ショート・ストーリーのKUNI[166]そうだ謝りに行こう
── ヤマシタクニコ ──

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人間、年を取ると謙虚になるものである。毛呂山三郎の場合もそのようで、ある日ふと彼は妻に話しかけた。

「よし子、私は謝りに行こうと思う」

「えっ、誰に何を謝るんですか」

「私も今年55歳だ。年のせいか最近むかしのことをいろいろ思い出す。そして謝りたい気持ちが日に日に増してくるのだ。おまえには想像もつかないだろうが、この私もけっこうひとに迷惑をかけてきた。

むかしスカートをめくって女の子を泣かせたのに友だちの山田くんのせいにしたこととか、タマネギ嫌いの同級生の給食のシチューにタマネギを山盛りにしてそれがきっかけでその同級生は一か月登校拒否になったのにそれを大林くんのせいにしたこととか、高岡くんの弁当のかまぼこと消しゴムをこっそり入れ替えて、発覚するとそれを小林くんのせいにしたこととか」

「なにそれ。どんだけ性格が悪いの」

「すまん。想像もできないだろうが」

「いえ、だいたいそんなことと思ってましたわ。で、謝りたいと」

「ああ。考え出すと一日も早く謝りたい。謝りたい謝りたい謝りたいと、毎日そればかり考えている。いまにものどから『謝りたい』があふれそうだ」




「まあ。それでゆうべもミックスジュースを5杯も飲んだのね」

「そうだ。私は自暴自棄になっている。やけ酒を飲みたい気分だが、下戸なのでね」

「身体によくないわ。お願いだからやけミックスジュースだけはお辞めになってね」

「心配かけてすまない。そういうわけで私は今後、余暇を謝りに行くことにあてるつもりだ」

「すばらしいことよ。あなたも人間がまるくなってきたということね。歳月の贈り物とでもいうのかしら」

「ひまを見つけては『謝りリスト』もひそかに作っておいた。エクセルでね。ほら、sheet1から3まである。美しいだろ」

「まあすてき、さすが仕事のできる人はちがうわ。でも、これ...全部で462件もあるようですけど」

「そうなのだ。これでは一生かかっても謝りきれない。私は途方に暮れた。そこで、この中からセレクトして絞り込んでいこうと思う。たとえば、子どものころカエルの皮をはいでおもちゃにしたことがある。今となってはほんとに残虐なことをしたなと思ってカエルに謝りたいが、もう生きてないだろう」

「あたりまえですわ」

「だからあれは同級生の吉川がやったことだと思うようにする。それから、よそのお宅の庭にそれはそれはきれいに咲いていたチューリップを全部、花の部分だけちぎったことがある。でもチューリップも生きてないだろう」

「その家の方に謝ればいいのでは」

「それでは筋が通らないから、これはその家の息子がやったことだと思うことにする」

「あなたってほんとに便利な性格なのね」

「そんなふうに絞り込んでいくとかなり減るが、それでも200件くらいになりそうだ。ああ、気が急く。こうしてはいられない。『謝りたい』が煮詰まって水蒸気になって鼻から出そうだ。おなかもごろごろしてきた」

「だからやけミックスジュースはやめてと」

「とにかく私は出かける」

「待って、あなた! 私も一緒に行きます」

「何だって」

「夫婦ですもの、当然じゃないの。ちょっと待って。支度します。あら、それより手みやげは。まさか手ぶらで行くつもりじゃなかったわよね」

「ええっ。そんなこと考えてなかった。何を持っていけばいいんだ」

「ちょっと待ってくださいな。ネットで調べます。えーっと、ほら、同じような質問がありましたわ。『年のせいかむかしのことを思い出し、迷惑をかけた人のところに謝りに行きたくなりました。何を手みやげに持っていけばいいでしょう』と」

「あるのかそんな質問。そ、それで回答は」

「『先方の好みそうなものならなんでもいいでしょう』というのがベストアンサーですけど、『件数が多いならタオルや台所洗剤でもいいでしょう』『クッキーの小箱』『私は乾麺にしました』『紅茶のティーバッグ』というのもありますわ」

