ショート・ストーリーのKUNI[171]星の王子さま
── ヤマシタクニコ ──

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ある朝、新聞を読んでいたおれはいきなり話しかけられて驚いた。なぜならおれはひとり暮らしで、話しかけられる心当たりなんかなかったから。そして、話しかけてきたのが星の王子さまだったからだ。

「おじさん、いったいいつになったらぼくの本を読んでくれるの?」

星の王子さまはかわいい声で言った。おれの想像していた星の王子さまのイメージ通りの声だ。

「あたりまえさ。ぼくは、おじさんのイメージしている星の王子さまなんだもん」

「え、そういうことになるの?」

王子さまはこくりとうなずき

「ぼくの本を買ってから、かれこれ30年は経ってると思うんだけど、そろそろ読んだほうがいいんじゃないかな」

30年?! そうなのか!!

おれが若いころ、「星の王子さま」はけっこう人気があった。まわりのやつはたいてい読んでいた。おれも読もうと思ったが、みんなのまねをしているだけの、ただのミーハーに思われたくない。




と思ってたら、たまたま本屋でフランス語の「星の王子さま」を見つけた。「Le petit prince」。おお、これだ! ル・プティ・プラ〜ンス......おれは何を隠そう大学では仏文専攻...のつもりで第一外国語をフランス語にしたのだ。

結局めげて、大学も中退してしまったとはいうものの、ぱらぱらと見た感じでは文字も少ないし、ところどころ絵も入ってるし、これならいけそうな気がした。元仏文志望のおれならこのくらい絶対読める。

よし、これを読もう。そして、いつか仲間内で「星の王子さま」の話になったとき、おれはさりげなく言うのだ。

「ああ、星の王子さまね。おれはフランス語で読んだよ」

みんなは尊敬のまなざしでおれを見る。あたりまえだ。日本語ならだれでも読めるだろうが、フランス語だからな! ああ、想像しただけでスキップしたくなる。ついでにおれ流のすばらしい日本語訳をしてもいい。

そうだ、そうしよう。内藤濯も真っ青というものだ。待ってろよ、そこらの女ども! おれの才能に惚れるなよ!

よくわからない決意とともに、当時のおれは意気揚々とレジに進んだ。そして、家に帰ってさっそく辞書を片手に読みかけたもののあっという間にめげて......。あれから30年って、まじか。

「おじさんがなかなか読んでくれないから、ぼく、なんだか埃っぽくなってしまったよ」

確かに、目の前の王子さまはどことなく色あせ、うっすら埃をまとったようにぼやけている。それにしても、一々おじさんと言うのはやめてほしいもんだ。

「しかたないよ、おじさん。もう50歳過ぎてるんだから」

「やめろと言ってるだろ。本を買ったときはまだ若かったんだ」

「結局、ぼくの本がどういう話なのか、わかってないんだよね」

「確かに」

「日本語訳を買おうともしなかったんだ」

「いつか絶対フランス語で読むつもりだったんだよ。先に日本語訳で読んだりしたらだいなしじゃないか」

「日本語で読んだほうが賢明だと思うけどなー」

なんだかこいつ若干生意気になってきたな、と思ってると

「当然さ。おじさんがイメージするように、ぼくは変わるんだ。なぜなら、おじさん、あんたはおれを知らない。本を読んでない、というより読めなかったからな。はは。タイトルと何枚かのイラストだけが与えられた情報。そこからあんたがイメージしているのが目の前にいるおれというわけだが、いま現在の会話によってイメージが刻々補正されている。つまりおれはあんたの内面の投影」

どんどん憎たらしくなる。見た目も最初は挿し絵どおりのあどけない王子さまだったのにどんどん老けていく。

だいたい、このおおげさな上っ張りはなんなんだ。エイみたいにやけに横に突っ張って。いまどき糊きかせすぎじゃないか。じゃまだな。ないほうが......。

すると王子さまの上っ張りは消えた。上っ張りがなくなってみるとただの文句たれの中年男にしか見えない。と思い始めるとどんどんそれらしくなる。

もはや、するめを肴にコップ酒でも飲んでいそうな感じだ。その、中年男の星の王子さまがさらに毒づく。

「あんた、本を読んでないだけじゃなく、『星の王子さま』に関する批評とか感想なんかもわざと読まないようにしてきたみたいだね」

「ああそうとも。本を読まずに先にレビューを読んでそれに影響されるなんてまっぴらだ。感動の物語と書いてあれば感動する、みたいな。そういう輩が世間には多いようだがね。おれはまっさらな状態で本を読み、感じたいのだ」

