映画ザビエル[106]開拓時代ショートショート
── カンクロー ──

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◎作品タイトル
バスターのバラード

◎作品情報
原題:The Ballad of Buster Scruggs
公開年度:2018年
制作国・地域:アメリカ
上映時間:133分
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演:ティム・ブレイク・ネルソン、ジェームズ・フランコ、リーアム・ニーソン、トム・ウェイツ、ゾーイ・カザン

◎だいたいこんな話(作品概要)

アメリカの西部開拓時代を舞台にした、6つの物語からなるオムニバス作品。表題作の「バスターのバラード」では、往年の西部劇を彷彿とさせる銃撃戦や早撃ちによる決闘などが楽しめる。

6つの作品は、ブラックコメディの要素が強いものや、それとは対照的に広大な自然の中で繰り広げられる純文学的なストーリーまで実に多様。だが、いずれの物語でも誰かの死が描かれていることで、根底に流れているテーマを同じにする短編小説集の様相をなしている。

第75回ヴェネツィア国際映画祭脚本賞受賞。





◎わたくし的見解/盛者必衰のことわり

古い時代設定の物語であるせいか、ものすごくあっさりと人が死ぬ。テーブルから物が落ちる程度のノリで、しかも主役と思われた人物が突然絶命する様子は、ともすれば人の命を何と心得る?!と怒る人も出てきそうである。

たしかに幾つかの話は、ブラックジョークと呼ぶにふさわしい不謹慎な「おっ死んだ」感が満載なのだが、よくよく考えてみると「死」というものは、寿命の尽きる者が万全の態勢の時に、その人生に見合った適切な情緒をともなって訪れる保証はどこにもない。

むしろ、その準備など到底できていない時に命は奪われてしまうことの方が多い気がする。ひったくり犯罪のごとく見えない所からいきなり現れて、無神経で暴力的に。たとえ悪意や犯罪性はなくても、何時そうなるかが分かっている人はほとんど居ない。

まして開拓時代の人々が置かれている過酷な環境を考えれば、現代の私たちと比べて「死」との距離感がかなり近かったことが、案外的確に表現されているのかも知れないと感じた。

表題作の「バスターのバラード」では、軽妙で華奢なキャラクターの主人公が強面の無法者達をバッタバッタと斬り倒し(実際には撃ち殺し)無双感を出した矢先にやられてしまう。

ところが主人公のお尋ね者バスターが、度々カメラ目線で観客に説明するようなメタ演出が施され、決闘で勝敗(生死)を別けた相手とデュエットを始めるなど、クセが強めで攻めた演出はオープニング作品としての役割をしっかり担っていた。ああ、これからコーエン兄弟の作品を観るのだと、その幕開けを存分に楽しませてくれた。

個人的には中だるみしそうなところに、あえて配置された「食事券」と「金の谷」という極めて文学的な2つの物語がとても気に入っている。

「食事券」では、主要人物の一人である規模の小さな巡業で身を立てている興行主が、これ以上客寄せできないと分かるや否や、それまでのパートナーを捨て去る結末に、その時代を生き抜くことの厳しさが凝縮されていた。興行での劇中劇以外の台詞を極限まで減らし、物語の顛末は映像で語られるのみであるところも身にしみた。

続く「金の谷」は、ネーミングから想起されるように金脈を探し当てる話でありながら、読後感には強欲さよりも、清々しさや不思議とあたたかい気持ちが生まれてくる作品だ。直前の「食事券」とは対照的に、希望や神の加護のようなものが感じられ、6作品全体の流れとしても見事にバランスを取っていた。

小説の場合、長編作品で評価されている作家の多くは、短編の名手であるという独断と偏見を私は持っている。映画も、優れた監督はショート作品でも面白い。やっぱりコーエン兄弟は巧いなあ、とスルメをしがむように、じっくり味わうことができた秀作であった。


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映画ザビエル
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