映画ザビエル[29]モノクローム、モナムール
── カンクロー ──

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◎女の中にいる他人

制作年度:1966年
制作国・地域:日本
上映時間:102分
監督:成瀬巳喜男
出演:小林桂樹、新珠三千代、三橋達也

●だいたいこんな話(作品概要)

夕刻の東京、赤坂。青ざめた顔で歩く田代は、ほどなくして近くのビアホールで、長きにわたる友人の杉本に声を掛けられる。互いに仕事帰りであったが、二人は鎌倉の住まいも近く、家族ぐるみの付き合いをするほど親密だった。行きつけの店で飲み直す田代と杉本に一本の電話が。それは杉本の妻が、赤坂で亡くなった知らせだった。





●わたくし的見解

個人的には、成瀬巳喜男監督というと、林芙美子原作の女性映画のイメージが強くある。事実、女性映画の名手として知られているけれど、この時代の映画監督の作品数は、現代のそれとは比べものにならないほど多く、実際には実に様々な作品を手がけている。「女の中にいる他人」も、タイトルの印象とは違い、物語の大半は主人公の「男性」田代が、心理的に追いつめられていく様子が描かれる。

小津作品では、汗などかくこともなさそうなほど神格化された女優、原節子に驚くほど人間臭い芝居をさせるのが成瀬監督。しかし本作では、テレビCMみたいに郊外で暮らす理想的な家族像を描きだす。まるで小津映画ばりにハイソで、所帯じみた様子がおよそ見当たらない主人公ファミリー。市井の人々とは一線を画した、ブルジョワジーの匂いすらする。

私は、成瀬作品では特に「稲妻」がお気に入り。これは(時代設定が多少異なるとは言え)「女の中にいる他人」とは対照的に、所帯じみったれたド庶民の家族を見ることが出来る作品だ。面白いのは、ブルジョワ臭がプンプンの本作も、こってこての生活感漂う「稲妻」も、ふとフランス映画のような趣きを感じさせるところにある。

特に「女の中にいる他人」は、外国文学を原作としているせいもあって、テーマも含め、より一層ヨーロッパ的。映像も強いコントラストを用いたモノクロで、本来その言葉が指すものとは厳密には違うにせよ、フィルムノワールと呼びたくなる作品だ。

内容は、ひらたく言ってしまえば、自責の念にかられる。ただ、それだけの物語なのだ。罪を犯した者が、良心の呵責に耐えられなくなる。日々のささやかな出来事が、罪の意識を持った主人公をどんどん追い詰めていく。

心の機微を丁寧に捉えている、とベタな表現が当てはまるも、果たしてタイトルの「女」はいつ登場するのか。という思いを、ずっと持ちながら鑑賞することになる。何しろ、見せられるのは小林桂樹演じる田代の心の機微なのだ。

「女」と言えば、物語が始まった時にはすでに死んでいる杉本の妻と、テレビCMみたいに出来の良い田代の妻だけである。映画における「女」は、消去法で当然、田代の妻になるが、ずっと田代中心で動いていた物語が、いつのまにか田代の妻に視点が移っている展開は鮮やか。演出も、これまた超ベタなのに、どうしようもなく洗練されていて、やはり職人監督以上の力量を感じずにはいられない。

「女の中にいる他人」は昨今、BSドラマでリメイクされている。連ドラの、こってりたっぷりも面白いと思うが、オリジナルの、あっさり味なのに重厚な感じも少しお勧めしたい。極端に趣きが違うが、バカリズム脚本ではっちゃけていた「黒い十人の女」のオリジナル(市川崑監督作品)も、女優の美しさ目当てだけでも価値がある作品。モノクロ作品が苦手でなければ、試して頂きたい。


【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル http://www.eigaxavier.com/


映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。

時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。

私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。