ショート・ストーリーのKUNI[137]月
── ヤマシタクニコ ──

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こんなことを知っているのは私くらいだと思うが、月は腰痛持ちである。上弦の月とか下弦の月とかいわれるかたちを思い浮かべるとわかりやすいと思うが、あんな姿勢でじっとしてると絶対、腰が痛くなるのである。

「おまえら人間はほんの何時間かパソコンの前にいるだけで腰が痛いといって騒ぐが、おれに言わせりゃおおげさだってんだ。おれなんか何千年、何万年もこうやって宙ぶらりんでいるんだからな」

もっともだ。で、そんな月は腰痛軽減と気分転換をかねて時々人間をいじりにいくのだそうだ。以下、月のぼやき。

おしゃれなバーでカップルが向かい合っている。
女がカクテルのグラスを見て言う。
「いやーん見て見て。グラスの中にお月さまが〜!」
「あ、ほんとだ。レモンがまるでお月さまだ。レイコちゃん、かわいいこと言うねー」

ふううん。そうかねそうかね。あほらしくなっておれはひゅうっとグラスの中に入り込み、代わりに半月形のスライスレモンをおれのかわりに夜空に放り投げた。レモンは機嫌良く空にぶらさがった。夜道を歩く人たちも気づかない。

「今夜の月はまるでレモンみたいね」
詩人が増えるだけのことだ。




女はストローでグラスをからからとかきまぜる。氷が冷たくて気持ちいいぜ。
「信じてくれよ。いまつきあってるのはレイコちゃんだけなんだから」
「ほんと?」
「ほんとだとも。ほかの女の子のことなんか考えられない。結婚しよう」

女はほほえむ。おれはふたりを見比べ、ぱちぱちぱちっとまばたきをする。録画を早送りにしたみたいに未来が見える。
「やっぱりうそだったじゃない。私だけだなんて言ってうそばかり! 新婚早々浮気ばっかりして!」
「ごごごご、ごめんよ!」

殴る蹴る。ものが飛ぶ。ふふふ。修羅場だ修羅場だ。やっぱりな。これだからあほな人間どもはおもしろい。恋愛しろ結婚しろ。そして後悔しろ。おれは満足してグラスから抜け出し、夜空のレモンと交代する。

次におれはあたたかな光に満ちたマンションの一室をのぞいてみた。まだ幼稚園児くらいの男の子が母親に爪を切ってもらっている。ふわふわのほっぺたがいちご大福みたいな、絵に描いたようなかわいい子だ。

「ママ、みかづき」
「あらま、ほんと。ダイちゃんの爪は三日月みたいねー」

母親はかわいくてたまらないように男の子にキスをする。広げたティッシュの上に、今切られたばかりの男の子の爪があった。薄くてつるつるで、確かに三日月型だ。

なるほどな。おれはさっそくその爪を夜空にぽーんと投げかけ、かわりに自分が爪になった。そしてぱちぱちぱちっとまばたきすると目の前の親子がどんどん年をとっていった。

「ダイちゃん、いったいどうするつもりなの! 学校にも行かず就職もせず毎日毎日だらだらと!」
「るせえなあ! 黙れババア!」

ダイちゃんは親を殴る。ぎゃっと叫んで泣き伏す母親。
「し、信じられないわ。あのかわいかった子が。うわああああああ」

かわいかったダイちゃんは見る影もなく太り、指には毛がはえ、爪は硬くて濁った色をしている。爪切りで切ったところでとても「みかづき」にはならないだろう。

ふふ、こんなものだな。おれからみりゃよくあることで、何が「信じられない」んだかわからんのだけどね。まあ盛り上がってけっこうだ。ばかな人間どもめ。おれはまたぱちぱちぱちっとまばたきして元に戻り、夜空に浮かぶはかなげな爪の三日月とチェンジする。

ついでにおれはスーパーの中のがらんとしたパン屋に行き、アルミのトレーに売れ残っていたクロワッサンを見つけるとそいつをぽーんと空に放ち、代わりに自分がトレーに乗っかる。ああ、楽ちん楽ちん。やっぱり寝っ転がるに限るぜ。空にぶら下がってるなんて冗談じゃねーぜ。

「見てみて。なんだか今日の三日月ってこんがり焼けたような色?!」
「気のせいじゃない?」
「そうね・・・気のせいよね。あはははは」
気のせいじゃねえっつーのに。クロワッサンだっちゅーのに。

「人間いじりはやめられないな。あいつらばかすぎる」
おれがそういってけらけら笑うといつも心配するのが雲だ。

「あんまり調子に乗るなよ」
「なんで。いいじゃないか。おれの勝手だ」
「なんか良くないことが起きそうな気がするよ」
「気のせい、気のせい!」

夕暮れというのはどことなくさびしげだ。そのどことなくさびしげな時間帯にどことなくさびしげな女が台所に立っている。うつむいて、まっしろな大根を輪切りにする。ことん、ことん。

失敗する。
「あああ」
まっすぐ切れなかったために下の方が透けそうに薄くなった輪切りを指先でつまみあげ「えっと」とつぶやく。

「大根の月、とかいう小説があったわよね。確かにこれって、夕暮れの月そのもの。うまいこと言ったものね、あの作者。ん? 作者ってだれだっけ」

女はどことなくさびしげに笑う。いや、これだけ「どことなくさびしげ」が集まったら、もうはっきりと「さびしい」女にちがいない。おれは少し興味がわいて大根を夕暮れの空にひっかけ、入れ替わりに自分が大根の月みたいな大根になりすまして女の顔の真下に横たわった。さびしげな顔だ。そして、ぱちぱちぱちっとまばたきをして女の過去を見た。

