ショート・ストーリーのKUNI[143]愛妻家
── ヤマシタクニコ ──

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公園のベンチで二人の男がすわっていた。おたがいよく見る顔だが名前は知らない。一人は七色に輝く帽子をかぶっており、一人は1メートルくらいはあろうかと思えるあごひげをはやしている。

あごひげ男が帽子男に言った。

「あなたは私が昼間からこんなところですわっているのでさぞかしひまと思っておられるかもしれませんが、そうではありませんぞ」

帽子男が答えた。

「そんなことは思っておりません。そんなことを思う人こそよほどひまな人間でしょうな。幸い私はひまどころか、とても忙しいのです」

「ほう、そうなんですか」

「はい。実はこうしている今も気が気ではありません」

「そうはみえませんが」あごひげ男があごひげを指ですきながら言った。

「みえなくてもそうなのです」帽子男は帽子のつばに軽く手をかけて言った。

「何が忙しいのです」

「実は私は世界一の愛妻家と自負しておりまして。妻を守ることで日夜忙しいのです。あなたにはわからないでしょうが」

言われてむっとしたあごひげ男は、思わずあごひげをぎゅっと握った。




「これはこれはお言葉ですな。私も愛妻家であることには自信がありますが」

「ふっふっふ。そのように言う人は多いのですがね。私の妻はなんといってもなみはずれてチャーミングなのです。世の男達がほうっておきません。私は気の休まるときがないのです。いまこの瞬間にも、私のいないのをいいことに、
どこかのいやらしい男が妻に接近しているかもと思うといてもたってもいられないくらいです」

あごひげ男は負けずに言った。

「私と同じですな。心配なので、妻はわが家の中でもっとも奥の部屋に閉じこめ、誰が訪ねてきても絶対家に入れるなときつく言っております」

「当然です。鍵も二重にかけてあります」

「本当は金庫に入れておきたいくらいなのですがそうもいきません。困ったものです」

「まったくですまったくです」

帽子男はそれがくせなのか、時々帽子を軽く上げたり下げたりしながら

「いやあ私も最初は真剣に悩んだものです。妻に恋する男があまりにも多いので、私のようなものが独占するのはそもそも罰当たりなのではと。そこでごく控えめに対策をとることにしました。家に来る男達には番号札を取らせることにしました」

「なんですかそれは」あごひげ男がひげをいじる手を止めて言った。

「番号札とは、郵便局や銀行に行ったら『恐れ入りますが番号札をお取りください』という、あれですか」

「さようです。あのシステムはとりあえずやる気をなくさせる効果があります。番号札を取るのがめんどくさい。しかもそこに印字された数字を見てだいぶかかりそうだと思うとさらにやる気が失せる」

「確かにそうですな」

「いくら私の妻が美しくてちょっかいかけたいと思っても『758人待ち』となればめげるというもの」

「そんなに大勢の男達が!」

「当然でしょう。何か疑問でも」

「いや、そ、そんなことはありません。でも、熱心な男はそれでもしんぼう強く待つと思いますが、いよいよ順番がめぐってきたら」

「もちろん私が出ます。そして門前払い」

「さんざんじゃないですか」

「これも私の妻に対する愛情表現のひとつですが、ご理解していただけないかもしれませんな」

帽子男がやはり帽子を上げたり下げたり、くるくると回転させながら言うと、あごひげ男もあごひげを複雑にいじりまわす手を止めず、挑戦的に言った。

「ご理解どころか実は私もその方法はすでに導入しました」

「なんと」

「さっきはあえて驚いたふりをしましたが、演技です」

「演技!」

「愛妻家なら番号札は当然です。それに加えて、電話への対策も講じないといけません。当然ながら妻には携帯を持たせていません。あんな危険なもの」

「も、もちろんです。私も妻には携帯もスマホも持たせていません。そもそも私以外のだれと話す必要がありましょう」

「そうなのです。それでも家に電話はかかってきますので用心せねばなりません。愛妻家なら当然のことです」

「うむ。まさしく」

「わが家に電話をかけると『ガス料金のお問い合わせについては1を』『チケットの予約については2を』『名義人の変更については3を』『コース変更については4を』『番組へのご意見については5を』『フレッツ光については6を』......と」

「ちょっと待ってください。あなたのおうちは大阪ガスですかNTTですかそれともシネコンですか。関係ないものばかりではありませんか」

「やる気をなくさせ、うんざりさせるのが目的だからこれでいいのです。ちなみにこのあと『今なら半額! 一泊二日かに料理満喫コースのお申し込みは7を』『おとなのためのスペシャルクラブにご用の方は8を』と、つい所期の目的を忘れてボタンを押したくなる選択肢も用意しています。もちろんうそですからボタンを押してもむだですが」

「なんと巧妙な! そして、やはり最後には直接本人と話すためのボタンが」

「ありませんよそんなもの」

「た、単なるいやがらせですか」

「愛妻家としては当然ではありませんか。あなたには理解できないかもしれませんがね」

あごひげ男が誇らしげに言うと帽子男は敵意をあらわにして言った。

「そういう言い方はやめていただきたいものですな。実はわが家の電話もとっくに音声ガイダンスを導入しております。さっきは驚いたふりをしましたがね。ふふ。私の演技も堂に入ったものでしょう」

「なななんですと」

「私は世界一の愛妻家だと言ってるではありませんか。番号札も音声ガイダンスも標準装備です。そんなものでは生ぬるい」

「なな、生ぬるいとおっしゃる」

「そうです。だから私はついに、わが家に区役所を設置しました」

「意味がわかりません。区役所とは、あの、区役所ですか」

「あの区役所に決まってるではありませんか。どの区役所があるというのです。とにかく区役所の窓口を設け、私の妻に会いたいという男が来たら思い切りたらいまわしにしたあげく、まず申請書を書かせます。それから印鑑証明書と戸籍謄本(写しで可)と住民票を取らせます。手数料は戸籍謄本で10万円くらい。ついでに口座振替申込書も提出させます」

「10万円とはぼったくりだ。それに何の口座振替申込書なんですか。だいたい、それはふつう金融機関に出すものでは」

「わが家の区役所ではそうなってるのですから仕方ない。これでたいていの男はやる気をなくしますが、万が一全部そろえた男がやってきた場合はぶん殴ります」

「最初からぶん殴ればいいじゃないですか」

「それではおもしろくない」

あごひげ男はあきれかえった。

「私もかなりの愛妻家のつもりでいましたがあなたにはまったくあきれました。でも、これでどうです。私の妻への愛を表現したものです」

そういってあごひげ男があごひげを両手で広げてみせると、いつの間にかその長いあごひげがレース編みのように編み込まれ「☆☆アイ・ラブ・よしこ☆☆」の文字と記号が浮かび上がっているではないか。ところどころに交じった白髪がきらきら光ってそれはまるでアートのおもむき。

あごひげ男が勝利を確信して微笑みを浮かべかけたとき、帽子男がおもむろに七色の帽子をとった。すると帽子男の頭の上には4羽の色とりどりのインコが並んでいて、男が合図すると歌い出したのだ。

♪私の私のまゆみちゃん♪大好き大好きまゆみちゃん♪よい子のよい子のまゆみちゃん♪かわいいかわいいまゆみちゃん

「すいません、わかりました、もういいです」あごひげ男が悲鳴をあげた。

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8月なかばに夫が急逝した。予想もしていなかったことでいまだに現実感がなく、足に力が入らないような心細い状況にあるが日常は待ってくれない。とりあえずこれからも書き続ける。創作することだけが、私に与えられた武器だ。