ショート・ストーリーのKUNI[196]お乗りください
── ヤマシタクニコ ──

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ある朝、おれが会社に遅刻しそうになって思いきりあせっていたとき、そいつは現れた。おれの目の前に止まって、

「お乗りください」と言う。

それは君もきっとネットの動画で見たことのあるロボットによく似ていた。四本の脚と胴体とも呼べないような胴体でできていて、まるでまだ製作途中でめんどくさくなって放り出したような外見にもかかわらず、巧みに柔軟な関節を駆使してひょいひょいと歩く、障害物もものともせず、どこまでもひょいひょいと進むあのロボットに。同じではないけど。

そのロボットはおれの前でひょいっと背を低くして、もう一度言った。

「お乗りください」

おれは乗った。会社に遅刻しそうなことを伝えると、そいつはすぐさま歩き出した。けっこう大股ですいすいと歩くから、思ったより速い。おお、この分では遅刻しなくてすむかもしれない。




「いやあ助かった。うちの会社ってやたら通勤に不便なとこにあってさ、バスに乗って10分、電車に乗り継いで20分、途中で急行に乗り換えて、下りたらまたバス。しかもそのバスというのが本数が少なくて、1時間に2本だよ。何が悲しくてあんなとこに事務所を置いたかねえ。田舎だし。時々タヌキの親子がやってくるんだ。はははは」

ロボットは快調に走っていた。乗り心地は悪くない。ロボットの背中はけっこう広い。座面に使われている素材は柔らかく、かといって柔らか過ぎず、いい感じだ。

上下動はほとんどなく、安定感は抜群。ほおおおお。よくできているもんだ。見かけはぱっとしないが性能は上々というわけだ。

おれは楽しくなってきた。まわりの景色を眺めてみる。細い道でも入っていけるのでバスが通らない道を通ったりするから、新鮮なのだ。きょろきょろと見るのに徹していると、気のせいかそいつの歩き方が遅くなってきた。

「おれ、ロボットに乗るのって初めてなんだけど、けっこう快適なものだな」

「ぶんぶんぶん 蜂が飛ぶ」

ロボットはなぜか歌を歌い出した。

「しかし今日みた夢は最悪だったな。トイレのドアを開けたら社長がいてあわててドアを閉めて台所に行ったらそこにもいる。冷蔵庫を開けても社長がいる。なんだか足がむずむずするのでスリッパを脱いでみたら中から小さな社長が出てくる。まいったなあ。おれ、よっぽど疲れてるんだなあ。

だいたいうちの社長、どうしてあんなに漢字に弱いんだろなあ、いや、あれはわざとか。『股間』を『またま』と読んだり『様子』を『さまこ』と読んだり。はずかしいのでそのつどおれたちが指摘するんだけど、またすぐに忘れるんだなあ。

いや、漢字だけじゃない。『市中引き回し』を『市中引きずり回し』と思い込んでたりするし、『ひらがな』を『ひがらな』と言ったり、ほんとになんというか変な人で、もうどうにかしてほしいんだよねー」

ロボットは早足になった。どんどん進む。

「ところがその社長に愛人がいるというんだから、世の中わからないよな。なんでも社長より7つ上とか。あの社長より年上って、ありえないよな! 男まさりのしっかりした人らしいから、ひょっとして社長ってマザコンかも」

ロボットは速度を上げ、ひょいひょいひょいひょい進む。いいぞ、その調子だ。

なんだかちょっと疲れたなあ。そういえば急ぐあまり朝ご飯を食べそこねたのだ。腹が減ったなあ。何も食べてない割にしゃべりすぎたせいか…としばらく黙っていると、またロボットの歩みがゆっくりになってきた。とろっ、とろっ、とろっ…。

「ん?」

おれの頭に何かがひらめいた。おれは試しに話してみた。

「この間、家でラーメンを食べながら新聞を読んでたら近所で、いきなり『わあっ!』というでかい叫び声が聞こえてびっくりしたんだけど、なんだったと思う? うわさでは◯◯さんちのご主人が買った宝くじが一等だったらしいんだ。家族そろって当たり番号と照らし合わせていて、思わず声が…あ、また歩き方が速くなってきた。おい、ひょっとして」

おれはまさかと思いながら聞いた。

「ひょっとして、おれがしゃべるとどんどん速く歩けるのか?!」

ロボットはうなずいた。一応、頭のようなものがついていて、それが上下したというか。

「で、おれが黙るとだんだん歩けなくなる?! そんな! おまえは…乗る人間のしゃべりからパワーを得るのか?!」

ロボットは、はいはいと言わんばかりに連続でうなずいた。

「まじか! いや、でも、おれもそんなにずっとしゃべり続けるのもあれだし、いいよ、もうそろそろ下ろしてくれても。ていうか、ここはどこだ?!」

なんだか見たことない地区をおれとロボットは歩いていた。やたらと眺望が開けているのが不気味だ。人も車も通っていない草原にびゅうびゅうと風が渡り、電線が揺れる。

何なんだこれは。ちょっと遠くに来てもいつもの私鉄沿線ならなんとはなしに見当がつくものだが、そんなレベルではない。他府県、いやほとんど異国の雰囲気さえ漂う。

「すみません。道を間違えたようです」

「なんだと?!」

「心配いりません。だいたいの方角さえわかれば、いつか着きます」

「いつかって、いつなんだよ!」

おれは心細くなった。

ロボットは足取りだけは軽やかにひょいひょいと歩く。とんだものに乗ってしまった。乗らなきゃよかった…そう思って黙り込むと、ロボットの速度がまたとろとろと落ちる。しゃがみこみそうになる。

