◎ファントム・スレッド
原題:Phantom Thread
公開年度:2018年
制作国・地域:アメリカ
上映時間:130分
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ヴィッキー・クリープス、
レスリー・マンヴィル
●だいたいこんな話(作品概要)
1950年代のロンドン。社交界から圧倒的支持を得るオートクチュール(高級仕立服)ブランドを率いる、レイノルズ。彼がデザインし仕立てたドレスは、王室に至るまで女性たちの憧れだった。
レイノルズは常に、創作意欲の源となる女性(ミューズ)を傍に置いて仕事をしていた。ある時、レイノルズはウェイトレスのアルマと出会い惹かれ合う。それまでと同様に、アルマを自宅兼仕事場のメゾンにミューズとして迎え入れ、ドレス作りに没頭するレイノルズ。
しかしアルマは、今までのミューズと違い、レイノルズとより深い関係を築くことを求める。仕事にすべてを捧げ、常に静寂を愛してきたレイノルズの人生は、アルマの存在によって翻弄されることになる。
●わたくし的見解/シンクロ率が高過ぎると取り込まれたりするのだ
主演のダニエル・デイ=ルイスが、本作をもって引退するらしい。彼は、アカデミー主演男優賞を三度も受賞している言わずと知れた名優で、私も特に演技の巧い俳優だと認識している。
ただ彼の場合、演技の巧さもさる事ながら、わたくし個人としては、役者バカと言うか(「○○バカ」って、今は使ってはいけない表現らしいですねぇ)、とにかく「ガラスの仮面」のヒロイン北島マヤに程近い、芝居狂いのイメージがある。
ロバート・デ・ニーロの徹底した役作りは有名だが、ダニエル・デイ=ルイスも負けていない。そのストイックぶりに、私はいつも変態性さえ感じていた。「ファントム・スレッド」は、その変態性が色濃く反映されていると思う。
ダニエル・デイ=ルイスのいつもの演技、役柄に合わせて時にはアクセントまで変わってしまう喋り方や、一分の隙もないレイノルズとしての佇まいをスクリーンで目の当たりにしながら、レイノルズを演じる彼は、ある意味まるで彼自身を演じているようだと感じてしまった。
ハンサムで、美しいオートクチュールドレスを作るレイノルズは、当然女性からモテる。歴代のミューズたちと、何度か男女の関係になった事もあるだろう。ヒロインのアルマと一夜を共にした演出もある。
しかしレイノルズは、ミューズたちを始め数多くの顧客も含めて、あらゆる女性と、極端に言えばあらゆる人間と、それ以上の繋がりを求めることはない。むしろ、人として当然の繋がりを拒絶して生きていた。そういった繋がりは、亡霊に求めるのみで、彼の現世のすべては美しいドレス作りに捧げていた。
それは、ありきたりな表現をするならば、美しいドレスのために悪魔に魂を売った男と言えるし、その様子はドレスを作ることに支配され、呪われているかのようだ。
対してヒロインのアルマは、郊外のレストランでウェイトレスをしていた、ごくごく平凡な田舎娘。レイノルズと共に、彼の作ったドレスをこよなく愛すると同時に、時には仕事から解放されるべきだと、いたって常識的な主張をする。ところがアルマもまた、レイノルズの愛を欲するあまり、常軌を逸していく。
恋愛感情は多くの人を、平常ではあり得ないような過ぎた行動に走らせるものだが、アルマの恋心は強い支配欲に変貌し、物語は仕事の鬼と独占欲の権化という変態同士の対決へと向かっていく。その様子は、静謐な物語に緊張感を与える。
ところで、ヒロインのアルマの容姿は「この女性なくしてドレスを作ることが出来ない」というような創作の女神、ミューズとして違和感がある。作品を観る前はポスターを眺めながら、なんでこんなに素朴な外見なのだろうと、不思議に思っていた。
欧米人にしては小作りな顔立ちで、不美人ではないけれども、おおよそ華やかさのない地味な女性だ。ドレス作りに不可欠な存在なのだから、素晴らしいプロポーションの持ち主なのかと思えば、劇中でも表現されるように、胸は小さいのに肩幅は広く、お腹はぽっこりと丸みを帯びている。
そんなアルマが何故、レイノルズにとって完璧なスタイルの持ち主なのかは、映画の中で明かされていく。しかも、それはレイノルズの呪縛とも深く関係しており、華々しい絶世の美女でないことが、物語の肝でもあったのだ。
レイノルズをがんじがらめにしてきた見えない糸を、アルマの献身的な愛が解きほぐすことが出来るのか。作品の公式サイトでは「この愛のかたちは、歪んでいるのか? それとも純愛なのか?」と問うている。
確かに見方によっては、アルマは猟奇的な彼女で、毎度おなじみの身も蓋もない言い方をすれば、究極の変態カップルの誕生とも言える。とは言えストーキングのような犯罪行為も受け入れられれば、一転にわかに純愛と化すのも事実。変態も、純愛も、「究極」であることは一致している。
私としては作品の描く愛の形の是非よりも、ダニエル・デイ=ルイスが「悲しみに襲われたから」と村上春樹みたいな、ちょっとよく分からない理由で引退を表明したことが感慨深い。
何が悲しいのかは、本当にさっぱり分からない(本人にも分からないらしい)が、そのように思い至るのに、あまりにも相応しい作品に思えた。引退云々のくだりを映画鑑賞時はまったく知らなかったけれど、ストイック過ぎる役作りを長年続けてきた結果、彼自身にあまりにもリンクする人物像を演じたことで、役柄に侵食されてしまったのではないか。
ダニエル・デイ=ルイスは、深淵を覗くのが似合うし、深淵から覗きこまれるのもよく似合う。
何でも、引退後はドレスを作るらしい。だいたい、一時期は俳優業を中断してまで、靴職人をやっていたような人である。昨今は田舎に引きこもって木工していたとか。いずれは、自分の作ったものでセレクトショップでもやるのだろうか。
とにかく、ダニエル・デイ=ルイスの変な人ぶりが、今まで以上にたっぷり味わえる作品だ。いつも何かしら過剰で好きにはなれない俳優だったが、私にとっては数少ない、心底尊敬する変態の一人であることに今後も変わりはない。
【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル http://www.eigaxavier.com/
映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。
時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。
私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。