今より若い女が今と同じようにさびしそうに大根を切っていた。なんだこりゃ。おれはまたぱちぱちぱちっとまばたきをして女の未来を見た。今より老けた女がやっぱり夕暮れの台所で大根を切っていた。なんだこりゃ! 一生大根切りで終わるのか! あきれてまたぱちぱちっとまばたきするとおれの真上で女ははっと目を上げた。

「思い出した。宮部みゆきの小説だわ!」
いや、奥さん、それ間違ってるって。

なんだか不景気な女に行き当たったものでこっちまで不景気でさびしげで心の底までねずみ色に塗りこめられたみたいな気分になり、おれは大根の月はやめて、すっかり夜になった町を眺めまわした。

うまそうなにおいに誘われ、藍色ののれんがかかったうどん屋をのぞきこむ。テーブルでは中年のカップルが派手な音を立ててうどんをすすっている。

「ほんで私もびっくりしたんやけど、吉村さんとこの娘さん、やっぱり結婚す
 ることにしたそうやわ」
「おお、そらめでたい」
「めでたいゆうたらまあめでたいんやろけどなあ。ほんまに一時はもうあきらめたかと思てたけどしつこい、やない、一途な子やわ。いろいろ悪いうわさもある男やのにようまあ」
「本人がそれでええんやったらええがな」

「しやけど、絶対あの男、浮気するで。私、賭けてもええわ。いまは『ほかにつきあってる子はいてへん』とか何とかゆうてるらしいけどそんなもん信じたらえらいめにあうわ。そこんとこがまだわかってないねんな、もう、あほというか子どもというか、ああ、歯がいいてかなんわ。私、ちょっと言うたろか、言うのが親切と思えへんか、あんたどない思う」

にぎやかにしゃべるものでおれはついついこいつらにひきつけられた。
「おまえもでしゃばりやな。ほっとかんかい」
「そやろか。でしゃばりやろか、あとで後悔するのはあの子やし、私かて黙っとくのは何やしらん良心がとがめるわ。あ、それから太田さんとこの息子さん、ほれ、あのかいらしい子。お母さんも目に入れても痛うないようなかわいがりようで、それも無理ない思うけど、あれは気ぃつけなあかんと思うわ」
「なにが」
「ああゆうふうに溺愛されてた子に限って年頃になったら別人みたいになってしもて、ひきこもったり、あげくのはてに家庭内暴力ふるったりするねんて」

なんか聞いたことのあるような話が続いてないか? おれがそう思い始めたころ、女が目の隅でかすかに笑ったように見えた。ん? すると女は急に言葉を止めて丼に視線を落とし
「このかまぼこ、まるでお月さんみたいやな・・・」
丼の中の白いかまぼこを箸で示した。
「おお、ほんまや」

男が答え、おれもつられて見ると、確かに模様も何もない真っ白のかまぼこは半月に見えた。おれのいたずら心に火がつき、おれはさっそくかまぼこを夜空に放り上げ、代わって自分が丼の中に飛び込んだ。ああ、あったかい。いい湯だ。極楽極楽。おれはいい気持ちでおれの真上にいるおばはんを見ながらぱちぱちぱちっとまばたきをした。女の未来を見ようとしたら・・・見えなかった。

ん? じゃあ過去を、と思ったらそれも見えなかった。ええ? すると女がおれに向かって、にった〜〜と笑った。おれは心底恐怖で凍り付き、動けなくなった! 女の箸先が伸びてきた。

危機一髪で救ってくれたのは雲だった。雲はおれのピンチを発見し、急遽大量のおぼろ昆布になって丼の中に出現、一瞬でおれを隠してくれたのだ。そのあとはおれも雲も無事に丼鉢脱出。やれやれ。

「だから言っただろ。調子に乗るなって」
「いやあ、びびったよ。しかし何者だ? あのおばはん」
「わかってないのかよ。風に決まってるだろ」
「風?」
「そうとも。いつも我が物顔にそこらをぶいぶい吹きまくってる風。といってもほんとはおまえにとってはどうってことない相手なんだろうけどな。風がいくら吹いても月にかないっこない。ただし、かまぼこVSおばはんなら話は別だ」
「なんだ、じゃあふだんからおれに不満があって、ストレス解消に女装してたのか?!」
「知るもんか。だいたい、女装って・・・風の性別ってあるのか?」
「ちきしょー。すっかりはめられてたんだ!」

以上のような話を月は長々と、時々腰をさすりながらしゃべってくれた。私も腰痛持ちだから、そこは人間と月という違いを超えて共感できたりするところが、あるかもしれないし、ないかもしれぬ。

「ところで今、ここで私としゃべってるということは・・・いま空にいるのは?」
「あれは『満月ポン』だよ。だれも気づかないけど、ほら見てみな」
確かに、そういわれて見れば、夜空に浮かんだ満月はうっすら醤油色している。
「人間ってほんっと、バカだよな」

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ところで私は腰痛持ちだけど肩こりはあまりない。美容院に行くと、途中で肩をもんでくれたり背中をぎゅーっとやってくれたりするけどいまいちありがたみがわからない。「それで?」な感じである。といっても「肩はいいから腰を」というわけにもいかないし。

満月ポン
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