ショート・ストーリーのKUNI[142]スイトルボーイ
── ヤマシタクニコ ──

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21世紀のいつかの夕暮れ。

汚染された大気でかすむ空を背景に、高層ビル群は色とりどりの灯りを身にまとい始める。天空に張り巡らされた光の並木は海まで伸びるハイウエイだ。飛行機がゆっくり現れては遠ざかる。雲の切れ端がオレンジに輝く

──きれいだ。

ぼんやりと眺めていた男の前に土埃を上げて青いトラックが止まる。そして、運転席から下りてきた男に「おい、下請け」と呼ばれる。

「できたか」

下請けと呼ばれた男は粗末な住宅の中に入り、段ボール箱を両手で抱えて戻ってくる。トラックの男に渡すと男はふたを開け、中に超小型の掃除機が並んでいるのを確かめる。下請けに封筒に入った現金を渡す。

「これだけか」
「それでせいいっぱいだ」
「先週より減ってる」
「相場が下がってるんだよ」
下請けはあきらめて家に戻る。トラックが走り去る。




「いくらだった?」
下請けの妻が聞く。黙って夫が渡した封筒の中身を見ると「ふうん」と言う。
「やっぱり、こんなもんね」
夫は黙っている。

「やっぱり不満でも会社に残っていたほうがよかったのよ」
「おれはそんな風に思ってない」
「でも、いつまでもこんなおもちゃみたいなものが売れるとも限らないし」

ふたりのまわりには小さな人のかたちをした小型掃除機のボツったやつがいくつも転がっている。スイッチを入れると腰をかがめ、目の前にあるほこりやごく小さなゴミを口で吸い取る。

愛称「スイトルボーイ」だが、彼も妻もそんな名前で呼んだことはない。ひとむかし前の人間なら「すごい」とか「おもしろい」とか言うかもしれないが、いまではせいぜいイベントの景品や雑誌の付録にしかならない。

それもいつまでもつことか。部屋の隅ではむかしの3Dプリンタを改良した、性能の割にかさばる機械が絶え間なく動いている。妻はできあがった製品の表面を整える作業を続けながら言う。

「もっといろんなタイプのデータを手に入れられたらいいのよねえ」
「データがすごく高いんだよ。それに、増やしてもそれがまた飽きられる。データを自分でアレンジできる能力がなけりゃ同じことだ」

「だからやっぱり」
「おれは気に入らない上司の下で働くのがいやだったんだ。独立すればそんな関係から抜け出せる」
「でも下請け、って言われてるわ」

夫は何か言おうとして思い直し、口をつぐんだ。

朝になると夕べの華やかさを忘れたように、ビル群は灰色の大気の中に沈み込んでいる。まだ半分まどろみの中にあるけもののようにみえるが、それでも軒並み300メートルを超えるその高さに圧倒される。

「下請け」の住むあたりはあそこから見れば風に吹き寄せられた紙くずのように見えるにちがいない。道路の舗装さえあちこちではがれたまま放置され、車が通れば土埃の舞う一角。

──おれの働いていた会社も、あのビル群の中にあったのに。それがほんの数年前のことなのに。彼はそう思い、ただちに「それがどうした」という彼の中の別の声に打ち消される。

くさくさするので彼は服を着替え、家を出て歩き出す。ビルが密集するあたりをめざして。彼は子どものころから、かっきりとした直線で構成されたビルが好きだ。美しいと思う。木や花を美しいと思ったことはない。

見かけだけは都心の企業で働いている人間にみえるだろうことを願い、自販機で買ったコーヒーを飲みながらビルの足元の陸橋でぼんやりしていると、不意に女に話しかけられる。

「ねえ、それ何?」

見るとブルゾンのポケットから「スイトルボーイ」が顔を出している。彼は冷や汗をかく。できそこないのスイトルボーイ。しかも妻がおもしろがって目鼻を描いたやつだ。なんでこんなものが......ああ、ゆうべ、怒った妻が投げつけたやつだ。部屋の隅にひっかけてあったこの服に、すっぽり入り込んだのだ。

「いや、これは」隠そうとすると
「見せて。かわいいじゃない」
「かわいいかなあ」

スイトルボーイはふつうは色も単色だし、大きな口がついてるだけで顔に目も鼻も描かれていないそっけないものだ。どうせ安く買いたたかれるものにそんなにコストをかけていられない。

