初頭に存在した自動改札機をモデルにしたものだと聞いたことがある。その時代の人々は鉄道に乗る際にプラスティック製のカードをポケットから取りだし、機械にくっつけたりかざしたりしたそうだ。すると機械がカードの情報を読み取り、それを所持する人間を駅の中に入れてもよいかどうか判断した。

信じられないことだが、当時は乗り物によってカードは何種類もあったし、買い物をしたり映画を観るときにもそれぞれのカードを使いわけなければならなかった。人々の生活は煩雑をきわめた。財布はカードであふれ、人によっては何10というパスワードを覚えておく必要があったという。

すべての情報の一元管理が望まれるのは時間の問題だった。今のようなシステムになったのは自然な流れだ。だれもが常に持ち歩いていて、たくさんの情報を保存しておける場所は「脳」だからだ。




でも、そのような説明はぼくが見てきたわけでもなんでもない。ぼくたちは何も知らない。そんなことはぼくたちが生まれるずいぶん昔、「大リセット」以前のことだからだ。人口は今の何百倍もあったし、世界は広かった。だれにも統御できないくらい。それはぼくの想像力を超えている。

ゲートを抜けたところには広大な芝生広場がある。頭上に広がる空の、あまりの美しさにぼくたちは一瞬立ち止まる。そして空を仰いで大きく息を吸い込む。

ある朝、ぼくはゲートの機械におでこをくっつけた。一瞬のうちに機械はぼくの脳にしかけられたロックをはずし、脳のある部位にアクセスする。目の前のバーがすうっと開く。その瞬間、ぼくは隣のゲートにいる女の子と目が合った。ふたりともおでこを機械にくっつけた姿勢で、そうした姿勢をとっていることを少し恥ずかしいと思いながら。ぼくたちはにっこりと笑い合った。

3日後にはぼくたちは一緒に暮らしていた。茶色の柔らかな髪と同じ色の虹彩を持った女の子。

「ねえ、こんな話を聞いたことある? ゲートの話」
「ゲートがどうか?」
「あるとき、ゲートに早く入ろうとして、あっちから走ってきた女の子とこっちから走って行った男の子がぶつかったの。すごい勢いで。それも、たまたまおでことおでこが激突。そしたら、脳の中身が入れ替わってしまったんだって。男の子は一瞬後に『あら、あたし、どうしたのかしら?』」
「ははは」

「あると思う? そんなこと」
「ないに決まってるだろ」
「そう?」
「ああ、ふだんはロックがかかっていて、ゲートの読み取り装置以外はそれを読み取れないようにできてる」

「ぶつかった拍子にロックがはずれたら?」
「ないだろ。それに、ロックがはずれても中身がそっくり入れ替わるってありえない」
「そうよね」
彼女は笑った。

「一種の都市伝説ってやつさ」
「そうよね」
彼女も笑った。「あたしたち何も知らないよね。ゲートのこと」と言いながら。

知らないといえば確かに知らない。ぼくたちがなんとなく理解しているのは次のようなことだ。毎日の労働で得た収入はきちんと管理され、その中から税金が徴収され、そのかわり病気になったら無償で治療を受けられ、結婚して子どもが生まれたらその子はやがて無償で教育を受けられる。

それらすべてにゲートが関与しているらしいこと。ぼくたちは余計なことを考える必要はない。日々の行動はすべてゲートを通してどこかに記録されているらしいから、日記をつける必要もない。ぼくたちがここに存在していること、かつて存在したことが必ず残っていく。それはなんてすばらしいのだろう! 

都市伝説といえば最近もうひとつ、聞いたことがある。あるとき、ひとりの女の子がゲートを通過しようとして機械におでこをくっつけたそのとき、機械に異変が起きた。何人かが悲鳴を聞いた。およそ1分の後、係員が駆けつけたが、手遅れだった。彼女はすべてを機械に吸い取られたあとだったという。

一瞬ぞっとする話ではある。しかし、いったいだれがそれを目撃して、どうして「すべてを吸い取られた」と確認できたのかとなるとだれも確かなところを知らない。都市伝説とはそういうものだ。いや、これはほとんど怪談である。そうだ。真夏には怪談がはやるものなのだ。

彼女がすっきりしない顔で朝のコーヒーを飲んでいる。
「調子が悪そうだな」
「ええ。なんだか変なの」
「変? どんなふうに」
「ゆうべから急に・・・私は梱包材料についてくわしくなってしまったの」
「はあ?」

「梱包材料を扱っている会社で14年ほど働いていた......ような気がするの。あ、その袋も扱ってた。品番はNK-0014......だったかな」
彼女はサラダパックの入っていた袋を指さして言う。
「君の言ってる意味がわからないけど。夢でもみたの?」
「そうね。夢かもしれない」

「梱包材料にくわしくなったのならいいじゃないか。次の就職口にどうだい」
「まさか! 14年もいたのよ。もうたくさんだわ!」
彼女は急に激しい口調になった。ぼくがあっけにとられていると彼女もはっとしたようだった。
「ごめん。つまらない冗談を言って。何かいやなことがあったんだね? 夢で」

夢に決まっている。彼女はまだ24歳なのだ。14年も梱包材料の会社で働いていたはずがない。

ぼくたちはその日もいつもの時間に居住区を出て、機械におでこをくっつけてゲートを出た。そして、いつものように空を仰いだとき、不意にだれかの声が聞こえたような気がした。

(パパ、見て、これ)
(ぼくが作ったんだ、この飛行機)

あたりにはだれもいなかった。その声はぼくの脳内にあった。ぼくにはもちろん子どもはいないが、その声をよく知っている。ぼくの子どもだ。ぼくはその子をとてもかわいがっていた。その子の成長を生きがいにしていた。
なぜだ? なぜそんなことを知っている?

(パパ、あぶない!)

視界の端に豆粒ほどのトラックが見えたと思う次の瞬間には、それは小山のようにふくれあがり、ぼくは脳内におそろしいイメージが映し出された。いや、それはほとんどぼく自身の記憶であり、体験だった。ぼくの手足はばらばらにひきちぎられ、骨は砕け、ぼくは自分自身の血のにおいをかいだ。悲鳴をあげ、頭をかかえこみ、ぼくはその場にうずくまった。

拷問としか言いようのない時間が過ぎ、目を開けると、制服を着た固い表情の男たちが何人も広場に現れ、壁に張り紙をして去っていくところだった。

「本日現在、ゲートに関してごく軽微な不具合が確認されているが、取るに足らないものである。この不具合はまもなく修復の見込みである。」

居住区を出るときはぼくのすぐ後ろにいたはずの、彼女の姿が見えないことにぼくは気づいた。でも、だいじょうぶだろう。そこらでだれか友達と出会って、おしゃべりしているにちがいない。

ぼくは立ち上がり、空を見た。なんてみごとな夏の空だ。そう思うぼくの心臓はまだばくばくと波打っていた。思わず指先を額に持っていくが、血糊がついてくるわけではない。

ゲートに不具合? そうか。そのうち回復するのだろう。特に気にすることもないだろう。ぼくは空のまぶしさに顔をゆがめつつ思った。まっ白な雲が流れていく、真っ赤な空。まるでつくりもののような、美しい、真夏の赤い空。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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年に何回かある団地の草刈りがゆううつだ。といっても業者さんまかせなのだけど、騒音がひどい。団地だから反響して、ますますひどい。どうしてもっと静かな草刈り機が発明されないのだろうと思う。とりあえず土曜日の朝くらいゆっくり寝かせてください......。