「なんだそりゃ。引っ越しの挨拶か。まあ、それじゃそうしよう。駅前のデパートで何か買おう。早く支度しろ」

「待って! こういうとき妻はどんな服装をしていけばいいのかしら。ちょっと調べますわ」

「えーっ」

「あったわ。『年のせいかむかしのことを思い出し、迷惑をかけた人のところに謝りに行きたくなった夫に同行します。どんな服装で行けばいいでしょう』という質問が。探せばあるものですわね」

「で、回答はどうなんだ」

「『服装には気持ちが現れるものです。あなたがこれが一番のおしゃれだと思う服装でいいでしょう』というのがベストアンサーですけど『明るい色のフォーマルスーツにコサージュ程度で十分でしょう』『私は訪問着にしました』という回答も。

あら、『通販で買ったスーツにしましたが、先方で同じように謝りに来られたご夫妻と鉢合わせして、奥様のスーツとかぶってしまい、顔から火が出るようでした。確かに、"迷惑をかけた人のところに謝りに行きたくなった夫に同行するときにぴったりのスーツ"と書いてあったし、口コミレビューも良かったので決めたのですが、まさかかぶるとは。みなさんはそんなことのないように』という回答もありますわ。

まあいやだ。じゃあ私は3年前にあなたが買ってくれたフォーマルスーツにしますわ。一点ものということだから、かぶることもないわね」

「いや、あれはその...あの...ま、だいじょうぶだろ」

「何をぶつぶつおっしゃってるの。これから着替えるのでお待ちになって。あ、そうだ。髪型はどうすればいいのかしら。ちょっと調べます」

「いい加減にしろ!」

そういうわけで、毛呂山三郎は今しもフォーマルスーツにコサージュとネックレスで装い、髪は美容院で品よくセットしてもらった妻のよし子と並んで歩いていた。

手に提げた紙バッグには無地熨斗を巻いたクッキーの小箱がいっぱい入っている。最初の目的地は小松原幸男宅。とりあえずエクセルデータのsheet1の真ん中のデータを選んだ。

「小松原幸男さんにはどんなことをしたんですの」

「彼は中学校の同級生でね。社会科のテストの前に一生懸命暗記をしていたのでわざとそのそばで『蒸し芋そなえる大化の改新...』『蒸し芋そなえる大化の改新...』と繰り返しながら通り過ぎた」

「『蒸し米そなえる大化の改新』でしょ」

「そうだ。するとテストにばっちり『大化の改新は何年か』と出て、小松原幸男は641年と書いたのだ。ぷーっ。あんなに簡単にひっかかるとは。わははは」

「あなた、ほんとに謝る気があるんですか」

「あ、あるさ。おほん。悪いことをした。反省している。許してくれるかな。私とは対照的な、おとなしくて気弱そうなやつだったが。なんだかどきどきしてきた」

「だいじょうぶよ。お互いいい年になって、すっかり丸く、おだやかになってるはず。あなたみたいな性格の悪いひとがこうやって謝ろうとするくらいですもの。これを機会に新しいおつきあいが始まるのよ」

「まったくだ。よし子、おまえはよくできた妻だ」

と言ってるうちに小松原幸男宅に着いた。

ピンポーン。

「はい」

「すいません、小松原幸男さんのお宅ですね。むかし中学校で同級生だった毛呂山三郎ですが」

「なんだと!」

バタン! とドアが開き、見るからに性悪な形相の男が顔を出した。

「同級生の毛呂山三郎が何の用だ! おれは最近昔のことをあれこれ思い出すたびに腹が立って腹が立って、いてもたってもいられないから、これからひとりひとり怒鳴り込みに行くところなんだ! そこをどけ!」

人間、年をとると丸くなるケースばかりではないのであった。

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というわけで今年も相変わらずの感じですが、よろしくお願いいたします。今日(1月14日)、たまたま京都の錦天満宮に立ち寄る機会があり、コインを入れると獅子が運んでくれるというおみくじを試してみたところ「大吉」でした。信じることにします。