ショート・ストーリーのKUNI[127]スフラ
── ヤマシタクニコ ──

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おれとW先輩は途方に暮れていた。山の頂上から降りかかったところ、急に夜になってどこがどうだかわからない。早い話、道に迷ったのだ。

「さっきまで明るかったのに」
「よくないですね、これは」
「よくないも何も」
「遭難ですよね」

おれとW先輩はまったく困った。腹も減ってきた。ますます困った。もちろん携帯も通じない。

「ああ、ひもじい」
「腹減った」
「ひもじい」
「腹減った」

言えば言うだけ腹が減るので言わないことにしたが、それでも減ってくる。
一生懸命がまんしたががまんの限界だった。
「腹減った!」おれたちは同時に声を出していた。

次にW先輩とおれが同時にしたことは、ザックの中をあさることだった。何か食べられるものが出てくるんじゃないかと、一縷の希望を託して。




ティッシュ タオル くしゃくしゃになったふもとの神社のパンフ 紅葉したもみじの葉 バンドエイド メルティーキッス
「何もないなあ」
「ないですね」

次の一瞬、ふたりとも我に返った。メルティーキッス!?
おれたちはたったひとつのメルティーキッスめがけて同時に手を伸ばし、おでこをぶつけあった。そしてわずかな差でメルティーキッスは先輩のものになった。個包装を破り、口の中に放り込み、しみじみと味わうW先輩。

「うまかった」
「でしょうねえ」
「でも、後がむなしいなあ」
ますます腹が減った。しかも寒くなってきた。
「まるで遭難ですね」
「だからそういってるだろ」

おれたちはため息をついた。気をまぎらわそうとして思いついたことをどんどんしゃべった。友だちの悪口とかうわさ話とか、よく考えたら当のW先輩のことじゃないかと途中で気づいた話もあったが適当にごまかした。

遭難したときは寝たら死ぬというではないか...別に冬山というわけでもなかったが。しかし、何をしゃべっても腹が減っていることを忘れることができない。

「おい」W先輩が言った。
「はい」
「もみじの葉っぱなんかどうするつもりだったんだ。本の栞にでもするのか」
「もみじの葉っぱ? なんですかそれ」
「さっきおまえのザックから出てきたじゃないか」
「あ。確かに」

もみじの葉っぱ。もみじの葉っぱ......。
来る途中にもみじの木なんてあったかな? というか今は4月だけど?
おれはしばらく考えた。そして
「思い出しました。このザック、おれのじゃないんです」
「はあ? じゃあだれのだ」

「ゆうべ用意をしようとして押し入れの中を探したんですが、ザックが見つからなかったんです。なんせ山登りなんか何年もしたことなかったし。学生時代に使ってたのはひょっとしたら捨ててしまったかも。それで困ってたらおふくろがどこかからこれを出してきたんです」

「そういえばえらく古めかしいのを持ってるなと思ってたよ」
「ええ。だから、もみじの葉っぱもだれがいつ入れたのか...だいぶ黒ずんでいたし」
「え、じゃ、さっきのメルティーキッスはいったい何年前の」
「いや、メルティーキッスは先輩のザックから出てきたんですよ」
「なんだ。だったらおれが食べても当然じゃないか」
「だれも文句言ってませんよ」
「そうか」

そこでおれははっとしてもう一度ザックの中を改めた。ひょっとしてもっと何か出てくるかもしれないと思ったからだ。暗くなっていてよく見えないが、手さぐりでごそごそしていると、ザックの底が二重になっていることがわかった。

ファスナーのつまみが手に触れたので引いてみる。中に何かある。布のようだ。食べ物ではないようだが、とりあえず引っ張り出してみる。

「何なんだそれ」
「さあ...」
目を近づけてみると、なんだか古めかしい風呂敷のようなものだ。
「食べられそうにないな。そんなもん、出すなよ」
「ええ...でも」
「でも、何だよ」

「ひょっとしてスフラじゃないかと思って」
「スフラ? なんだそれ」
「千一夜物語に出てくるんです。テーブルクロスみたいな布で、そこから食べ物がどんどん出てくる...そういうやつだったと思います」

「つまり魔法のテーブルクロス? そんなわけないだろ」
先輩はげらげらと笑い
「ああ、笑ったらますます腹が減った」とため息をついた。しかしおれはすでに見つけていた。布のすみに文字が書かれているのを。だが、端のほうは文字がかすれていて月明かりでは読み切れない。

この布を広げ、食べたいもののイメージと、そのための調理法を思い浮かべてください。それから......

