ショート・ストーリーのKUNI[154]試作品
── ヤマシタクニコ ──

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5月のさわやかな朝、ハセガワくんは出社するなり部長の机に向かったが、部長は低気圧の接近を控えどんよりとした曇り空のような状態であった。


「部長、新製品の試作品ができました」
「おお、ハセガワくんか。新製品の試作品。試作品。試作品…はてなんだったかな」
「心が分析できる、心分析機です」

「ああそうだったかな。うーん。そんなものが売れるのかね。一度市場の反応を調査する必要があるな。売れそうにないものに予算を割くわけにはいかんからな」

「ごもっともです。ぼくもそう思います。これからさっそく行ってきます」

そういうわけで、ハセガワくんは心分析器の試作品を持って街に出た。街はいろんな人であふれている。

「えーっと、どうしようかな。そうだ、あの人がいい」

ハセガワくんはでぶでぶと太った体を青と黄色のまだらのシャツに包み、何かもの思いにふけっているようにも単にだらんとしてるだけのようにも見える男に近づいた。

「失礼ですが、何か迷っておられますか」

「おお、そうだとも。よくわかったな。実はおれはまだ朝飯を食べていないのだが、何を食べようかそれともいっそのこと朝飯抜きにしようかと悩んでいたんだ」

「やっぱりそうですか。ではこの心分析器を使ってみましょう。あなたが心の中で何を望んでいるかを調べることができます」

「ふうん。どうせよくアンケートにある○そう思う○思わない○どちらでもない、みたいな答えが出るんだろ」

「とんでもない。ぼくは常々あのような選択肢の設定が疑問でした。人間の心は二つや三つの選択肢にまとめられるほど単純なものではありません。本人も自覚がないまま同時にいろんなことを考えていたりします。そんな複雑な人間のこころを複雑なまま俯瞰できるのがこの心分析器」

「ふうん。めんどくさいことを言うやつだ。なんだかわからんが、まあやってみるか」

「ありがとうございます。ではこれをおでこにぴたりとくっつけまして…はい、これでだいじょうぶです…えーっと、あなたの心の分析結果は」

「出たか。おれの心はどうなってるんだ」

「そこのファミレスで朝定食を食べたい37%、ファミレスの3軒となりの牛丼屋で大盛りつゆだくを食べる29%、もう少し向こうの喫茶店で『ボリュームたっぷりモーニング』を食べる21%、コンビニで弁当を買って帰って家で食べる13%、となっております」

「え、朝飯抜きにする、というのがないじゃないか」

「そうですね。つまり、あなたはそのようなことは全然思ってらっしゃらないということになるかと」

「そ、そんなことはない、健康のために一食抜くのもいいかと思ってたはずだ!」

「うふふ。そんなことはありません。この分析器は優秀ですので。そもそもたまには一食抜くということができる人は、そんなに太っているはずがないと」

全部言い終わらないうちにバーン! とはりとばされ、ハセガワくんは隣町まで飛んでいった。

「あー、痛かった。なんで怒られるんだろうな。変なひとだよまったく。あ、向こうからやってくる眉根にしわを寄せた気難しそうな人に試してみよう。すいません、怪しいものではありません。ちょっとこの新製品を試していただきたいのですが」

「新製品? 心分析器? そんなものに何がわかるというのか。人間の心が機械で分析できれば、相撲取りも金魚売りも存在意義がなくなるというものだ」

「意味がわかりませんが、これをおでこにぴたりとくっつけるとこちらの機械にあなたが何を思っているかがわかるのです。ちょっと試させてもらっていいですか」

「ああ、やりたいならやってもいいが、自分の考えていることくらい自分でわかっておる。私はこの国の未来を案じておった。まったくもってこの数十年を振り返ってかんがみるに諸外国との」

「結果が出ました。前を歩いている脚のきれいな女性の顔を見てみたいものだ59%、そろそろ洗濯をしないと着替えがない、いやパンツはまだ一枚あったかなどうだったかな27%、昨日の晩に何を食べたか思い出せないが私もぼけてきたのだろうか7%、トイレットペーパー12ロール298円は安いが1巻き50メートルなんだよな5.5%、爪を切りたい1%、今の内閣の外交姿勢はいかがなものか0.5%」

「し、失礼な!」

バーンとはりとばされてハセガワくんはまた隣町にふっとんだ。

「あー、痛かった。なんでこんなことになるんだろう。いや、しかしめげていられない。せっかくの試作品だ」

さっさとめげたほうがいいのにめげないで、ハセガワくんは通りかかったサラリーマン風の男の心を強引に分析した。

「失礼します。あなたの心の分析結果が出ました。早くこの仕事を終えて飲みに行きたいもんだ90%、靴があわないので早く脱ぎたい7%、お尻かゆい3%」

「なななな何を言うか! すいません、社長、わわわわ私はそんなことは思っておりません! この男の言うことはでたらめです!」

よく見たらぱりっとしたスーツを着込んだいかにもな男と二人連れだったのに、それに気づいたときはバーンとはりとばされたあとだった。

ハセガワくんはさらにめげずに、ぶっとばされた街で分析を続け、またぶっとばされ、またぶっとばされ、いつしかぐるりとまわって自分の住む街に戻っていた。器用なものである。

「なんでどこに行っても理解されないのだろう。せっかくすばらしい発明だと思ったのに。と思ってふと見上げればここはぼくのアパートの前ではないか」

ハセガワくんは腰だとかひじだとか、あちこちの負傷箇所をさすりながら、自分の住む部屋の窓を見上げた。西日に焼けた安物のカーテンのかかる窓。すると驚いたことにそのカーテンがさっと引かれ、恋人が顔を出した。

「あら、いま勤務時間中じゃないの」恋人もハセガワくんに気づいて微笑んだ。

「うん。そうだけど、ちょっと近くに来たもんで。びっくりしたよ、君が来てるなんて」

部屋に入ると恋人はテーブルにひじをつき、アカツメクサで編んだ首飾りをもてあそびながらうつむいていた。

「どうしたんだい」
「なんでもないの。ただ」
「ただ?」
「あたし、自分の心がわからなくなったの」
「えっ」
「自分がハセガワくんのことをどう思っているかわからなくなったの」
「えっ」
「なんだかハセガワくんって変だし」
「えっ」
「ごめん。今日はだから、鍵を返しにきたの」
「はあ」
「じゃあ、そういうことで」
「はあ」
「どうしたの? 何か言いたいことあるの?」
「いや…その…あの」
「ん?」

「新製品の試作品をつくったんだけど…心の分析って…してほしくないよね」
恋人は黙って立ち上がり、玄関のドアをバーンと閉めて、行ってしまった。

翌日もさわやかな5月の朝はやってきたが、ハセガワくんの頭の中はまるでエルニーニョであったと、意味不明ながら言っておく。出社するなりハセガワくんは部長の席に歩み寄り、言った。

「すいません、部長。昨日の新製品は取り下げます」
「なんだ、そうか」
「ぼくの力不足でした。すいません」

「気にすることはないよ。でも、昨日は頭がどんよりしていて言いそびれたんだが、うちは高野豆腐のメーカーなのに心分析器とは変わったものをつくるもんだなと思ってたんだ、実は」

部長の言葉も、すごすごと自分の席に戻るハセガワくんには届いていないようだった。

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私は図書館かどこかのカウンターの前にいるのだが、足下はなぜか丸太を半分に切ったような、かまぼこ状態の曲面が底になっているので絶えずスイングして落ち着かないことこのうえない、という夢をみた。はてどういう意味なんでしょうね、これ。