ショート・ストーリーのKUNI[125]夏の願い
── ヤマシタクニコ ──

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おれはひょっとして嫌われているんじゃないだろうか。
いつからともなく夏はそう考えるようになった。たとえば夏がそろそろ退場して秋にバトンを渡すころ。

「ああ、夏も終わりか」
「終わってみるとさびしいもんだな」

人間たちが口々に言うのをはじめは聞き流していたが、よく考えるとそこにはしみじみとしたよろこび、あるいは安堵の思いが含まれているような気がする。おれはただがまんされる存在なのか。

夏のマイナス思考が始まる。
「おれはそんなに嫌われていたのか」「それならそうと言ってくれればいいのに」「いや、『夏が好きだ』というやつはけっこういるぞ」「でも、それって『ビールがうまいから』とか『泳げるから』とか、なんだか便宜的に考えられてるっぽい」云々。

その思いは2012年の金環日食でピークに達した。日本中、いや世界中の人々がその日、そのときを待ちわびて興奮していた。テレビでも新聞でもネットでもその話題で持ちきり。なんという愛されようだ、金環日食!

そうだ。おれも、たった一日しかなかったら、みんなに待ちわびられ、愛されるのかもしれない。おれは......愛されたい!

願いは強く願えばかなうもの、と言ったのはだれだったか。
そして、夏の願いがかなった。




「ニュースをお伝えします。明日はいよいよ夏です」
テレビのアナウンサーが言う。
「おお、そうか。明日は夏か」
「おとうちゃん、夏って何」

「なんや、ケンイチ。去年の夏のこと忘れたんかいな。まあええわ。明日は一年ぶりの夏やからな。去年は家にいたけど、今年は出かけよか」
「どこに?」
「決まってるがな。夏の本場、大阪のど真ん中や」

「それが夏の本場なん?」
「ああ。夏にもいろいろあるけど、日本の夏は蒸し暑いのが特徴や。蒸し暑さとか暑苦しさでは大阪が一番や。なにしろ2008年のオリンピック誘致が失敗したのも大阪が暑すぎるのが本当の理由と言われたくらいや。とにかく夏といえば大阪やねん」
「ふうん」

朝になった。
「あー、死ぬかと思た。なにしろ昨日まで春やったからごつい布団かけて窓も閉めて寝てたからな。あっつ〜〜」

窓を開けると朝から入道雲が出ている。セミがシャワシャワ、ミンミン、ジージーと鳴いている。めちゃくちゃやかましい。セミも夜中に大急ぎでぞろぞろと地中から出てきて羽化したのだ。向かいの家ではアサガオが必死で花を広げて、すでにしぼみかけている。ヒマワリもにょきにょき伸びている。

「セミ、取りたい」
「セミはどうでもええ。早よ出かけよ。早よ行かんとええ場所がなくなる」

息子を急かしてすでに真夏日の気温の中を駅に向かうと、駅は大勢の人であふれている。暑苦しい。車内はまさに蒸し風呂状態だ。夏が一日だけになってから必要ないので、冷房車もほとんどないのだ。

「おとうちゃん、暑い......」
「がまんせい、これが夏や。今日しかないんやから。この暑さをしっかり味おうとけ」

電車を乗り換え乗り換え、やっと難波到着。駅はものすごい人出。あちこちから「夏の本場・暑苦しさ日本一の大阪めぐりツァー」の客が集まるからだ。わいわいがやがや、ますます暑苦しい。ツァー客といっしょにぞろぞろと戎橋筋を北上する。通りには金魚すくいやかき氷の店がぎっしり並ぶ。

「おとうちゃん、暑い」
「夏は暑いもんや。あ、そこで冷やしあめ売ってるから買うたろ。おとうちゃんはビールや......ハーッ! うま〜〜〜〜!」
「冷やしあめ、おいしいなあ」
「そやろ。夏はええもんやろ、ケンイチ」
「うん」

「むかしはな。夏になったら毎日夏やったんや」
「意味わかれへん」
「わからんでもええねん。えーと、昼は何食べよ。やっぱりざるそばかなあ。いや......なになに。『暑いときは熱いものを!特製なべやきうどん』。これいこ!」

真夏日にアツアツのなべやきうどん。ほとんど死にかけて店を出る。
「おとうちゃん、暑い」
「がまんせい言うてるやろ!」
「しやけど暑い」
「おとうちゃんかて暑いわ!」