「先輩、やっぱり、それっぽいですよ」
「ええっ?」
「試してみましょう。先輩、食べたいもののイメージを言ってみてください」
「え...そうだな。急に言われても...そうだな。ビーフストロガノフ」
「それは...調理方法がわかりません。先輩、知ってるんですか」
「知ってるわけないだろ。そうか。調理方法がわからないとだめなのか」

「この布に指示してやらないとだめなようです」
「じゃあ...肉じゃが。いや、待てよ。肉じゃがってどうやってつくるんだっけ」
「まず材料を刻んで」
「うん。それから」
「...わかりません」
「なんか水を入れて炊くんだよな。先に炒めるんだっけ?」

「どうなんでしょう。自分で作ったことないんで」
「おれもだ。調味料も何を使うのか...さっぱりわからん」
「じゃあ、おでんはどうでしょう」
「同じことだよ。材料を適当に切るところまではわかるけど」
「そうですよね。こんなことなら料理を勉強しておくんだった」
「簡単な料理でいいよ。たとえば卵焼きとか」

「卵焼きなんか腹がふくれませんよ。どうせならごはんものとか」
「飯の炊き方がわからないじゃないか」
「...なんとかなるんじゃないですか」
「じゃあ。なんとかしろよ」
「なんとかしろよって、そんなふうに言われても」
「ええ? 何なんだ」

なんだか腹が立ってきた。二人とも空腹で、いらいらしていたのかもしれない。そもそも道に迷ったのはW先輩のせいじゃないか。そうだ。あの分かれ道のとき、あっちに行っていれば迷わなかったんだ。いまごろとっくに家に帰り着いて風呂に入ってテレビでも見ていたんだ。それがなんで。

「おい、何をぶつぶつ言ってるんだ」
W先輩が言った。
「簡単な調理法で食べられるものを出してくれよ。そうだ、もうなんでもいいよ、単に材料を切り刻むだけで食べられるようなものでも」
「わかりました」

おれはうんざりした。何もかもめんどくさくなった。それで布を広げて適当に「肉」「刻む」とだけ念じた。何も起こらなかった。
「やっぱり、ただの風呂敷だよ、それは」
先輩がさっきとは打って変わって急に力の抜けたような声で言った。
「そうですね」

「魔法のテーブルクロスなんかあるはずないさ」
おれもそう思った。空腹のあまり頭がおかしくなっていたのかもしれない。スフラ。千一夜物語。ばかなことを考えるもんだ。この現実と何の関係もないじゃないか...とは思いながら、どこかで別の可能性があるような気もした。

アラビアンナイトのスフラではなくても、別の何かかもしれない...いや、だとすると何だというんだ...ふと気づくと少しずつ明るくなっていた。夜が明けようとしている。

「先輩と話しているうちに夜が明けたようですね」
「ほんとだ。これでひと安心だ。ふもとに降りたら食堂でもなんでもあるだろう。ああ、親子丼でも食べたいもんだ」
「ぼくはきつねうどんかなあ」
想像しただけで元気が出てくるようだった。

下の方から早くも登山客の声が聞こえてきた。都心に近い山なので日課のように登るマニアもいるのだ。声はどんどん近づいてくる。
「おーい」60代くらいの男が自分たちのほうにやってくる。
「迷ってそこで夜を明かしたのか。たいへんだったな。だいじょうぶか」
「おかげさまでだいじょうぶです」

おれと先輩は答えた。そのとき、風が吹いてあの布を巻き上げた。布はふわりと頭上に舞い上がり、それからゆっくり落下して、男の上にすっぽりとかぶさった。あ、と思う間もなくたちまち肉を切り刻む音が聞こえた。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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数日前、あるところで「すみませーん...バス停、どこにあるか知ってる?」と小学生らしき男の子のグループに声をかけた。すぐ近くにあることはわかってるのだが、はっきりしないし、階段を上がったり下りたりして探す(現場は複雑な陸橋の上)より地元の子に聞いたほうが早いと思ったのだ。

だが......ガン無視。私のほうを振り返ったから聞こえなかったわけではない。「知らないひとに話しかけられても答えないこと」としつけられているのだろうか。それとも私ってよっぽど人相悪い?(ふつうのおばさんだがなあ)。それとももっと丁重に話しかけないといけなかったのか? 等々悩んでしまった。