エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[12]超併読術のはなし 夜勤と夜勤の間
── 海音寺ジョー(超短編ナンバーズ) ──

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◎超併読術のはなし

本を読むのが好きだ。しかし読むのが遅くて未読の本が溜まっている。積ん読本である。漫画も溜めている。その上で図書館もよく使うので、未読の本が沼底の泥炭のように溜まり続けている。

雑誌の広告にある速読術や自己啓発本に載ってる、フォトリーディングの類に頼ろうとした。しかし、それらについて調べていると、大意を掴むのがミソであり細部はすっ飛ばす、というような説明があって、それは自分のしたい読書ではないなあと早々に諦めた。

ハウツー本はそれでいいかもしれないが、小説の魅力は細部の書き込みにあるのだと思っている。いや小説だけじゃなく、漫画も雑誌も新聞もルポルタージュも読むのだが、そういう書籍もやはり細部まで読みたい。

となると、結局積ん読問題は未解決になるのだが、普通の読書のしかたで大量の本を読みおおせる方策を考えた。「ワイは集中力が足りん」と思われる方は是非参考にしていただきたい。それは、数十冊の本を同時に読み進める超併読法だ。

ぼくは集中力がなくて、本を長時間読んでるとだんだんダレてきて、文章が目に入らなくなってくる。面白い本かどうか、自分の興味関心のど真ん中かどうかで、もちろん差はあるのだが。





そこで読書スピードを検証してみたのだが、最初の見開き2ページなら最高速度で読めるのだ。まず、椅子の横に読みかけの本を5冊〜10冊ほど置いて2ページずつ読むのだ。

そして、許される時間の限りそれを繰り返すと、最良の効率で読みかけの本を読了することができるのである。

「それはかえって効率が悪いんじゃないの?」という反論もあるだろう。本を本棚からとって来たり、読みかけの途中のページをまた探し出すロスタイムを考えると、ただ一冊をパラパラと読み進める方が合理的だし手間がかからない。しかし、ぼくは集中力がないのである。

読むという行為は脳みそ内部の大脳皮質、神経、海馬を行き来する複雑無比の行程での「記憶」作業だが、本を運ぶ、ページをめくるなどは「運動」作業であり、最新の研究では、脳には「記憶」「運動」の情報を区別して伝える並列神経回路があると考えられている。

http://www.riken.jp/pr/press/2017/20170905_1/


今はショウジョウバエでの研究段階だが、ヒトにも当てはまるなら、この読むという行為に特化したやり方は理にかなってると言える。

読んだところまで付箋を貼っておいて、すぐに目視できるようにしておく、などの細かい工夫でロスタイムを短縮できる。この付箋と言うのも重要で、栞よりはるかに効率がいい。

2ページ読んだところで、勢いが残っているようなら、次のページも読む。「もうあかん」「これ以上は難しい」と感じたら、すぐに付箋を張り付けて中断する。

この方法だと集中力がなくても忙しい仕事に就いていても、年間100冊以上読破可能だ。無論、本の厚さにもよるので、一冊読破するのに、週5日2ページずつ読み進め2年近くかかる場合もある。

2年も同じ本を続けて読んでいると、伝記ものだと物語の主人公が辿ったであろう月日を追体験するような感慨深い気持ちになる。これも併読によるロングスパン読書の醍醐味だ。

積ん読で悩んでいる方は、是非試していただきたい。しかし数十冊規模で併読していると「あれっ、この話、どういう行きさつでこのような展開になったんだっけ?」と、前まで読んだ分を忘れている場合がある。

これは超併読術の、避けがたい問題なのだが、ぼくは思い出せなくても気にせず読み進めることにしている。

「おい海音寺、細部のことは重要じゃなかったのかよ」と御叱りをくらいそうだが、99冊中2、3冊そういう本があったとしても、それは自分には手に負えなかった作品だったと潔く白旗を上げて、老後忙しくない時代が到来したらゆっくりと読み直せば良いんじゃないでしょうか。


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◎夜勤と夜勤の間

雪の降らなかった月曜日。町の図書館でタブッキの短編集「とるにたらないちいさないきちがい」の『マドラス行の列車』を読んでいる。マドラスには学生の時行ったことがある。タブッキの「インド夜想曲」は旅から帰ってきてから読んだ。それから26年後に、この小さな物語を読んでいる。

あの時ぼくはカルカッタからマドラスまで飛行機で移動したが、この物語はボンベイから鉄道でマドラスへ向かう、その行程を綴っている。これもまた本書の題でもある、とるにたらぬ小さな出来事なんだろう。

夜勤明けの頭で、うつらうつら頁を追いながらぼくはあの時見たマドラスの海辺を思い出していた。少年が駱駝を寄せて来て、兄さん乗らないか? 50ルピーでいいよ、としつこく付いてきたことを思いだした。

少年の顔は太陽を背にしていて良く見えなかったが、口元には笑みが浮かんでいたことを思いだした。マドラスに滞在した時は熱を出していて、海辺と博物館を観たことだけが思い出となった。残りの時間はミネラルウォーターを飲みながら、ホテルのベッドに横たわっていた。

図書館の窓のブラインドから細い陽光が顔に射してきて、さらに眠気を誘う。マドラス。まどろみの思い出。


【海音寺ジョー】
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