ショート・ストーリーのKUNI[149]スリープ
── ヤマシタクニコ ──

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「おーい、石川、いてるかー」

「あ、その洗面器が風呂場でひっくり返ったような声は富山先輩ですね。どう
したんですか、突然」

「どんな声やねん。いや、ちょっと近くに寄ったもんで。なんや寝起きのような顔してるな」

「え、わかりますか」

「そらわかるがな。しやけど昼間から寝てるんか」

「仕方ないんです。国家的陰謀ですから」

「国家的陰謀? なんやそら」


「先輩、知らないんですか」

「知らん」

「ぼくら用がないときはスリープするように設定されてるんですよ。大きな声では言えませんが」

「すりいぷう? なんでやねん」

「いや、これは国家的秘密になってまして知らない人は知らないんですが、わが国はいま国家的危機にあるんです。これは国家的うわさになってます」

「国家的にわからんが」

「とにかくずーっと不景気じゃないですか」

「それはわかる」

「根本的に回復したような感じも全然ないし、少なくともぼくらフリーランス
のギャラは下がる一方、貧乏になるばかりですよね」

「確かにな」

「国家としてもお金がないんで無駄遣いを省かないといけないんです。エネルギー問題も解決してません。それで、省エネのために用のないときはスリープするように人間を設定してるらしいんです。人間がスリープすると、さらにそれが察知されて、家の照明が消えてテレビもパソコンもオフになるそうです。すごい省エネじゃないですか」

「そんなもん、いつ設定されたんや」

「それは人それぞれだそうです。ぼくの場合は、こないだ来た新聞の勧誘員があやしいと思ってますけど、ひとによっては駅のホームですれちがったときとか、電車の中で居眠りしてるときとか」

「ほとんどスリやないか」

「とにかく油断もすきもないんです。先輩も、たまたま今設定を免れてるだけで、いつそうなるかわかりませんよ。こわいじゃないですか。国家的こわいです。それで、ぼくもすっかり設定されてしまいまして。昼間でもちょっとぼうっとしてるといつの間にか寝てしまうんです」

「前からそうやろ」

「いや、ぼくは全然眠たいと思てないんですよ。それでも、脳が活発に動いてないことが察知されると強制的にスリープになるんです。それでさっきも寝てたようですが、先輩が呼びかけたことで解除された……ようです」

「ほんまかいな」

「ほんまですって」

「しかし、まあそういうことも現実に起こりえないと言い切れないところが問題であるな。あー、今の政治体制について考察するに、与党も野党も政策的に行き詰まっていて国際的にも孤立しており、事態を打破するため……す〜……って……寝るな!」

「あ、スリープしてたようですね」

「なんや、おれが話してるときは脳が活発に動いてないんか。つまり、それはおれの話を聞く気がないゆうことか」

「いや、そそそんなことないです。これは国家的陰謀なんで。ぼくのせいとちゃいますから」

「ほんまかいな。どうもあやしいな」

「ほんまですって」

「しんぼうが足らんのやないか。前から思てた。君らの世代はしんぼうが足らん。おれらの世代は少々のことは……」

「す〜」

「スリープするなっちゅうねん!」

「ああ、すいません。またスリープしてたようですね。決して先輩の話が退屈やとか、ああまたかと思ったわけではないんですが」

「いつもそんなふうにすぐスリープするんか」

「そんなことないです。この間、長野先輩がものすごい美人でセクシーな女性といっしょに来たときは、全然スリープしませんでした。秋田先輩がめちゃめちゃおいしい地酒を持ってきてくれたときも、青森先輩がぎょうざ定食をおごってくれたときもです。脳がびんびんに働いてたようです」

「どうせおれは美女と縁がないし、手ぶらで来たし、おまえにおごったこともない。悪かったな」

「そんなん言うてませんよ。とにかく国家がそういうことも察知するとはびっくりですよね」

「勝手にびっくりしとけ。それはそうと、おれが今日来たのは実はほかでもない、君に以前貸した『タイタニック』のDVDを返してもらおうと」

「す〜」

「ついでに『海辺のカフカ』と『AKIRA』も返してもらおうと」

「す〜〜〜〜〜」

「都合が悪くなるとスリープするんかい!」

「ぐわ〜〜〜〜〜〜!」

「なんやそら。スリープどころか爆睡やないか。しかも、大きな声出しても起きへんってどうやねん。おい、おい……肩たたいても起きへん……え? 目つぶったまま何をボソボソゆうてんねん。パスコードを入れてください、もしくは10時間後に自然に解除されるまでお待ちくださいって……マジか!」

富山先輩はあきらめて爆睡する石川くんを残し、マンションを出た。通りに出て歩き出すといかにも昭和な感じの、表が引き戸のパン屋があった。

昼間だというのに照明を落とした店先は薄暗く、だれもいないのかと思うと店主らしい年配の男がレジのそばで眠っていた。

その数軒先のクリーニング屋でも、カウンタに額を押し付けるように中年の女が眠っていた。美容院では受付の女の子と美容師が別々の場所で突っ伏して眠っていた。

なんや。どいつもこいつもだらしないな。

富山先輩は気にもかけずずんずんと歩き、駅についた。改札機にプリペイドカードを入れるつもりが、うっかりドラッグストアのカードを入れてしまった。ちゃらんぽろんちゃらんぽろんと音が鳴って改札機が閉まる。

制服・制帽の駅員がやってきて機械を操作して音を止める。「もう一度やりなおしてください」と言いながら富山先輩の腕に軽くふれた、ような気がした。

その夜、富山先輩はいつものようにパソコンの前で、だらだらとあちこちのサイトを見ていた。だが、その後の記憶がない。気がついたときはすっかり朝で、前夜とまったく同じ姿勢でパソコンの前に座っていた。

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いつから車での送迎が主婦の仕事になったのだろう。子供の塾や習い事の送迎、夫の送迎等々。うちの会社の主力は女性パートだが、宴会の出欠をとるとそんなこんなでけっこう調整が難しい。

いまの時期は「子供の受験で当分無理」というケースもあるし、子供の野球やサッカーチームのお世話係(夏は冷蔵庫いっぱいにドリンクを用意したり)でたいへんということも。いくら全自動洗濯機や電子レンジが普及しようが子供の数が減ろうが、主婦は永遠にひまにならないのだなと思う。