ぼくはスーパーの野菜や果物のコーナーが好きだ。
赤やオレンジ、黄色、緑。鮮やかな色彩があふれていてうきうきしてくる。
あまりに素敵でどれも買ってあげたいけどそうもいかない。ぼくはあれこれ迷いながら、ぐるぐる巻いた葉のレイヤーがかっこいいキャベツの1/2カットと、りんごの中でもとりわけ赤からオレンジに至るグラデーションが美しい(しかもほんの少し薄緑が入っている)りんごをひとつ、カゴに入れる。
野菜コーナーを出るとワカメやマヨネーズ、アーモンドを入れた。買い物終了。
レジでお金を払い、自分で袋に詰める。そして店を出ようとしたとき、視界にちょっときれいな女の子が入りこんだ。髪の長い、細身の女の子。その瞬間、ゴトッ。
レジ袋が一瞬、ぼくの手から離れた。鈍い音はリンゴがスーパーの床面に衝突した音だ。ぼくはたぶん、ピーマンのように青くなった。そのまま2秒ほど立ちつくし、はっと我に返って袋を取り上げ、店を出た。
家に帰ってりんごを取り出すと、その時点では目立った損傷は発見できなかった。だが夜中に冷蔵庫の扉を開けてのぞくと、皮をむくまでもなくなんとなくだめになった部分がわかるようになった。
直径3〜4センチくらいの面積が、うっすらかげりを帯びてみえる。そっとさわると周囲より柔らかくなっている。ぼくは「悪いことした」とつぶやいた。
すると、その声を待っていたようにりんごが言った。
「ひどいわ。ひどいわ」
ご、ごめん。どうしたらいいんだ?
「食べて。私を食べて」
あ、もちろん食べるつもりだけど……。
「早く食べて。早く食べて」
いますぐ?
「いますぐ食べて。いますぐ」
ぼくは頭の中で所帯じみた計算をする。端的に言って、ぼくはあまり裕福ではない。かつかつの生活だ。大ぶりでずっしりとした美味しそうなりんごを買うのもひさしぶりだ。何せそれは袋入りラーメン2つ分の値段である。だからゆっくり味わいたかった。いまは夜中だし。
「あなたのせいなのよ。あなたの」
確かにそう言われると弁解の余地がない。ぼくはりんごを冷蔵庫から出し、まないたにのせた。そして包丁で縦に6つに切った。
「痛いわ。痛い」
「痛いわ。痛い」
「痛いわ。痛い」
「痛いわ。痛い」
「痛いわ。痛い」
「痛いわ。痛い」
なんと声も6つになった。同時に聞こえるのだからわざわざ6回書かなくていいんだけど。
「早く食べて。早く食べて」
「茶色い部分が広がらないうちに。広がらないうちに」
わかった、わかった。
ぼくは急いで皮をむいた。傷んだ部分は6切れのうち2切れにまたがっている。茶色くて柔らかくなった部分はむきにくいので、どうしよう……と考え、結局むかずにそこからばっさり切った。
「痛い。痛い」
りんごの声は7つになった。もう一切れも同じように切った。
「痛い。痛い」声は8つになった。泣いているように聞こえた。
ぼくはすべての皮をむき、茶色くなって切り離した部分は心を鬼にして捨てた。声はまた6つになった。
「さあ、食べて。早く」
さくり、とぼくはりんごに歯をあてた。しゃるしゃると果肉がくずれ、あふれ出る甘い汁が口腔を満たす。
「おいしい? 私、おいしい?」
とてもおいしいよ。
「よかった。うれしい」
りんごは大きかったので、2切れ食べるとそこそこ腹がふくれた。夜中だし。
ぼくはむかし雑誌で得た知識「りんごが変色しない方法」を思い出した。薄い塩水を作ってタッパに入れ、残りのりんごをその中に浸す。
「あ」
どうした?
「ちょっとしみる」
え、しみる?
「でも、だいじょうぶ。慣れてくると思う」
そうか。
「なんだか、疲れた……遠いところから来たから」
そうなんだ。
りんごはそれきり黙った。
ぼくはタッパを冷蔵庫に入れた。ついでに牛乳のパックを取り出し、コップに注ぎ、また戻した。
野菜室からなんだか声が聞こえた。玉ねぎか、にんじんか、それとも今日買ったキャベツか。
──聞いてらんないわね、まったく。
──あのりんごでしょ?
──おおげさすぎる!
──ちょっとぶつかったくらいで騒ぐなんて、それじゃあたしたちどうなるの。
──仕方ないのよ。
──仕方ない?
──あのリンゴはさ、……だから。
一部はよく聞こえなかった。確かに野菜や果物たちがいちいち騒いだら、台所は阿鼻叫喚の地獄になり、ぼくたちは料理ができなくなってしまうだろう。
それにしても、聞こえなかったところが気になった。あのりんごは「特別」なのか?「変わりもの」なのか? それとも?
翌日、ぼくはタッパを冷蔵庫から取り出した。
塩水の効果かほとんど変色していず、りんごは白いまま眠っているようにみえた。それとも、もしかして傷の痛みに耐えているのだろうか。
茶色くなったところはなくなったとはいえ、残った部分にも何らかの影響があったかもしれない。りんごが穏やかに眠っているのか痛みをこらえながら声も出せずにいるのか、ぼくにわかりようもない。
ぼくはりんごを二切れ食べ、また冷蔵庫に戻した。
次の日、ぼくはまた冷蔵庫からタッパを取り出し、しばらく眺めていたが、ふと思いつき、それを持って公園に行った。
その日は2月の終わりにしてはとてもいいお天気で、公園の木々はまだ芽吹いてもいなかったが、陽気に誘われてたくさんの人がいた。
枯れ草の上に腰を下ろし、バッグからタッパを取り出すとボールを持った人やスケッチブックを手にした人たちが歩きながら「お弁当ですか?」とか「外で食べるとおいしいよね!」などと話しかけてきた。
ぼくはにこにこ笑いながら容器の蓋を開け、二切れ残ったりんごに小さなフォークを立てた。頭のの上にはまぶしい青空が広がり、雲も二つ三つ浮かんでいた。気持ちいいなあ。
りんごに話しかけたが、返事はなかった。そして二切れのりんごはなくなった。
いますぐ食べて。いますぐ。
りんごの声を思い出した。
ひと月ほど後、スーパーに行くと果物や野菜のコーナーに一人の女の人がいた。いつものようにたくさんの色彩にあふれた売り場で、その人はPhotoshopの「光彩(外側)」を施したように目立っていた。ショートカットのふわふわした髪が光の中に浮かんでいる。
どこかで会ったことがある。そう思っていると向こうから笑いかけてきた。ぼくは近づいていき、なんだかよくわからないまま、うなずいた。
女の人もうなずいて、言った。
「今度はよそ見しないでね。他の女の人に」
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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着るものはすっかりユニクロ化してて、はっと気づくと上も下も中もユニクロということが珍しくないが、最近は家の中の、いわゆるインテリア関係(ぼろアパートなのでカタカナ語を使うのも気がひけるが)のニトリ化が著しい。
ユニクロの難点は街を歩いていてよその人と「かぶる」ことだが、ニトリ化が進むにつれ同じようなことが出てきた。
道を歩いていて、うちにあるのと同じ「ファブリックパーテーション」が窓の目隠しに使われていて「おおっ」と思ったり、ベランダに干されているふとんカバーが「さんざん迷ってもうちょっとで買いそうになったやつ」で一瞬どきっとして安心したり……ま、お互いわからないからいいか。