映画ザビエル[102]モンスターの誕生
── カンクロー ──

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◎作品タイトル
CURE(キュア)

◎作品情報
公開年度:1997年
制作国・地域:日本
上映時間:111分
監督:黒沢清
出演:役所広司、萩原聖人、うじきつよし、中川杏奈

◎だいたいこんな話(作品概要)

娼婦が惨殺された。現場に駆けつけた刑事の高部は、遺体の首元がX字型に切り裂かれているのを確認する。被害者がX字に切りつけられる事件は、すでに数件発生していたが全て別々の被疑者が逮捕されていた。今回の事件もすぐに容疑者は確保された。

この特徴的な殺人事件でそれぞれの犯人と被害者同士には一切の接点がなく、マスコミにも公表されていないことから、高部は事件の関連性の有無について頭を悩ませていた。友人の心理学者・佐久間に犯人の精神分析を依頼しても、この謎を解く手掛かりは何も見つからない。

同じころ、千葉の砂浜で若い男がさまよっていた。偶然近くにいた小学校の教師に助けられるが、記憶障害のあるその男はしきりに教師の身の上話を聞きたがり、受け答えしているうちに、教師は自分の妻をXの字に切り裂いて殺してしまう。

教師の事情聴取に及んだ高部は、これまでの被疑者と同様に第三者(若い男)の存在を聞き出すことは叶わなかったが、催眠術を用いた殺害教唆の可能性を疑い始めていた。





◎わたくし的見解/空っぽの伝道者

先日開催されたヴェネツィア国際映画祭で、『スパイの妻』という黒沢清監督の作品が銀獅子賞を受賞しました。本作は、そんな黒沢監督の出世作であり代表作の一つに挙げられるものです。その後、何度もタッグを組むことになる役所広司さんが黒沢作品に初めて登場した作品でもあります。

かれこれ20年以上前の作品でも、黒沢監督的色調はすでに完成しており、ずっとどんよりした彩度の低い画面で、それが好きかと聞かれればちっとも好きではないものの、ストーリーとは見事にリンクしていました。

内容としては、潜在的にその素質(ここでは人を殺してしまう何か)を持っている人間に対してトリガーを仕込んでいく人物がいることで、連続していないように見える連続殺人が起きるというものです。この頃、この手の作品が流行っていた気もしますが、当時だけでなくサスペンスのひとつの形としても定番です。

例えば、本作が公開された後の、90年代後半には『ケイゾク』というTVドラマが人気を博しましたし、犯人を捕まえても捕まえても根っこにある悪を取り除けないという流れは、世紀末の雰囲気とマッチしていたのかも知れません。

また『CURE』における、根っこの悪である記憶障害の間宮という男が、静かな語り口で相手からパーソナルな話を引き出しながら、心の内に入り込んで支配してしまう様子は『羊たちの沈黙』のレクター博士を思い起こさせます。それをモデルにしたと言うよりは、単に心理学に精通する人のテクニックなのですが、間宮が「伝道者」と呼ばれていたのは妙にしっくりきました。

ただ、次々と捕まる殺人犯たちが皆、自らの犯した行為を受け入れられずに怯えている姿を見ると、伝道者が広げようとしている教義が何かは分からなくても、悪しきものとして映ります。

ところが、刑事の高部だけは、伝道者の間宮と対峙することで確実に癒しを得ていました。そのあたりを示す演出(ファミレスで全く食事に手をつけられずにいる場面と、数日のちに同じシチュエーションで勢いよく完食する姿)によって、映画的な文脈が散りばめられていることに気づき感心しました。

他にも、高部が収監されている間宮を訪れた場面は秀逸でした。本来は高部が間宮を取り調べするはずが、逆に間宮によって高部はある種のカウンセリングを受けているようになります。カメラは同じ位置のまま、2人の立ち位置が入れ替わることで、立場も逆転してしまっている様子がしっかり見て取れるのです。

最終的には、高部が伝道者に成り代わる展開もまた王道と言えるなか、本作における成功の要因は、やはり高部を演じる役所広司さんの存在感や演技力に尽きます。

間宮役の萩原聖人さんの柔和な物腰も伝道者としての説得力十分なのですが、その存在を超越してしまう高部の、いかにも刑事らしい信頼のおける風貌や、その裏側にひそむ底知れぬ闇の部分を体現できてしまうのは、役所さんならでは、だと感じました。

実は、黒沢清作品をあまり好きではないなりに、昔より随分と楽しめていることに気づきました。また、このような陰鬱とした映画を観てもケロっとしていられる現在の自分は、なかなか健康状態が良好であることよ、と確認できたのが一番の収穫です。


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