ロボットを虐待しているみたいで気分悪い。おれはあわてて話題を頭の中で探し、しゃべり出す。

「む、むしの運動会があってさ、なんでも5年ぶりの開催なんだって。さて、優勝したのはどんな虫?! 答はゴキブリ…5期ぶり、なんちゃって!」

ロボットはほとんど止まりそうになった。おやじギャグを言ってはいけないようだ。あせる。うーん…おとといの晩ご飯のおかずはなんだっけ。ああ、思い出した。唐揚げ弁当を買って帰ったんだ。よし、まだだいじょうぶみたいだ…いや、認知症のテストをやってるんじゃないって! 

うううう…おれは思いあまって歌を歌ってみた。どんぐりころころから水戸黄門、ひみつのアッコちゃん、ちびまるこちゃん、北国の春、学生街の喫茶店…。

ロボットはかろうじて、進んでいるかいないかと聞かれたらまあ一応進んでいるのかなあという状態だ。

「歌はだめなのか」

「だめなことはありませんが、情報量が少ないので効率が悪いです。あと、あなたは少々音程がはずれます」

「ほっとけ。しかし、なんとか着いてもらわないと。あー、困ったな。えーっと。会社の同僚の大山くんが、最近盆栽つくりを始めた。なんでも世界一大きな盆栽を目指すんだそうだ。3メートルくらいのって、それは盆栽というのかなあ」

ロボットはひょいひょい歩き出した。

「その大山くんの隣の席の平野さんはものすごい美人で」

ひょいひょいひょいひょい!

「でも、来月結婚するんだけどね」

ひょい、ひょい…。

「…おまえ、案外いいやつかもな」

「ぶんぶんぶん 蜂が飛ぶ」

なんだこれ。2回目だ。あ、そうか。こいつは照れたときにこの歌を歌うのか。おれはなんとなくこいつに親近感を覚え始めた。よし、なんとかこいつがひょいひょいと歩けるような話をたくさんしてやろうじゃないか。

そんなわけでかれこれ4時間もの間、おれはしゃべり続けた。

親戚一同の人間関係から牛丼の作り方、自分のツイッターのアカウント、ズボンのサイズに好きなアイドル、きのこの山とたけのこの里ではたけのこのほうが好きなこと、手を組んだときは右手の親指が上にくること、エビフライのしっぽは食べるがエビ天のしっぽは食べないこと、トイレに行く前と行ったあとで体重が3キロも違ってびっくりしたこと、母親の趣味がサルの人形つくりであること、『必』の筆順がいまだにわからないこと、友達に三代続いた双子がいることなどなど思いつく限りしゃべった。

ロボットはひょいひょいひょいひょい進み、進み過ぎて会社の場所をとっくに通り過ぎていたことがわかってまた後戻りして、紆余曲折を経てなんとか会社に着いた。

おれはもう、しゃべりすぎでのどがからから、腹はぺこぺこだった。もう少しかかっていたらロボットの背中で意識を失っていたかもしれない。

「なんだ、無事だったのか」

会社の前で社長がいつものようにほうきとちりとりを手に、背中にはモップを背負って立っていた。掃除が趣味なのだ。

「君の来るのがあまりにも遅いので大山君に『あいつは一人暮らしだし、心配だから一度、さまこをみてきてくれ』と言ったばかりだよ。それに乗ってきたのか」

「はい、遅くなりましたが」

おれはまだロボットに乗ったまま言った。

「あまり余計なことを言わなかっただろうな」

「ええっ?」

「そいつは最近あちこちに出没していてね。どうも何者かが情報を集めているらしいんだな」

「ええっ?」

「かなり乗り心地がいいからみんなリラックスして、ついつい何でもしゃべってしまうらしいんだよ。ていうか、しゃべらないと動かなくなるだろ」

そういう社長の背後に、おれは見た。おれが乗っているのとそっくりな四つ足のロボットがどこからかすうっと現れ、道を歩いていた中年の男に「お乗りください」と呼びかけているのを。おれはぞっとした。思わずロボットに問いかけた。

「そうなのか? おまえ…そうなのか?」

ロボットは応える代わりにぶつぶつつぶやいていた。耳を近づけると「記録完
了、記録完了…」と聞こえた。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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少し前、朝日新聞の「作家の口福」というエッセイのコーナーで姫野カオルコさんが怒っていた。たとえば、よく料理雑誌などで某店の料理が紹介されるとき、その店の料理を「食べる」ではなく「いただく」と書かれていたりする。

「いただく」は謙譲語であり、相手を敬い、自分がへりくだることばであるから、雑誌は「読者をして、某店に対して、謙譲させていることになるではないか。…『食べる』とニュートラルに書くべきではないか」というような趣旨だ。

私は「いただく」はなんとなく丁寧語のような気がしていたので、え、そうなの、と調べたら確かに謙譲語だ。とはいっても、食事の前に「いただきます」というのは、「いま、このようにして食事できるということに」感謝する言葉だと思っていた。

料理を作った人に対してではなく、もっと大きなものに対してへりくだるというか…。だから、丁寧語みたいなものかと。でも、確かに最近「いただく」が氾濫気味であるとは思う。「食べる」でいいじゃないかと思うことも多いよね。