戎橋の上にはぎらぎら光る太陽のもと、大勢の人間が鈴なりで、何をするでもなく集まっている。
「おとうちゃん、みんな何してるん」
「見てわからんか。夏を楽しんでるんや」
「みんな顔しかめてふらふらであんまり楽しそうに見えへんけど」
「気のせいや!」

そのとき、ごくごくかすかな風が吹いた。ふわ〜〜っと群衆の間を抜けていく。
暑さの中ではそんなそよ風がすばらしく感じられる。

「おおおおおおっ!」「す、涼しい!」「これがいわゆる伝説の『極楽の余り風』かー!」
「おとうちゃん、涼しいな」
「そやろ。夏ってええもんやろ」
「うん」

しかし、午後になり、日差しはますますきびしくなる。川面を見つめて「い、いっそのこと、ここに飛び込みたい」という者を「やめとけ、ヘドロだらけや! カーネル・サンダースの人形かて見つかったときはぼろぼろになってたやろ!」といさめる者。日傘を差そうとすると「何やっとんねん!」「暑うてなんぼやろ、夏は!」「この太陽の恵みを受けんでどないすんねん!」と怒り出す者。

橋の上は険悪な雰囲気。それでも耐えられず「あ、あかん」「命にはかえられん......」ばたばたと脱落者が出てくる。エアコンの効いた店に避難する。さすがに夏を楽しむと言っても身の危険を無視するわけにはいかない。だいたい夏に対する耐性が弱くなってるのだ。ケンイチ父子も避難する。

「あー、涼しい。おとうちゃん、やっぱりぼく、このほうがええわ」
「あほか!夏の暑さがあるからこの涼しさが味わえるわけやないか!」
「そらそやな」

店のテレビでは各地の夏の様子を伝えている。

「えー、全国一斉に夏ですが、午後になり、これから夏の終わりに入りますのでご注意ください。すでに、うつぼ公園や大阪城公園ではセミがどんどん死に始め、道路はブンブンもがくセミだらけで足の踏み場もなく、観光客がパニックとなっております。また、夕方には蚊も出てきますが、刺されたときはこのように、爪で十文字を」と言ったところでぶちっとテレビが切れた。

それだけではなく、照明も消えた。エアコンも止まった。急にあちこちで冷房を使い出したので電力供給が間に合わず、街中が停電したのだ。
「あつ!」「死ぬ!」「助けてくれ!」
逃げ出す人々。そのとき、道頓堀川を遡上する何か。

「あー、クラゲだ!」「クラゲの大群が大阪湾から!」「は、橋の上まであふれそうだ!異常発生だ」「ぎゃー!」

たちまち一帯は大パニック。グリコやカニの看板からドンキのコースター、松竹座までクラゲまみれ、おそろしい光景が目の前に繰り広げられる。ケンイチ父子も大あわてで帰る。帰るといっても電車が止まっている。タクシーやバスを乗り継ぎ、へとへとになって夜遅くにやっと帰宅。

「あー、えらいことやったな。疲れた疲れた。もう今日は早よ寝るか」
「あ、忘れてた!」
「何を」
「夏休みの友、せなあかんかった」
「なつやすみのともぉ?! まじか! たった一日やのに、どんな学校や! ......早よ出せ! おとうちゃんが手伝うたるさかい」

「おとうちゃん」
「もー、なんやねん!」
「毎日夏やったらええと思う?」
「思うか!」

おれってやっぱり嫌われてるんだ。年に一日だけになっても金環日食みたいに喜んでもらえなかった夏が、さびしそうにつぶやいたそうだ。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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朝、駅に向かって歩いていたら何やら左足に違和感。見たら、靴の底が先端だけ残してばっくりはがれ、内部構造むきだし。げー。びっくり。いつも安物を買ってる安物ベテランの私にしても初めての経験。

かかとがはがれた靴って歩けないんです(あたりまえか)。ずるずる引きずるしかない。幸いすぐそばにスーパーがあり、すでに開店していたので靴をひきずりながら入って瞬間接着剤を買い、くっつけた(ほっ)。でも、その日一日中、いつまたばっくりいくかと思ってそろそろとしか歩けなかった。以来、バッグに瞬間接着剤を常備しています(それよりもっとましな靴を買おうよ)。