「おれはこういうものを作る工場を持ってるんだけど。工員が気まぐれで描いたんだ」
「工場主さんなの」
「まあな」

「すごくかわいと思う。この手のロボットってどれもすごく正確に作ってあって、間違いないんだけどどこかおもしろくない。だから、こういう手書きのタッチって意外性あっていいんじゃない? 売り出せばいいかも」

彼は掃除機ロボットを改めて見た。確かに眉も目も下がり気味で、とぼけた表情がかわいいといわれればそんな気もする。顔があると「スイトルボーイ」という名前も納得できるようだ。

それから彼は女を改めて見た。流行の服と靴。ブランドもののショルダーバッグ。どれも金がかかっていそうだ。短いスカートからのびる太ももがまぶしい。でも若くない。でもそこそこ美人。

「私、こう見えても企画の仕事してるの。気が向けば連絡ください」女が差し出した名刺には「あなたのひらめきを商品に」とか「企画&デザイン」との文言がある。でも、彼が気になるのはすばらしい太ももだ。

その晩、彼は妻に、すべてのスイトルボーイに顔を描くように言う。
「考えたら、目も鼻もないというのがおかしいんだ。親しみが持てないじゃないか」
「別にいいんじゃない。今までそれで作って、買い取ってもらってきたんだし」
「もっと高く売れるかもしれない」
「そんなことないわ」

「やってみなくちゃわからないだろ!」
自分でも驚くような大きな声が出た。妻は身をすくませた。

3日間雨が続いた。4日目になってもやまないので彼はあきらめ、スイトルボーイをいっぱい詰め込んだ箱を持って出かけた。あの女のくれた名刺をあてにして。歩きながら彼は女との会話を想像した。

まあどれもすばらしいわ。私の思った通り。若い女性をターゲットに宣伝してみましょう。いままで顔がなかったのが不思議ね。彼は言う。そんなことより食事でもどうだ。本当はおれに気があるんじゃないのか?

でもそんな会話はなかった。応接コーナーで待っていると現れた女は冷静な表情でスイトルボーイを手にとって眺めた。
「この間見たときはいいと思ったんですけど」
「えっ?」
「微妙に表情が変わっているような気がするんですよね」

「同じだと思うよ。たぶん......でも、まあ、顔というのは少しの差でも違う表情に見えることはあるかもしれない」
「そうなのよねえ」
女は苦笑した。

「悪いけど、もう一度、がらっと作りかえて持ってきていただけないかしら。話はそれからにしましょう」
「それは......いつまでに」
「いつでもいいですよ」女はあくびをこらえながら言った。

それからふとおどろいたように「どちらからいらしたんですか?」と聞いた。何を言ってるのだろうと思いながら彼は女の視線の先、自分の足元を見た。ぬかるんだ道を通ってきたことが明らかな、べったりと黄色い泥にまみれたシューズ。彼ははずかしさに死にそうだった。

雨が上がった。青いトラックが止まり、いつもの男が下りてくる。彼は段ボール箱を渡す。男はふたを開ける。

「おい、なんのつもりだ、これは」
「スイトルボーイだよ」
「よけいなことするなよ。顔を描くなんて。こんなもの受け取れるか」
「顔があるほうがおもしろいだろ」

「冗談につきあってるひまはないんだ。何のつもりだ、自分にそっくりな顔を描いて」
「はあ?」
「言っとくけど。おれだって下請けなんだからな」

つっかえされた箱を、彼は仕方なく受け取った。

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少し前に「ソロモンの偽証」(宮部みゆき)を図書館で借りて読んだ。全3巻&人気作品なのでこういうものを図書館で借りるのはかなり難しい。案の定「第1部」がまわってきて読んでから「第2部」「第3部」がまわってくるまでかなり時間があいた。せっかく覚えた登場人物忘れそう。

そして「第3部」のほうが「第2部」より先に順番が回ってきそうになったので、いったん取りやめて新たに予約。それでも「第3部」のほうがどんどん先にまわってくる(第2、第3となるに従って予約してる人そのものが少なくなる)。

どうなるんだと思ってたら、結局同時に「第2部」と「第3部」がまわってきたという奇跡的な状態で読み終えることになった。すばらしい。それにしても、続き物でも途中でやめてしまう人がけっこう多いのだなあと思う。