われながらいいことを言った。自分で感心する。おれ、天才ちゃうか。

「なにが天才やねん。よう言うわ。まあええわ。しやから、30年たっても『星の王子さま』について何もわかってないとな」

「うるさいなあ」

「かわいそうなやつや」

「ほっとけ! だいたいなんで急に大阪弁になるねん」

そのとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「おーい、おれや、おれや!」

「なんだ。中川先輩ですか。ひさしぶりですね。なんか用でも」

「いや、たまたま近くに来たから...あ、お客さん?」

先輩は星の王子さまを見て言った。

「ああ、あの、気にしなくていいんですよ。......なっ!」

おれが言うと王子さまはうなずいた。先輩も王子さまのほうを向いてあいさつする。

「すんませんね、急に押し掛けて......いやー、ひさしぶりやな。元気にやってるんか」

「あ、もちろん元気で。えっと、あ、そうだ。先輩、『星の王子さま』って読んだことありましたっけ」

「ない。本は持ってるけどな」

「え、本は持ってるけど読んでないんですか?」

「ああ。だいたい想像つくやろ」

「想像つくって」

「イラストが何枚も載ってるから、だいたいわかるやん。小さな星にいる王子さまがほかの、同じような小さな星と戦争する話や」

「え、あ、そういう話なんですか」

「ああ、王子さまがいる星のいぼいぼみたいなところからぷわーっと煙みたいなもんが出てる絵があるな。あれは大砲や。星自体が戦車みたいになってるわけや。あそこからよその星をばんばん攻撃する」

「なんで戦争を」

「おまえー、いまさらそんなこと聞くか。戦争は食うためにするもんやろ。自分とこの資源が乏しくなってきたらどっかに攻めていくわけや。20世紀の歴史をひもといてみるに」

「あ、今はいいです。話が長くなりそうで」

「しやけど王子さまは黄色いマフラー巻いてるやろ。まぼろし探偵みたいなもんや。王子さまは正義の味方や。安心せえ」

「あー、そうそう、そういえば黄色いマフラー! そうか、そうやったんか! ......違うんちゃいますか」

星の王子さまは唖然としておれたちのほうを見ていた。

「違うことない。絶対そうや。それで、いろいろあって、最後は地球に来てほっとするわけや」

「なんで」

「もとは小さい丸い星やから、カーブが急やないか。いつも、こう、落ちそうになるのを脚に力入れて必死でこらえてなあかん。大変や。地球はそんなことないやろ。大きな星に来てよかった、王子さまはやっと身も心も癒されましたという話や。絵を見てたらそういうことはすぐわかる」

星の王子さまのほうを見ると、あまりのことに泣いていた。そのうちそっとトイレに立った。

「なんやあの人、具合悪そうやな」

「いや、気にしないで......あの、先輩の話は、ちょっと違うような......」

「なんでやねん。おまえ『星の王子さま』読んだんか」

「いや、読んでないんですが......」

「ほな違うとは言いきれんやろ。先入観や固定観念にしばられてどうする! 想像の翼を広げんかい!」

「そ、そうかもしれませんが......あの、中川先輩」

「なんや」

「日本語の『星の王子さま』持ってるんやったら、いっぺん貸してくれませんか。急に読みたくなりました」

「......ええけど? 変なやつやな。ほなまあ、次来るとき持ってくるわ。どっかにあるやろ」

その後、中川先輩が帰るころにはおれの中の星の王子さまイメージはすっかり元に戻っていた。やがてトイレからあどけない少年の姿の星の王子さまが出て来た。

「ぼく、なんだか疲れちゃったから帰るよ。じゃ」

そういうわけでおれは30年来のこだわりを捨てて「星の王子さま」を日本語で読むことにしたのだ。まだ読んでないが。


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最近、早咲きの桜が多くなった。新しくできた桜の名所は河津桜だったりコシノヒガンだったりエドヒガンだったりで3月後半には満開。ソメイヨシノ前提の桜前線とか開花状況なんてのも、そのうち見直さなければならないかも。

いや、こうなったら遅咲き桜のバリエーションも増やしてほしいところだ。夜桜で宴会をしたらけっこう寒くて、おでんが大人気だったりするではないか。八重桜があるにはあるが、ソメイヨシノタイプで4月下旬に満開になる品種があればビール党にも喜ばれ......って、桜が聞いたら「ええかげんにせえ」と言うかも。