映画ザビエル[57]お水の花道 in 1960
── カンクロー ──

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◎女が階段を上る時

公開年度:1960年
制作国・地域:日本
上映時間:111分
監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子、仲代達矢、森雅之、加東大介

●だいたいこんな話(作品概要)

銀座のバー、現代では高級クラブと呼ばれる夜の店「ライラック」で、ママとして働く圭子。ライラックには外国人オーナーがいて、圭子はいわゆる雇われママだった。

売れっ子ホステスだったユリが独立して店を持ったことで、ライラックの客は目に見えて減り、圭子はオーナーから売上不振を責められる。

圭子は美しく上客もついているが、水商売だからと言って、客に必要以上に媚びる営業活動はどうしてもしたくなかった。

営業方針に口を出されずに済む、自らがオーナーの店を持つために、圭子は出資を募る決意をしたのだが。





●わたくし的見解/泥の中に咲く花

以前は高峰と言えば、子供の頃に見た国鉄(現JR)のCMのせいか、高峰三枝子さんの名前が出てきた。市川崑監督の「金田一シリーズ」への出演も、私には印象的だったし。

国鉄って、と我ながらツッコミたくなる古い話だが、そんなババアの私でさえ、成瀬監督の映画を観るまで「高峰秀子」という女優を知らなかった。

それも、当然と言えば当然。本作品のヒロインを演じる高峰秀子さんは、三枝子さんが金田一シリーズの「女王蜂」(1978年)に出演した頃には、ほぼほぼ映画出演は引退していたのである。

それでも、デコちゃんこと高峰秀子さんは、子役から活動しているのでキャリアはとても長い。豊富なキャリアの中でも、木下恵介監督、成瀬巳喜男監督の作品には、ほとんど出演しているという。

デコちゃんの代表作と言えば、ファンそれぞれに思い入れのある作品があるだろうが、逆に木下、成瀬映画と言えば、それはイコール高峰秀子と言って過言ではないだろう。

ところで、いくらババアの私でも、格別なデコちゃんフォロワーでもないので、成瀬作品での彼女しか知らない。

成瀬映画の彼女はいつも、泥の中で咲く蓮の花のような存在だ。紆余曲折あって、落ちぶれた女性をはすっぱに演じても、どこか品が漂う。そんな不幸な境遇でなければ、本質的には上品な女性に違いないと想像させる。

ババアの私が言うのも可笑しいが、高峰秀子ほど男性の庇護欲をそそる、女性の強がりや、やせ我慢、いじらしさを演じられる人はいない。もはや叶わぬ願いだが、太宰治「斜陽」のヒロインを、ぜひ演じて欲しかった。

本作の彼女も、まさにと言った感じ。

ヒロイン圭子の店で、かつてホステスだったユリが華々しく独立し、しかもユリの店は順調そのものに見えていた。しかし実情は火の車で、たとえ一時逃れでも借金から免れようと自殺してしまう。ユリの死は、ユリを食いものにする男の存在を浮かび上がらせた。

圭子は改めて、男に完全に依存するような形で自分の店を持つことを強く警戒する。特定の男性と深い関係になることを拒否し続けてきた圭子だが、彼女の母や兄は、銀座で働く彼女の収入をあてにして、なにかにつけて援助を求めてくる。

無理が祟って体を壊した時、30という年齢を前にして、平凡な妻の座におさまる選択も頭をよぎる。1960年の夜の銀座は、やはり今とは趣きが違うけれど、女性の迷いや苦悩は大きく変わらない。とくに働く現代女性にとっては水商売と無縁であっても、ヒロインの憤りや諦め、そして決意に強く共感できるのではないだろうか。

女が階段を上る時。

それはヒロインが様々な想いを心の奥にしまい込んで、ママとして店に立つ時。いつだって何事もなかったように。今日も、笑顔で客に挨拶するために。短い階段を上りながら、どんな事を思うのだろう。健気なデコちゃんを、どうしたって応援したくなる映画なのだ。


【カンクロー】info@eigaxavier.com

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映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。

時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。

私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。